落合陽一は日本のムダとムラを壊す救世主
■落合くんは常に言葉を使って伝えようと努力している
――猪瀬さんは落合さんのどこを評価しているのですか。
ひとつは言葉の新しさです。たとえば「アップデート」や「デッドロック」といったコンピューター用語を使った言い回しをしますね。落合くんはテクノロジーの言葉やレトリックを使うので新鮮で次の時代が開かれたようなみずみずしさを感じさせます。彼が古い言葉を使う人であればここまで若い人たちに支持を得ることは難しかったのではないでしょう。また理系の人たちからみれば、自分たちの発想を社会に橋渡ししてくれるようにも思うのではないでしょうか。
そして彼は常に言葉を使って伝えようと努力している。たとえば落合くんと僕の対論集『ニッポン2021−2050』(KADOKAWA)で、彼は「介護のテクノロジー化の可能性」についてこう述べています。
けれども「それでは、ウォシュレットと、おじさんにお尻を拭いてもらうのは、どちらがいいですか?」と聞くと、この質問に対しては多くの人が「ウォシュレット」と答えます。生活の接点に即して具体的にイメージできるように落とし込んで伝えられれば、新しいテクノロジーを受け入れてもらうのはそう難しいことではありません>
■じゃあどう解決できるか、に前向きに注力する
相手が自分の言葉が理解できないとなったときに、ふつうは嫌になります。まあ彼も嫌になることはあると思いますが、そこで放棄せずに「ならどうすれば伝わるか」を考える。今いろんなところで「分断」という言葉が叫ばれていますが、話し合いを放棄すれば終わってしまう。年長者が理解を示さないという問題があったとして、じゃあどう解決できるか、に前向きに注力する。
言葉で伝わりにくい部分は実際にやってみせます。軍人の山本五十六は「やって見せ 言って聞かせて させてみせ 褒めてやらねば 人は動かじ」という言葉を残していますが、その精神ですね。
最近は息子さんの口唇口蓋裂について、治療の推移を逐次公開しています。その理由について、Twitterにこう書いていました。
僕は口唇口蓋裂児の父になったときに数時間パニクったので,ネットで検索可能な行動事例が父親の視点とともにアーカイブされていると当事者に救いになると思ったからなんだよね.
治療過程のモデルケースを見せることで、後に続く人のヒントを示すことができる。動くだけでなくモデルとして常に見られ方を意識しているのも彼の魅力だと思います。
■採用条件は「何かひとつでも落合陽一に勝てるものがある」
――猪瀬さんは落合さんの人柄にも強く惹かれているそうですね。
山本五十六の言葉にあったように「褒めてやらねば 人は動かじ」という点を理解しているのだと思います。眼差しがすごく優しい。多少厳しいこと言っても、それを包み込むような本質的な優しさがあります。特に学生からはすごく慕われているようですね。
彼は自分の研究室で学生や研究者を採るときの条件の一つとして「何かひとつでも落合陽一に勝てるものがあること」を挙げていると聞きました。それは「バトミントンがうまい」といったことでもいい。何かひとつ誇りを持てる長所があることで、自負を持ってコミュニティに参加できることが大事だ、と。
それはダイバーシティ(多様性)と言い換えることもできるかもしれません。多様性とは「誰でもただ平等に扱う」ということではありません。それぞれの違いを認識し、その違いに敬意を持つことが重要なのです。
落合くんはオーケストラと組んで「耳で聴かない音楽会」を開いています。耳が聞こえない人でも音楽会を楽しめるように、光や振動でオーケストラを再現しようと試みていました。僕はその発展形である「変態する音楽会」のチケットを買って観に行きました。「楽器」のひとつとして映像が「演奏する」というもので新鮮な体験でした。
■いまの日本社会に2021年以後のビジョンがない
――落合さんとの共著を出すことになったきっかけは?
落合くんとの出会いは2016年の年末でした。たまたま特急列車の席が近くて声をかけてくれたのです。そこから折に触れて対談する機会があり、彼がアーティストであると同時にテクノロジーを使って社会をよくするために動き回っている本当の働き者であること、そして近代の行き詰まりという問題意識を共有していることがわかりました。そこで「じっくり日本の近代について一緒に考えないか」といって誘ったのです。
僕は常々、日本の近代の行き詰まりを打破したいと考えてきました。それは「ムダ」(非効率)と「ムラ」(利益集団)という言葉に象徴されます。落合くんは同じ問題意識をもつだけでなく、いまの日本社会に2021年以後のビジョンがないことを危惧していました。
未来を描くには現在がどのようにできあがってきたかを知ることが不可欠です。そのため共著では、僕が日本の「近代」の構造と自分自身が取り組んできたものを示し、落合くんがデータやテクノロジーの動向から未来のビジョンを示す。それらを通じて、近代を乗り越え、未来を創るための発想や生き方のヒントになる本になればと考えました。
■戦前と戦後は「近代」という同じシステムのうえにある
――近代という問題意識を持っていることが共通している、と。
落合くんはよく「アップデート」と言いますね。アップデートするためには、まず相手にどういった体験をさせたいのか、ビジョンを示す必要がある。そして今の仕組みがどう動いていて、どこが評価されていて、どこを改善すればいいかを確定させなければなりません。
その点、今の仕組みの多くは明治初期に創られたものです。僕らは明治時代につくられて、戦後に一度アップデートされた「近代」というシステムに生きている。あまり意識されませんが、戦前と戦後は「近代」という同じシステムのうえにあるのです。
だから、「近代」という前提を共有しないことには次にいけない。だからそこを考えましょう、という問題意識を共有できたのだと思います。
僕は批評家の東浩紀くんから「猪瀬さんはインフラ屋だから信用できる」という評価を受けたことがあります。たしかに僕は「近代」という日本のインフラを考えてきました。
僕の政治とのかかわりは『日本国の研究』を書いたことをきっかけとする道路公団民営化に始まって、副知事ではケア付き住宅を全国に先駆けてはじめたり、地下鉄一元化の問題を提起したり、水道システムの海外展開をやってきました。著作もいわゆる「ミカド三部作」(『ミカドの肖像』『土地の神話』『欲望のメディア』)は東京という都市の近代化が通底したテーマになっています。五輪招致もそこを起点に新しい社会を構築するというところを目指した点ではインフラです。
■一番問題だと思うものがムダとムラ
――そもそも猪瀬さんはなぜ「近代」に関心をもたれたのですか。
きっかけは学生時代です。僕はかつて信州大学の全共闘の議長をやっていて、他の全共闘のデモの応援に東京に来たことがありました。何回かの応援に来たときに、喉が渇いたと思って周りを見渡したら路地にパチンコ屋があって。コンビニも自動販売機もない時代ですから、そこに入ってジュースを飲もうとしたんです。
そうしたら平日の昼なのにサラリーマンや主婦や自営業の人たちがたくさんいました。学生たちが騒いでいる大通りと路地のパチンコ屋の風景を見ながら、「あ、自分たちがやっていることはうわばみみたいなもので、本当に考えなきゃいけない日常はこっちなんだ」と思って、ほどなくして全共闘をやめました。
大学卒業後に上京して、橋川文三という、丸山眞男の異端の弟子の政治学者のもとで日本の近代について勉強をすることにしました。ゼミに通いながら、日中は全共闘で人を配置していた経験を生かして工事現場に人を派遣する親方をやっていました。高島平の高層アパートの工事現場の片づけなどにかかわっていました。元々作家志望ではあったので、論考を売り込む中で雑誌に拾ってもらって、物書きになりました。
そういう意識で生きてきたので、僕が問題にしているのは日本という風景なんです。だから僕がインフラ屋だという評価はある面では正しくて、党派的な主張と関係なく、一番問題だと思うものがムダとムラということになるのです。
――落合さんに今後期待することはなんでしょうか。
落合くんはとても聡明で頭が切れます。その上で、手を動かす。実際落合くんに頼めばなんとかしてくれる。それは問題解決の思考回路ができているからです。
彼は「現代の魔法使い」とも言われますね。ホリエモンが名付け親だと聞いています。「波動使い」、つまり音と光に関する研究を通じて、まるで魔法のようなアートを生み出していたことが、そのキャッチコピーの元になっていると。でも今は波動にとどまらず様々なことについて発言し問題解決に取り組んでいます。その点では江戸時代の発明家・平賀源内のようです。学者であり、芸術家でもある。「土用の丑の日」をつくったのは源内だったという説があるほどです。
でもそれが事実だったとして、いまの時代はコピーライターがたくさんいます。「現代の平賀源内」がやる必要はありません。落合くんはなんでもできるスーパーマンだからこそ、できる限りリソースを集中して、大きなプロジェクトに取り組んでほしいと思います。
■政治家にならなくても、社会は変えられる
政治家になるのはおすすめしません。地方自治体の首長には権限がありますが、総理大臣は合議制であり、大臣になるために何度も当選して序列に沿って階段を上らないとダメです。彼にとってはものすごくエネルギー効率が悪いでしょう。
政治家にならなくても社会をよくすることはいくらでもできます。本書でも「ポリテック」という、ポリティクスとテクノロジーを組み合わせた概念を詳しく説明しています。いまやっているように、プランナーとして小泉進次郎くんなどと一緒に社会課題の解決に取り組んでほしいと思います。
そして身体をこわさないように祈っています。全然寝ていないようですし、長生きにも興味がないと。僕も若いときはそのように思っていましたが、72歳まで生きた今、なんだかんだありましたが、楽しいですから。
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作家
1946年長野県生まれ。87年『ミカドの肖像』で第18回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。道路関係四公団民営化推進委員会委員、東京大学客員教授、東京工業大学特任教授などを歴任。2007年東京都副知事、12年東京都知事に就任、13年辞任。現在、大阪府市特別顧問。
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(作家 猪瀬 直樹 構成=プレジデントオンライン編集部)