17日、TBS「爆報!THEフライデー」では、1993年7月、脳腫瘍により32歳の若さでこの世を去った元広島カープ・津田恒美氏の長男で、29歳になった大毅氏の現在を放送。恒美氏を「憎んでた」という大毅氏が、心変わりのきっかけや現在の活動を語った。

「炎のストッパー」として活躍した恒美氏の死から1年、当時5歳だった大毅氏は始球式に登場し、マウンドから見事なフォームでボールを投げ、その将来に大きな期待を抱かせた。だが、番組のカメラに「父親が津田恒美じゃなかったら自分が苦しい思いをすることもなかった。正直、憎んでた」と明かした大毅氏は、亡き父の呪縛に苦しめられてきたという。

恒美氏の死後、ファンの間でその勇姿が語り継がれるほど、大毅氏には無責任なプレッシャーがかかるように。野球をやっても「父がピッチャーだったから『お前ピッチャーやれ』みたいな感じで気づいた時にはピッチャーやってた」という大毅氏。恒美氏の息子というだけでピッチャーを任されたり、父のような実力がないにも関わらず周囲は恒美氏と同じものを求めた。

「周りの目があるから野球は続けなきゃいけないのかなっていう脅迫観念みたいなところもあった」という大毅氏は、「父みたいなポテンシャルも持ってなかったですし、すごい惨めに思った」とも。野球は大学卒業とともに辞め、広島から逃げるように埼玉の冠婚葬祭業の会社に就職した。

だが、ある時、恒美氏のファンに声をかけられた大毅氏は、そのファンが山口県まで墓参りに行ったことを聞かされると、死後20年以上経った今も尚ファンに愛され続けている父の存在を再認識。ファンに恩返しをするため、恒美氏の記念館を作ろうと決心した。以後、仕事を辞め、自分の足(自転車)で日本中をまわって全国のファンと触れ合いながらPRに勤しむ日々を送り、その寄付はなんと2600万円にも達しているという。