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「組織として個人として『先送り』を戦術として成功させる最大ポイントは、ロングスパンで練った戦略とほかにない独自の“武器”を持つことです」

そう語るのは元外交官の原田武夫氏である。外務省で北東アジア課(北朝鮮班長)などを歴任したキャリアから言えるのは、外交における真剣勝負の駆け引きには、ビジネスにも応用できる鉄則が数多く含まれているという。それを知れば、先送りを戦略として実行することができる。これは、やむをえずに先送りするのとはまったく異なるものなのだ。

■先が読めないから先送りができない

「残念ながら、日本人は政治家にしろ、ビジネスマンにしろ、交渉のテーブルで先送りという行為をあまり戦術的には行使できません。一方、アメリカなどの国は巧みに先送り戦略を駆使して、関係する相手国を翻弄します」

具体的にどのような戦略を駆使しているのか。原田氏は自身が外交官として直接現場に臨んだ2004年の六カ国協議(日本、アメリカ、中国、韓国、ロシア、北朝鮮)で起きたある出来事を説明してくれた。

「実は、合意文案がおおかたまとまりかけていたのですが、最後の最後に“ご破算”になりました。アメリカが突然NOと言いだしたのです。寝耳に水とはまさにこのこと。合意文案は、北朝鮮の拉致問題に関する言及も含まれていて、日朝関係にも影響を及ぼしうる内容でした。それがアメリカのいわば先送りによって、形にできなかったのです」

なぜ、アメリカはそのような行動に出たのか。原田氏はこう推測する。

「結局のところ、当時、その合意文案を発表することがアメリカの国益にならないという結論に及んだということでしょう。兵器開発をしているという情報のある北朝鮮と敵対的関係であったほうが、アメリカの兵器産業などが潤うメリットがあるというような。(合意文書を結んで)無理に仲良くなるより、仲良くならないほうが国益になるといった判断です。また、議長国である中国に花を持たせたくないという考えもあったのかもしれません」

自分にとってベストな状況が到来するのを待つ。不利な状況では、無理して頑張らない。六カ国という複数の国が関係する国際会議においては、一部では「譲る」姿勢も求められるが、国家戦略に関わる肝の部分に関しては決して譲らない。

「戦略的な先送り」のメソッドや「待てば海路の日和あり」の精神をアメリカなど交渉上手な国ほど持っている、と原田氏は語る。

「交渉上手な国は、日本人には信じられないほどのロングスパンで、先を読み、戦略を練ります。時間軸を持ち、10年先にはこうなるといった予測を立てているから、逆算して現状の判断ができるのです。アメリカならホワイトハウスのスタッフはもちろんのこと、国務省や民間政策シンクタンクの担当者もはるか遠い先を睨んでいます。よって、目先の利益・判断に流されることはまずありません。それは、優れた企業の経営者たちにも共通していることです」

当然、ビジネスパーソンも交渉のテーブルにつく。自社の利益をできるだけ多く得るには、やはりロングスパンの視点や思考が必須なのだ。

ところが日本のビジネスパーソンにはそれがやや欠けていると原田氏はいう。

「私が、国内企業のグローバル人材の研修などをする際、『今、この瞬間、あなたの会社で何が起きていますか』と問うと、今起きている問題とその原因となる要素を並べてくれます。ところが、『3週間後、3カ月後、3年後どうですか』と聞くと全く答えられないんです。おそらく頭の中に、先のビジョンや時間軸というものがないのかもしれません」

仕事はデキる。だから、マネジメント職にもついているのだが、ロングスパンの時間軸やビジョンを持てない。このことが、突発的な出来事やトラブルへの対処のまずさや、社員を引っ張るリーダーシップの欠如につながるだけでなく、重要な案件での他社との交渉の席で、最適な判断ができないまま結論を先送りという体裁が悪いものにつながるのだ。

「戦略的な先送り」ができない日本、できるアメリカ。その差は国民性ではないかと原田氏は分析している。

■戦略的な先送りには長期的視点が必要

「日本は、典型的なハイコンテクスト社会の国です。ハイコンテクストとは、わかりやすく言えば阿吽の呼吸で、人と人には暗黙の了解があり、言葉でそれほど説明しなくても相手に伝わる環境です。

一方、アメリカなどは対照的にローコンテクスト社会。人々の共通の知識・価値観に依存しないで、あくまで言語(説明能力や表現力など)によりコミュニケーションしていきます。つまり、話の中身をとても重視しているので、自然に理詰めで将来を展望していくことにもなります。

だから政治家や経営者は人の心をつかむシンプルで強いビジョンを語れるし、交渉にも強い。ケース・バイ・ケースで自分たちに利益をもたらす戦略的な先送りという手段を講じることも極めて上手なのです」

ハイコンテクスト社会の日本政府による、消費税10%実施の再延期も、確たるビジョンがあってしたことではなく、「選挙対策」(戦略的先送りではなく、単なる先延ばし)と指摘する声が多いのも、日本のお国柄の影響だろうか。

とはいえ、交渉時などに場当たり的な対応をして、判断の先送りをしてしまいがちな日本人でも、ローコンテクスト系の熟考習慣や、先読み習慣を身につけていけば、周囲から一目置かれる存在になれるかもしれない。

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原田武夫 元外交官
原田武夫国際戦略情報研究所代表取締役(CEO)。東京大学在学中に外交官試験に合格。12年間外務省に奉職しアジア大洋州局北東アジア課課長補佐(北朝鮮班長)を最後に自主退職。著書に、『世界を動かすエリートはなぜ、この「フレームワーク」を使うのか?』など多数。

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(フリーランス編集者/ライター 大塚 常好 写真=getty images)