かつての天才少年、伊藤涼太がレギュラーツアーに帰ってきた(撮影:米山聡明)

写真拡大

<〜全英への道〜ミズノオープン 初日◇25日◇JFE瀬戸内海ゴルフ倶楽部(7,404ヤード・パー72)>
かつての天才少年は、確かに成長して帰ってきた。10歳の時に出場した世界ジュニアで優勝を果たし、12歳99日の史上最年少で「ジョージア東海クラシック」に出場。2年後の「サントリーオープン」ではこちらも当時史上最年少記録となる14歳2か月で予選通過を果たすなどして注目を集めた伊藤涼太が、2013年のプロ転向後2戦目となるレギュラーツアーで3アンダー20位タイと上々のスタートを決めた。

インのトップから出て2つのボギーが先行するも、15番、16番の連続バーディでカムバック。17番はボギーとしたものの18番パー5をバーディとして折り返し、後半に3バーディを奪って浮上を果たした。
伊藤のデビューは鮮烈だった。アマチュアとして数多くのツアー競技に出場し、2005年には「アイフルカップ(7月28日〜31日」から「ANAオープン(9月15日〜18日)」まで6試合連続で予選を通過。その間の「アンダーアーマーKBCオーガスタ」では15歳の当時史上最年少で6位タイに入るなど、テレビ、雑誌などで大きな注目を集めた。
誰もが疑わなかった将来は高校1年生時に暗転する。左股関節を痛めて競技から離れると「感覚がずれて、そこから悪い癖がついてしまった」と特に不調はドライバーに顕著に表れた。結果を残せないようになると、レギュラーツアーの予選通過は2005年から一度もないまま、伊藤はひっそりと表舞台から姿を消した。
だが、華やかな舞台から離れても諦めずに前に進み続けていた。「今出ても通用しない」とツアーの推薦や予選会はすべて断り、進学した日本大学は中退したものの、4年時にはアメリカとタイなど海外に渡ってミニツアーで腕を磨くなど、独自の道を歩み始める。帰国後も日本の競技に数多く出場し年間40〜50試合を戦う日々。注目を集めたジュニア時代から比べれば決して恵まれた環境ではないが、「1日競技、2日競技もありますけど、自分は試合の中で良くしていきたい。試合でしか出ないミスもあるので試合に出続けるのがベスト」と実戦の場を求めてどん欲にどこにでも出向いた。
プロ転向は2013年。昨年は初めて最終予選会に進んで60位に入るなど地道な努力が実を結び、今季は下部チャレンジトーナメントをメインに戦うチャンスを得た。ここ数年は体に痛みもなく、気持ちも前向きになってきた。今大会も「初めて」という予選会をクリアして2014年以来の本戦へコマを進めた。「やっぱりツアーはいいですね」と久々の景色はさらに気持ちを明るくする。
この日のゴルフは「内容的にはひどい。ティショットは曲がるし、ほとんどのセカンドはラフから打ったけど乗ったところでバーディを決めることができた」とまだまだ評価することはできないが、表情には充実感が漂う。「中学生のころとかは何も考えていなかったけど、今は考えることだらけ」と笑ったが、苦しみも悲しみも乗り越えた元天才少年がたくましいプロゴルファーとしてそこにいた。
<ゴルフ情報ALBA.Net>

ブレーク中の今平周吾、ファンからのメールも5倍増!
うれし涙と悔しさのリベンジへ 市原弘大が3度目全英オープン出場へ闘志
全英オープン出場権争い終盤戦 リンクスに一番近いのは誰だ
ゴルフ界の川岸はもう史果? 父・良兼が1年ぶりレギュラーツアー
ステップ第7戦、優勝者が決定!現地より最高の笑顔をお届け!