ノーズの長さが22mもある「アルファエックス」の新青森方先頭車(筆者撮影)

2019年5月、JR東日本では将来の北海道新幹線の札幌延伸に向け、営業最高時速360kmを目指す新型電車「ALFA-X(アルファエックス)」E956形を報道公開した。新幹線の新たな時代に向けた挑戦といえる電車である。

現在、世界各国で路線を伸ばしている高速鉄道の草分けは、1964年に開業した東海道新幹線である。その後に山陽、東北、上越新幹線が開業、次いで新幹線の後を追うようにフランス、ドイツなどでも高速鉄道が開業した。

その開発の過程では、今回のアルファエックスのような試作車両、いわゆるプロトタイプと呼ばれる車両が先陣を切って製造され、試験走行を繰り返し開発に大きく貢献した。今回は新幹線の超高速運転を実現するために生まれたプロトタイプ車両を振り返ってみたい。

「夢の超特急」の試験電車

「夢の超特急」と呼ばれ、開業前から日本国民の多くが大いなる期待を抱いていた東海道新幹線。工事が急ピッチで進む中、先行試験線として神奈川県の綾瀬―鴨宮間に建設された「鴨宮モデル線」に1962年に投入されたのが、新幹線の試験電車1000形だった。


新幹線の試験電車1000形B編成(左)とA編成。運転台の窓は曲面ガラスを使っていた(写真:日本国有鉄道広報写真、南正時提供)

A・B・Cと形態の異なる3編成が製造され、速度試験をはじめとする各種の試験に供された。最初に製造されたのはA・B編成で、2編成がつくられたのは高速ですれ違う際の試験のためだった。B編成は1963年3月30日に、電車方式の列車としては当時世界最高となる時速256kmを記録した。

C編成は量産型新幹線電車(0系)の量産先行車で、A・B編成(B編成は片側先頭車)では曲面ガラスを使っていた運転台の窓を平面2枚窓にし、前面のスカートをより強固にするなどモデルチェンジした。ちなみに東海道新幹線の開業時、0系は「新幹線電車」と呼ばれており、のちに東北・上越新幹線の200系が登場する際に「0系」と呼ばれるようになった。

東海道新幹線の成功を受けて全国に新幹線網が計画されることになったが、1973年に将来の新幹線を想定して開発した試作電車が961形だ。長距離運転に対応すべく寝台車もつくられた。1979年12月7日に、当時建設中だった東北新幹線の小山試験線で行った試験走行では、当時の電車の世界最高時速である319kmをマークした。


上越新幹線の公式試乗会の際に捉えた962形。後ろの7両は200系だ(筆者撮影)

この車両をベースに、東北・上越新幹線用の営業車両の先行試作車として1979年に製造されたのが962形だ。先頭車のスカート(排障器)先端にはスノウプラウなどの雪害対策、各車側面には雪切り室につながる吸気口が取り付けられていた。試験当時の白地に緑の塗装は量産車200系に継承された。筆者は上越新幹線の公式報道試乗会において新潟駅で目撃し撮影したが、10両編成中、前方3両が試験車両、他の7両は200系の編成だった。

「のぞみ」をかなえた先行車両

1987年に国鉄が分割民営化されてJRが発足すると、新幹線の高速化に向けた開発が各社で本格化した。JR東海は1992年に新開発の300系を投入し、最高時速270kmの「のぞみ」を運行開始した。


300系のJ0編成。先頭の台車付近がふくらんでいるのがわかる(筆者撮影)

その300系の量産先行試験車として、1990年に製造されたのが300系の「J0編成」(のちにJ1編成)である。量産型300系の基本モデルとなった車両だが、量産車との大きな違いは先頭車台車付近の「膨らみ」だ。大きなパンタグラフカバーを備えて登場したのも印象的だったが、いかにパンタグラフからの騒音対策が課題であったかうかがい知れよう。

J0編成の登場時はまだ「のぞみ」の名称はなく、「ひかり」の超高速タイプとして「スーパーひかり」と一般に呼ばれていた。1990年に時速303km、1991年2月28日未明には時速325.7kmを記録。300系はそれまでの新幹線と大きく異なるフルモデルチェンジ車として大きな話題となり、筆者もこのJ0編成の撮影のため連日沿線に繰り出したものだった。

1990年代前半は、時速300km以上での超高速運転に向けた試験車両が相次いで登場した。


JR西日本のWIN350(右)。JR東海の大井車両基地で報道公開され、300系(左)や100系(中央)と並んだ(筆者撮影)

山陽新幹線での営業最高時速350kmを目指して1992年に開発されたのが、JR西日本の500系900番台試験車だ。一般的には「WIN350」の愛称で呼ばれ、地上設備を時速350km対応に整備した小郡(現・新山口)と新下関間で高速試験を行った。1992年8月には目標の350.4km/hを達成し、日本初の時速300km運転を実現した500系量産車へのステップとなった。

WIN350の報道公開は、今では考えられないがJR東海の大井車両基地で行われ、当時新製されたばかりの300系量産車や100系と並べて公開された。JR会社間の垣根を越えた粋な試みで、今思えば感慨深いものがある。


JR東日本の高速試験車「STAR21」東京方先頭車の952形(筆者撮影)

一方、WIN350の登場とほぼ同時期の1992年にJR東日本が製作したのが「STAR21」の愛称で知られる高速試験車である。この電車の特徴は、編成が一般的なボギー車の952形4両と連接構造の953形5両で構成されていたことだ。騒音やトンネル微気圧波、地盤振動の低減などのために車体は大幅に軽量化され、先頭部は騒音や高速走行時の空気抵抗を緩和するために直線的なとがった形状で、両端でそれぞれ形が異なっていた。

登場後は東北新幹線仙台以北で走行試験を開始し、1993年12月21日には上越新幹線の燕三条駅付近で最高時速425kmを達成している。

日本最速記録の300X

1995年にはJR東海が次世代の超高速試験車955形電車、愛称「300X」を開発した。筆者は同年の浜松工場での報道公開で、その全貌を見て驚きと興奮を隠しきれなかった。まず目を見張ったのが、先頭車が東京方はラウンドウエッジ型、博多方はカスプ型と呼ばれるまったく異なる形だったことだ。パンタグラフから発生する音を低減するためのカバーも超大型のものを装着していた。


300Xのカスプ型先頭車(筆者撮影)

この300Xは1996年7月26日深夜の試運転において、米原―京都間の野洲付近でリニアモーターカーを除く鉄道車両では日本最速となる時速443.0kmを記録している。

これらの試験車はその後の新幹線高速化に大きな功績を残し、1990年代後半から2000年代前半にかけてその役割を終えた。WIN350は登場から約4年後の1996年5月末に、STAR21も1998年2月に廃車。300Xも2002年に引退した。

各列車の先頭車はいずれも保存されているが、中でもWIN350の博多方先頭車、STAR21の東京方先頭車(952形)、300Xのカスプ型先頭車は、滋賀県米原市の財団法人鉄道総合技術研究所(鉄道総研)風洞技術センターに3両並んで保存されており、通常は非公開だが外からその姿を見ることができる。

21世紀に入ると、さらに高速運転を目指す試験車両が登場した。近未来型のモダンな超高速試験車、JR東日本の「FASTECH(ファステック)360S」が誕生したのは2005年6月のこと。いかにも速いと思える斬新なデザインは、のちのE5系を予感させる電車だった。


ファステック360の「アローライン」型先頭車(筆者撮影)


ファステック360の「ストリームライン」型先頭車(筆者撮影)

360Sの数字は営業最高時速360km、Sは「Shinkansen」の頭文字を表している。先頭部は約16mのロングノーズで、東京方の1号車は「ストリームライン」、青森方の8号車は「アローライン」と呼ばれるE5系に通じる形状となった。超高速走行時の急制動を補助するために屋根から空力抵抗板が出る装置も組み込まれ、その形が「ネコの耳」に似ているところから「ネコミミ新幹線」とも言われ人気を博した。

この電車は営業用車両と同じ配置の座席や洗面所、車販準備室なども完備していた。筆者は幸いなことに2007年に特別添乗取材し、座席と運転台で時速330kmを体験した。テーブルにタバコを立てて揺れ具合を私なりに実験したが、乗り心地は300km超えでも実にスムーズだと感心した。

その後も走行試験は続けられたが2009年9月7日付で廃車、残念ながら保存されず全車解体されたという。試験結果やコンセプトはE5系、E6系に受け継がれ、日本一の営業最高時速320kmで走り続けている。

22mの長ーい鼻

令和の始まりとともに今年5月9日、報道陣の前に颯爽とその全貌を現した試験車が「ALFA-X」である。


アルファエックスの東京方先頭車。ノーズの長さはE5系より少し長い約16mだ(筆者撮影)

この電車は北海道新幹線の札幌延伸を見据え、世界最高の時速360kmでの営業運転を念頭に開発された。遠心力や揺れを抑える車体傾斜制御装置、動揺防止制御装置のほか、地震発生時の緊急停止の際、空気抵抗を利用して制動距離を短縮させる空力抵抗板ユニットや、リニア式減速度増加装置などを搭載している。

前頭形状はそれぞれ異なり、東京方の1号車はE5系のノーズ(約15m)より少し長い程度。新青森方の10号車のノーズは1号車より約6mも長い約22mで、この車両はほとんど全体が「鼻」と言っていい。すでに始まっている走行試験では、環境性能、地震対策を含む安全性の向上を検証する。2022年3月までの間、仙台―新青森間を中心に夜間に試験走行を繰り返し、時速400km走行も予定されているという。

最後に、海外の高速試験車両について触れよう。


TGVの営業用車両による試運転列車(筆者撮影)

日本の新幹線に追いつけ追い越せと、フランスではTGVが1981年9月27日にパリ―リヨン間に開業し、当時世界最高の時速260kmで営業運転を開始した。営業運転に先立って同年2月に行われた試験走行では、当時の世界最高速度である時速380kmを記録した。

TGVの試験車は、1972年に登場した電気式ガスタービン動車、TGV-001形で、同年12月8日には時速318kmを達成した。だが、当時の世界的なオイルショックのため、燃料を大量に使うガスタービン式から電気方式に変更せざるをえなくなり、前後に電気機関車を連結した現行のTGVのプロトタイプは1974年に完成した。


イギリスの高速試験車両ATP-P(筆者撮影)

イギリスではガスタービン式の高速試験車両「APT-E (Advanced Passenger Train Experimental)」の試験運転を1972年頃から始めた。次いで電気方式のAPT-Pが完成しインターシティで試験的な営業運転を開始したが、相次ぐ車両トラブルで結局APT計画は挫折。車体傾斜機構だけはイタリアのフィアット社に売却され、今では世界的に普及した振子式車両「ペンドリーノ」に使用され成功を収めている。

速度記録達成に立ち会う

ドイツの高速列車ICEは、今では全国にネットワークを広げ国際列車としても活躍しているが、その試験車は1985年に北部ドイツのビーレフェルト―エッセン間(在来線区間)で試運転を開始した。


ICE試験車の運転台(筆者撮影)

1985年に時速300kmでの試験走行に成功し、1986年11月に行われた公式試運転列車には筆者も招待され、前記の区間で当時のドイツ鉄道最高速度記録である時速345kmを達成した。車内は座席のほかサロンルームも完備し、座席背面の電話からカードで国際電話も通話できるサービスもあった。速度記録達成の瞬間には車内でシャンパンがふるまわれて新記録樹立を祝った。この模様はTBSで筆者のインタビューともども放送された。

さらに1988年5月1日には、フルダ―ヴュルツブルク間の高速新線で行われた試運転で時速406.9kmの世界記録(当時)を達成。試験車は13年間にわたり50万kmを走行後、2000年に廃車されたが、ドイツの高速列車の開発に大きく貢献したとして現在はミュンヘンのドイツ博物館で保存展示されている。