バンクシーの『風船と少女(Girl with Balloon)』は『愛はごみ箱へ(Love is in the Bin)』に改称された(筆者撮影/Courtesy of Sotheby's)

「このほど買い手が付いたバンクシーの『風船と少女(Girl with Balloon』は、新たな作品として『愛はごみ箱へ(Love is in the Bin)』と改称することをここに宣言します」

世界を代表するオークションハウス・サザビーズは10月11日、落札直後に仕掛けられたシュレッダーによりカンバスの半分まで裁断された作品の改称について、高らかに宣言した。

オークションで落札を知らせる小づちが振り下ろされてわずか数秒後、ビープ音とともにカンバスが滑り降りてきて裁断される状況は東洋経済オンラインを含む各国メディアを通じて映像とともに広く報じられている。その「作品現物」が10月13〜14日の週末、ロンドン中心部にあるサザビーズのギャラリーで一般向けに無料公開された。

オークションのさなかに生で創られた作品

公開にあたりサザビーズのアレックス・ブランチック現代美術(欧州担当)マネジャーは、今回の一連の出来事について、「バンクシーはオークション会場で作品を破壊したのではない。新たに創り出したのだ。史上初めてオークションのさなかに生で創られたこの作品が改名されることについて、当社は大変うれしく思う」と述べている。

『風船と少女』はもともと2006年に描かれた作品だが、同じようなモチーフの絵は壁画としてロンドン市内の2カ所に描かれている。今回のオークション作品をめぐっては、イギリスのメディアの間で「バンクシーの代表作とも言えるもの。どこか有名どころの美術館が展示するために購入するのでは」と下馬評があったものの、サザビーズの落札予想額は「20万〜30万ポンド(3000万〜4500万円)程度」と控えめだった。

ところが、最終的な落札額はその3倍を超える104万2000ポンド(約1億5400万円、サザビーズの販売手数料含む)に達したことも驚きだったが、なによりも落札直後の「作品の破壊」はこれまで例のないことで「作品に瑕疵(かし)があった場合は買い手はこれを拒否することができる」という条項が用いられるのではないかという推論まで語られたほどだ。

落札したのは、サザビーズが「古くからの顧客」と称する欧州在住の女性だが、いまもって具体的に誰なのかは発表されていない。11日に同社を通じて発表されたこの女性の声明を読むと「作品が細断された際、最初はショックを受けた。しかしそのあとになって美術史に残る作品が自分のものになることをじわじわと感じ始めた」と語っており、この状態で購入することを改めて表明する格好となった。

聞きつけたファンが会場に行列

さて、そんなバンクシーの話題作が見られるとあって、サザビーズのギャラリーには大勢の人々が集まった。公開が決まったのがわずか2日前、メディアでの紹介もあまり活発でなかった割には、つねに数百人の行列が絶えることはなかったようだ。サザビーズは「平均すると1時間当たり1000人の入場があった」としており、2日間でざっと1万人もの人々がギャラリーを訪れたことになる。

並んでいる人々の顔ぶれをみると、意外と年齢層はさまざまで男女比はざっくり女性のほうが多かった。行列の横を何度か歩いてみて感じたのは、英語以外の言語でしゃべりながら待つ人が目立ったのことだった。


背面から見ても、シュレッダーのようなものは見えなかった(筆者撮影/Courtesy of Sotheby's)

公開とはいえ、20人ほどのグループごとに分けられ、各組の持ち時間は2分間のみ。写真を撮るにもどこをどう撮れば良いのか、セルフィーを撮るにしても周りは暗いし――と、なかなかみな苦労していた様子だ。

問題のシュレッダー部分は表からも裏からも特に怪しいモノが埋まっている感じはせず、巧妙にも「ふつうの分厚い額縁」にしか見えない。

バンクシーのTwitterのフォロワー、という女性は、朝早くにウェールズのカーディフ近郊の自宅を出て、ここへ駆けつけたという。


風船を手から離した女の子の顔が、額縁に隠れている(筆者撮影/Courtesy of Sotheby's)

今回の細断騒動についてこの女性は「何年も前から計画していた周到さ。楽しみにしていたんでしょうね」と、してやったりという作者の気持ちを代弁。「インスタグラムでシュレッダーを仕込むビデオも公開されていましたけど、あれをも含めて作品なのではないでしょうか」と今回の一連の動きをこう評価している。しかも、風船を手から離した女の子の顔が、額縁に隠れているところもおそらく仕掛けなのだろう。

事前の「仕込み」があった?

ただ、こんな嫌みも出ている。BBCは「21世紀前半の芸術作品として美術史上に残ることは間違いない」としながらも、「サザビーズに作品が持ち込まれたとき、仕掛けが金属探知機に察知されなかったのは不思議」と、これまでの経緯にちょっとした疑問を投げかけている。

ちなみに、この「新たな芸術作品」を見るために行列に並んだファンらは、展示室の手前で金属探知機によるボディチェックと目視による荷物検査を受けなくてはならなかった。

筆者が話をした女性はたまたまウェールズから3時間余りかけてやって来たバンクシーのコアなファンだったが、オークションハウスでの展示の際には、「その絵や作者の熱狂的なファンだと海外からでも見に飛んで来ることも珍しくない」(ギャラリーの関係者)のだという。

通常、オークションハウスでの展示は買い手が品定めをするため、競売日の前に行われることが多い。ちなみに内覧会は通常の場合、特に会員登録などは不要で、自由に誰でも無料で入れる。「見たい絵が、運悪く公開する気がない人に買われてしまうと、もう一生見ることができないかもしれない」(アートファンのひとり)という事情もあり、内覧会情報が出ると「いても立ってもいられずに飛んで行ってしまう」(同)のだという。

今回のバンクシー作品は、経緯からして話題を呼んだこともあり、サザビーズがおそらく話題作りもあって買い手と綿密に話をして公開に踏み切ったと推測される。買い手が決まってから改めて一般公開されるのはオークションの世界ではあまり多くないからだ。

ここ数年、ロンドンのオークションハウスでの公開があった絵で最も注目を浴びたのはレオナルド・ダ・ヴィンチ作でしばらく行方がわからなかった『サルバトール・ムンディ』だろう。

2017年11月にクリスティーズが一般公開の後に行ったオークションで、絵画では史上最高額の4億5030万ドル(500億円超)で落札された。その後、作品自体はアラブ首長国連邦(UAE)に新設されたルーブル・アブダビで掲げられることが決まった。しかし「作品の7〜8割の部分は弟子の手による」といった説が英国人の学者から発表されたからなのか、今年9月の公開予定が延期され、現在は先行きが読めなくなっている。

ほかの作品でもこのように「予期せぬ理由で、買われてしまうとなかなか出てこない」といったことは珍しくない。

次の公開はどこで行うのか

『愛はごみ箱へ』をめぐっては、すでにバンクシー側の関係者も改名を認めたこともあり、真贋を問う論争などはなく、近々に買い手の元に届くことになるだろう。

さて、この「絵画転じて斬新なオブジェ」に変化したこの作品。いったい次は地球上のどこに現れるのか? 神出鬼没の作者同様、予想もつかないところに突然出てくる気がしてならない。次なる出現を心待ちにしたい。