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●入社1年目で生放送ドッキリ

フジテレビ系バラエティ番組『めちゃ×2イケてるッ!』が、いよいよあす31日(18:30〜23:40)の5時間スペシャルで、21年半の歴史に幕を閉じる。この長い歴史の番組に、前身から含めて四半世紀にわたって携わってきたのが、西山喜久恵アナウンサーと佐野瑞樹アナウンサーだ。

2人ともアナウンス歴20年を超える大ベテランだが、入社当時からアナウンサー人生をともに歩んできた番組が終了するという現実に、テレビ画面からは想像できない大きな喪失感を抱えていた――。

○たむけんが知っていたのに…

――まずは『めちゃイケ』が終了するというのを聞いたときの心境を教えてください。

西山:同期の戸渡(和孝)チーフプロデューサーに「時間をくれ」って言われて直接話を聞きました。社内にいると、なんとなくそういった雰囲気は耳には入ってたんですけど。すごく寂しいなという思いはもちろんですけど、『オレたちひょうきん族』や『笑っていいとも!』といったお化け番組も終わっていくわけで、そこに『めちゃイケ』が来てしまったんだというのが率直な気持ちですね。

佐野:僕は関係者の中で唯一事前に連絡されず、OAで初めて知ったので…。最後の「抜き打ちテスト」のときにそれを暴露されるっていう演出のためとは言え、どうして事前に教えてくれないのかと後で聞いたら、戸渡さんが「その方が面白いだろう」と。たむけんさんが知ってるのに、僕に教えてくれないというのは理不尽だろうと思いました(笑)。『めちゃイケ』らしい話ですけど、最後の最後ですからね(笑)。でも、おいしくしてくれてありがとうございますという気持ちもあります。

○どんどん顔色が悪くなっていく

――前身から含めて、最初に番組に携わったのはどんな形だったんですか?

西山:私は『新しい波』(1992〜93年)でナインティナインさんをはじめ、皆さんが、ここからきっかけをつかみ始めたというところからご一緒させていただいてるんです。

佐野:僕は入社した94年から95年にかけての『とぶくすり』の年越し特番でドッキリにかけられたんです。その日は夜勤だったので、緊急のニュースがあった場合に読んでもらうからって、当時河田町のフジテレビの報道センターに座ってずっと待ってるんですよ。そうすると、岡村(隆史)さんから「佐野くーん、ニュースあるんでしょ?」って振られて、僕の同期の当時ADだった伊藤君が走って渡してきた原稿を読むんですけど、「高知県○○市で●●がありました」と読んで原稿をめくっても、また「高知県○○市で●●がありました」って同じ原稿なんです。それで「佐野くーん、同じこと2回読んでない?」って言われたので、「あっ、失礼いたしました」と言ってその次の原稿をめくると、また「高知県○○市で●●がありました」って(笑)。それで「えーと、えーと」って混乱してると、岡村さんから「次はちゃんと原稿できてから頼むね」って言われて、中継が終わると、小松(純也)さんが同期のAD・伊藤君を叱りつけて「お前、何やってんだ!こんな同じ原稿渡しやがって! 佐野、ごめんな。こいつのミスだ」って言うんです。もうビックリして。それで、その何十分後にまた岡村さんから振られて読むと、今度は「埼玉県○○市で●●がありました」、めくるとまた「埼玉県○○市で●●がありました」って同じ原稿が出てきて、「佐野くーん、何やってんの?」と言われるというのを、たぶん3、4回やりました。

『めちゃ×2イケてるッ!』1996年10月19日の第1回放送より (C)フジテレビ

西山:そうそう! 私はそれをスタジオで見てました。佐野が「あれ?あれ?」って言いながらどんどん顔色が変わっていって(笑)

佐野:その番組のエンディングでは、何カ所かの中継先の人がみんなチェッカーズの格好をして歌うということで、僕もピンクの上下の衣装に着替えて踊ったんです。「もっと振りを大きく!」なんて言われるんで必死に踊ったんですけど、中継先もやっているというのはウソで、僕だけ踊ってたという…。生放送が終わって、地下のラ・ポルト(社員食堂)で打ち上げをやるからということで行ったら、(片岡)飛鳥さんが司会をやっていて、「今日のヒーローの佐野くんです!」と紹介されて、真ん中の舞台に上げさせられて、何が何だか分からず、そこでドッキリだったと知らされたんです(笑)

――報道センターでバラエティ制作の小松さんが仕切ってる時点で怪しいじゃないですか(笑)

佐野:今思うとそうなんですけど、あのとき、OAの画面には「この人は騙されてます」ってずっとテロップが出ているんで、報道センターのモニターも全部落とされていたんです。その何日か前に飛鳥さんと小松さんに呼ばれて10分くらい適当な世間話をするだけで「何だったんだろう?」というのがあったんですが、それはこいつが騙しやすいかというオーディションだったんですね。見事に、適性があったということです…。

●めちゃイケメンバーは親戚のような関係

○ニューヨーク赴任中も呼び出される

――お2人とも四半世紀のお付き合いなんですね! ご自身が関わられた企画やコーナーで、特に印象に残っているのは何ですか?

西山喜久恵1969年生まれ、広島県出身。上智大学卒業後、92年にフジテレビジョン入社。『めちゃ×2イケてるッ!』のほか、『笑っていいとも!』『プロ野球ニュース』『スーパーニュース』や『FNS27時間テレビ』などの特番を担当し、現在は『めざましテレビ』の「きょうのわんこ」ナレーション、『めざましどようび』などを担当。

西山:私の場合は特番とか『27時間テレビ』とか、ここぞっていう時に駆り出されるみたいな感じで、そういう意味では中居(正広)さんとナイナイさんが"ワンハンドレッド"で総合司会をやられた『27時間テレビ』は、もう忘れられないというか、すごく楽しかったですね。

――西山さんは『27時間テレビ』の進行を何度もやってるじゃないですか。その中でも『めちゃイケ』の『27時間』は何が違ったんですか?

西山:もうずーっと楽しかったですね。『27時間』の時、アナウンサーはだいたいアナウンス室に戻って休んだりするんですけど、その時はタレントクロークの楽屋を1室だけ使わせてくれて、布団を敷いて私も佐野も一緒に雑魚寝するみたいな。今までやった『27時間』の中で、一番寝なかったですけど、すごい楽しかったですね。

――佐野さんと言えば、やはり「抜き打ちテスト」ですよね。

佐野:おもしろ解答の発表の仕方は、飛鳥さんや戸渡さんに、ずーっとレクチャーされていたんです。「I have a pen.」って言ったら、「違う違う。I have a pen!」、「えっと、I have a pen!」、「違うよ、I have a pen!」って、何度も何度も直されて。あとは、答えがドン!と出たら一拍置くとか、細かく細かくレクチャーをされていたんで、打ち合わせは5〜6時間かかるんです。だから、答え合わせの日は、岡村さんと僕だけが朝の6時半とか7時に入って、14時ごろから収録するという感じでしたね。

――真面目に紹介しなきゃいけないけど、おもしろ解答だから、笑いを堪えるのは大変だったんじゃないですか?

佐野瑞樹1971年生まれ、静岡県出身。早稲田大学卒業後、94年にフジテレビジョン入社。『めちゃ×2モテたいッ!』から担当する『めちゃ×2イケてるッ!』のほか、『めざましどようび』『みんなのKEIBA』『キスマイ超BUSAIKU!?』『ネプリーグ』『国分太一のおさんぽジャパン』などを担当。

佐野:本番で1回か2回吹き出して笑っちゃったこともありますね。なるべく堪えてますけど、答えた本人がそこにいるじゃないですか(笑)

――佐野さんはニューヨーク支局に赴任されてた時期もありましたよね。そのときは『めちゃイケ』からも離れていたんですか?

佐野:その期間中も、「抜き打ちテスト」や「シンクロナイズドテイスティング」があると、年に2〜3回戻ってきてたんです。当時のバラエティ制作局長の港(浩一)さんと、ニューヨークのFCIの副社長が同期だったので、その都度呼ばれて「佐野、お前、日本にすぐ帰れ」って言われて。

――他の人では代わりができないということですよね。

佐野:そういう風に思っていただけたことはありがたかったです。

○片岡飛鳥総監督にさんざん怒られた

――先ほどから名前が挙がっている総監督の片岡飛鳥さんですが、お2人にとってどんな存在ですか?

西山:なんかね、うまいんですよ。私の場合はここぞという時に「あれはお前にしかできなかったと思う」とか、すごく褒めてくれるメールをくれるんです。あれだけの方なので、褒められるとすごいうれしかったし、やっぱりまたみんなと一緒にいろんな企画をやりたいという気持ちにもなりますよね。みんなで打ち上げに行こうとか、食事しようとか一切しない人なんですけど、『27時間テレビ』の後は「これは絶対にご飯に行かなきゃ嫌だ」って駄々をこねて、佐野も一緒に行きましたね。

佐野:そしたら、プレゼントをくれましたよね。入社年のワインでした。

西山:西山:そうそう!

――優しい面もあって、厳しい演出もあるんですね。

佐野:僕はさんざん怒られたというか、明確に指示を受けるので、ずっと怖かったです。若い頃ってちょっと勘違いしてるじゃないですか。だから、自分もちょっと面白いこと言ってやろうみたいなところがあって、笑わせようとすると、「お前、芸人か? お前、そこで飯食ってんのか? 他の奴らはみんな必死でお笑いやってんだぞ? お前はやらなくたって給料もらえるじゃないか」と怒られたことがあります。それから、ナレーションの収録で、飛鳥さんは僕のしゃべりと同じ秒数ぴったりの原稿を作ってくるんですよ。だから、尺に入らなかったり、ずれちゃったりして、NGを出すのは完全に僕の責任なんです。なので、すごいプレッシャーでした。なぜできないんだと言われても、言い訳ができない。次の仕事が出張で、飛行機に乗らなきゃいけない時に、必死でギリギリまで収録して、(収録スタジオの)IMAGICAを飛び出して行くなんてことも、何回かありましたね。

○「キクちゃんとは同期だ」

――めちゃイケメンバーの皆さんとの印象に残っているエピソードはありますか?

西山:私はありがたいことに、ナイナイさんや極楽とんぼさんが、「キクちゃんとは同期だ」と言ってくださって。それが本当にうれしくて、本当に芸人さんと1アナウンサーじゃない関係性を築けたのは、めちゃイケメンバーの皆さんなんです。『とぶくすり』が始まる前から知っているので、みんなの活躍がすごくうれしいし、またこうやって成長していったのもうれしいですし、家族とまではいかないですけど親戚の人にみたいな感じでメンバーの皆さんとはいまだに接してますね。この前、「ネタNo.1決定戦」で仙台に一緒に行ったんですけど、いろんなことを走馬灯のように思い出してきて…。

佐野:僕も、めちゃイケメンバーの皆さんは他の芸人さんと全然違いますね。何も気をつかわないです。なにも言わなくてもなんとなく分かるというか、収録も親戚の集まりに行ってるみたいな感じですね。

●『いいとも』『SMAP×SMAP』も見送って…

○なんでこんな面白い番組が終わるんだろう?

――『めちゃイケ』がここまで続いた理由は何でしょうか?

西山:面白いことを追求する中で、その中にドラマがあるじゃないですか。加藤(浩次)さんが第1子を出産したときの密着とかやっぱり鮮明に覚えていますし、みんなが成長していく過程でいろんな面を見せていくというのは、ただのお笑いの番組じゃないですからね。もちろん、演者さんたちの面白さもあるんですけど、そこにちょっとしたドキュメンタリーも加わっていたので、みんなが「『めちゃイケ』っていいね」って言ってくれてここまで続いてきたのかなって思いますね。

――西山さんは『笑っていいとも!』のグランドフィナーレや、『SMAP×SMAP』の最終回など、歴史的な番組の最後に立ち会うことが多いですよね。

西山:『スマスマ』が終わった後に、社内で「おくりびと」とか言われて…。でも、すごい番組が終わるのは複雑ですね。「ネタNo.1決定戦」が終わって、メンバーのみんなが仙台の皆さんと握手しているのを遠くで見ていたんですが、「はぁ、この光景をずっと見ていたいなぁ」って思うくらい、あの人たちのパッケージが大好きなんで、すごい寂しかったですね。

佐野:僕も、最後の抜き打ちテストをやったときに、こんなに面白くてみんなが必死に作ってるのに、なんでこの番組終わるんだろう?って思いました。例えば、1個オチがあって、そこに向かってみんなで集中してやり遂げるみたいなところは、本当に真面目です。真面目に面白がったり、ふざけたりしてきたんです。そういうことを何度も何度も繰り返してやってきたことが支持されたんだと思いますね。あと、制作側の手法もそうでしょうし、お笑いに関しても、時代を引っ張って世間がついてきたっていうところがあると思います。

○『めちゃイケ』が終わる時は会社を辞める時と…

――では最後に、あらためてご自身にとって『めちゃイケ』とは何ですか?

西山:仕事だったんですけど、楽しくって仕事であることを忘れる場所でしたね。

佐野:僕は正反対で、しんどかったです(笑)。資料を準備するようなことも多かったので。でも、しんどかったけど楽しかった(笑)

西山:『27時間』のとき、岡村さんが起きっぱなしでラストに具志堅(用高)さんとボクシングだったじゃないですか。みんな、岡村さんがもつかって言われてたんですけど、私は佐野の声がもつのかと、すごく心配してたんです。でも、見事にやり切ったので、すごいなと思いました。

佐野:例えば、「めちゃ日本女子プロレス」も、リハーサルから取材してメモを書き込んだりしてて、だから作業が多いのかな…。でも一番大変だったのは「矢部浩之の持ってけ100万円」でバボちゃんの中に入ったときですね。フジテレビの前で、バスから降りてきた人が出てきたタイミングで100万円を落とすという役割だったんですけど、戸渡さんが「あー人数少ないから次のバスね」って、それを4回くらいやったんですよ。もう中は暑いし、ちゃんとやらなきゃ怒られるし、地味にしんどかった…。あれ、アナウンサーとして、このエピソードでいいのかな?

――大丈夫です! 番組が終了すると、そのプレッシャーから解放されるという気持ちも、本音ではあるんですか?

佐野:ありますね(笑)。でも、それだけの番組だったということです。

――『めちゃイケ』が終わってしまったら、今後の生活が想像できないんじゃないですか?

佐野:だから、もうアナウンサー引退でもいいんじゃないかと思ったんです。

西山:私も正直、そう思ったんです。仙台の仕事が終わって、「あぁ私、なんかやることなくなっちゃったなぁ」っていう喪失感があったんです。自分の役目を1つ終えたくらいの感じになりましたね。

佐野:前から『めちゃイケ』が終わるときって、会社を辞めるときかなと漠然と思っていて、いよいよその時が来たかっていう感じがありますよね。自分の存在意義を考えるというか…。

――えー!!!!

佐野:というわけで、この2人は4月からフリーになります。

西山:ちょっとちょっと!(笑)