広島・中村奨成【画像:(C)PLM】

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打者として最初に向き合った木製バットへの適応「一番戸惑った」

 強打の高卒捕手、近年では例を見ないほど注目された金の卵。まだ表舞台で見ることないその実力は、着々と磨かれている。広島・中村奨成、打者としての現在位置は。3連覇で湧き上がる裏で、2軍施設のある山口県岩国市由宇町へ向かった。

 広島の2軍本拠地は山口県岩国市由宇町にある。マツダスタジアムのある広島市から西方へ、高速を使うと約40分ほどで到着する便利な場所だ。常に満員フルハウス、今やNPBきっての熱狂を誇る1軍本拠地とは異なり、無料で試合観戦ができる牧歌的な環境。ここで若鯉たちが鍛え上げられている。しかしこの道のりは近いようで果てしなく遠い。そこに18年の新人選手でもっとも騒がれた1人がいる。中村奨成だ。

 子供の頃から広島の野球エリートコース、名門・広陵高では1年から試合に出場。持ち前の強打に加え、捕手としても非凡なセンスを持ち、スピードも兼ね備える。しかし即戦力と言われたルーキーイヤーは、捕手というポジションやチーム事情などもあり年間を通じて2軍での生活が大半であった。

 捕手に必要とされるものは多い。キャッチングに加え、配球、インサイドワーク、そして経験。一昔前までは、捕手は守備だけできればいい風潮すらあった。しかし現代野球においてはそれだけでは良しともされない。打って守れる捕手の存在は大きいし、攻撃力も飛躍的に増加する。古田敦也氏を擁した90年代のヤクルトや城島健司氏のいた00年代のダイエー(ソフトバンク)などは良い例だろう。過去に例の少ない最強の捕手に挑もうとしているのが中村。しかし、やはり注目してしまうのは、無限大の可能性を秘めた打撃であろう。

「プロに入って一番戸惑ったのはやはり木製バットでした。高校日本代表などで木製を使ったこともあったけど、その期間も短い。子供の頃からずっと金属でやってきたので、どうしても詰まったりした。キャンプ期間中なんて本当に苦労しましたね。今は毎日、使うことによって慣れてきましたね。もちろんまだまだですけどね」

 高校通算45本、17年夏の甲子園では新記録となる大会6本の本塁打を放った。打撃なら即戦力、と大きな期待を受けて、ドラフトでは広島と中日の2チームから1位指名を受けた。

 プロ入りし注目を浴びたが、皮肉なことに、高校時代までの打撃スタイルがプロ入り後に足かせになってしまった。最近、再び言われるようになった金属バットの弊害の部分である。実際、金属バットを使用する高校野球では本塁打が増加。逆に本拠地とする阪神は長打力の少なさに悩み、過去に存在したラッキーゾーン復活などという話が出るほどだ。

記録を作ってしまったことで自ら上げてしまったハードルの高さ

「金属バットへの順応だけでなく、記録を作ってしまったのも中村にとっては大きい。それによって比較対象が清原和博さんや松井秀喜さんになってしまった。世間からの注目を嫌でも浴びる。どんなにすごい選手といってもまだ18歳ですからね。プロ入りが決まってからかなり騒がれたのも、本人は言わないですが相当きつかったのではと思いますよ」

 そう語るのは広島の水本勝己2軍監督。甲子園の伝説的打者の2人の名前を出して中村の現在位置を説明してくれた。

「間違いなく進歩しているけど、まだまだだと思う。これまでいろいろな選手を見てきましたけど、今、1軍で活躍している選手とは比べ物にならない。例えば現在、中軸を打つ丸佳浩と比べても雰囲気や力強さなどすべてで及ばない。比べるのもおこがましいくらい。でもそこまでの打者になれる可能性は十二分にある。またメンタルというか人間的な部分もしっかり成長してくれないといけないですよね」

 広島は選手を育て上げることに定評がある。現在の黄金時代を支えている選手も外国人選手以外は広島が指名した自前選手である。そういった選手を見てきた水本監督からすると、まだまだ伸び代は無限大にあると感じているのだろう。

「清原さんや松井さんとは違います。でも高卒としては他に比べる選手がいないくらい飛び抜けている。1軍でレギュラーとしてやって行くにはまだまだですが、彼の能力は素晴らしいですからね。それを伸ばせるように技術、体力、メンタルなどすべてを鍛えないといけない。我々はその手助けをしたいと考えています」

発展途上にあるプロとして耐えうる身体

「スイングがずいぶん力強くなってきた。だから課題と言われていた木製バットにも対応でき始めている。2軍とはいえ、プロの世界で結果を残していますからね。練習もしっかりやっていますしね」

 森笠繁2軍打撃コーチは中村の練習への取り組み方をあげてくれた。

「野球が好きなんだろうけど、まじめに取り組んでいます。そういうところは鈴木誠也に似ている。また体力がついてきたのは大きい。練習についていけるだけのプロの身体になってきたというのかな。もちろんまだ年齢的に身体は成長するし大きくもなる。筋力もつくだろうし打撃だけでなく、捕手の部分にもプラスになると思う。でも中村は打つだけでなく、捕手としての役割も求められるから大変。ここまでは本当に頑張っている」

 育成は難しい。昼間の試合がほとんどの2軍と比べて、1軍はナイターがほとんど。どんなに実績がある選手でも、2軍調整が長くなると1軍に合流してもまずはそのペースに慣れることが大事だと言う。

「たしかに1軍で経験を積ませることも重要。その中にはナイターでやることも含まれている。でもまだそこまでも行っていないと思う。現状ではまだまだ鍛えるべきことがあるということ。いま、やるべきことを1つずつやっていくという姿勢ですね」

「捕手としてもそうだけど三塁手としてやったら日本一の選手になれる」

 中村獲得の最前線にいた苑田聡彦スカウト統括部長が公の場所で語ったことがある。それだけ走攻守のすべてにおいての評価が高い。捕手としてやるのか、それとも……。チーム関係者にうれしい悩みを抱かせているのだけは確かである。ただしどのような道を選んでも大きなプレースタイルは我々を魅了してくれるはずだ。

「もちろんいろいろな声(捕手か野手か…)があるのは知っていますよ。でも正直、そんなのは頭にないですね。僕自身、まだプロのレベルまで達していないことは分かっている。もっともっといい選手、強い選手になるだけ。それだけです」(中村)

 広島伝説の名選手、山本浩二氏、衣笠祥雄さん。2人で1040本塁打、2923打点を挙げ、弱小と呼ばれたチームを打撃で引っ張った。広島は歴代、大技小技を絡めた攻撃形が主流のチーム。そこで右の強打者2人がクリーンアップに腰を落ち着けている姿がよく似合う。

 現在、打線の中核は右の鈴木誠也。そこに中村が加わったらと思わず想像してしまう。今後、長期黄金時代が続く可能性は大きい。広島人気の1つは、そういったノスタルジック性、不変のチームカラーを未だに感じさせてくれるからなのではないだろうか。

 1軍は他球団より一段上の強さをみせてリーグ制覇。広島の街が真っ赤に染まっている頃、秋晴れの強い陽射しの由宇には、夏の甲子園と同じようなギラギラした雰囲気が溢れていた。背番号「22」をマツダスタジアムで見る日もそう遠くはない。(山岡則夫 / Norio Yamaoka)

山岡則夫 プロフィール
 1972年島根県出身。千葉大学卒業後、アパレル会社勤務などを経て01年にInnings,Co.を設立、雑誌Ballpark Time!を発刊。現在はBallparkレーベルとして様々な書籍、雑誌を企画、製作するほか、多くの雑誌やホームページに寄稿している。最新刊は「岩隈久志のピッチングバイブル」、「躍進する広島カープを支える選手たち」(株式会社舵社)。Ballpark Time!オフィシャルページにて取材日記を定期的に更新中。