真田一族ゆかりの紐と伝えられる、「真田紐」をご存知だろうか? 大河ドラマでもいよいよ天下分け目の「関ヶ原の戦い」が近付きつつあるが、歴史上、この戦に敗れた父・真田昌幸と信繁(幸村)は和歌山の九度山に蟄居(ちっきょ:謹慎の意味)を命じられたとされている。

ここで一族の生計を支え、さらに行商人などを通じて諸国の情勢を探る役目も果たしていたのが「真田紐」なのだとか……(商人に扮した忍びの者が、スパイのような役割を果たしていたのでは? とも推測されている)。

真田紐は当時、葛籠(つづら)や桐箱に巻いて結ぶなどの実用のほか、戦のときは刀の下げ緒、鎧や兜などの装着にも使われた。戦場で屍となったときにも、身に着けた真田紐でどこの家の者かを判別することができたという。

と、そんなわけで今回は戦国時代から京都で「真田紐」をつくり続けている「真田紐師 江南」15代目の和田伊三男さんに真田紐にまつわる様々な伝説をうかがってみた。

現代でも使われている真田紐



伝統的な京町家に、「真田紐」の文字を発見! 中に入ると、和田さんがにこやかに出迎えてくれた。放映中の『真田丸』のほか、今月公開の映画『真田十勇士』でも真田紐の時代考証を担当されているそうだ。
放映後はドラマファンのお客様はもちろん、真田ゆかりの忍者の末裔の方が訪ねて来られるなど、さまざまな交流が生まれているのだとか……!


店内には、真田紐がずらり。日本の伝統色がしみじみと美しい。現代の暮らしに馴染むモダンさもあり、まさに「用の美」といった趣き。


フレームに入っているのは、真田紐のルーツではないかとされているネパールの「サナール紐」。チベットなどから船で運ばれ、日本で広まったのではないかとのこと。ただし、ネパールのものは牛などの獣毛製だが、日本の真田紐の多くは木綿からつくられている。

「真田紐はいわゆる組紐とは違い、“組む”のではなく“織る”のが特長です。最狭で6mm程度ですから、おそらく世界で最も幅の狭い織物だといえます。伸びにくく丈夫なので、石などの重いものを吊り下げたり、しっかりとものを縛ることに向いています。コンビニ袋もビニール紐もなかった時代、真田紐はまさに生活に密着した実用品だったのです」と和田さん。

茶の湯で道具を入れる桐箱を結んだり、和服の帯締めや腰紐といった伝統的な用途のほか、現代においても、カメラのネックストラップ、ペットの首輪やリード、自転車のハンドルに巻くなど多様なシーンで使われているという。


奥に織り機があり、作業の様子も少しだけ見せていただくことができた。草木染めした糸を、手機(てばた)で織っているのは全国でも「江南」だけだそう。糸を染めて乾かすのにひと月、整径作業にひと月、織るのにひと月と、気の遠くなるような手間ひまがかかっているのだ。


真田紐は、たて糸を通常の倍以上で織るのが特徴。一重織りと袋織りがあり、袋織りのほうがさらに分厚く丈夫になるそう。


真ん中の櫛のような部分は竹筬(たけおさ)といい、現代ではもう製造されていない貴重なものだそうだ。この微細な隙間を糸が通ることで、たて糸の密度を一定にするなど多くの役割がある。美しい仕上がりに欠かせないパーツなのだとか。

さらに、和田さんによれば、「真田紐は秘密を守る暗号、現代でいうパスワード的な役目も果たしていたんですよ」とのことでビックリ。

「たとえば、茶の湯では道具を仕舞う桐箱に真田紐を結びますが、流派や所有者ごとにそれぞれオリジナルのものを使います。細かな配色は公にされていないので、真贋を見極めたり、中身のすり替えを防ぐために一役買っていたのです。表面からは見えない横糸に特徴的な色を入れておくなど、いろいろなやり方があるんですよ。結び方も、一度解くと同じようにできない特殊な方法を工夫したり……」

真田紐はこのように、秘密にされてきた部分が多いそうだ。そんな奥深く、謎めいた存在であるところにも魅かれるものがありますね……。

真田昌幸の甲冑にも



こちらは、現在は上田で展示されているという、昌幸の甲冑。

「手首と足首に巻いてあるのが真田紐です。戦場から生きて帰還した甲冑は縁起がいいので、家臣に与えたようです。しかし、実際に使用したものなので泥だらけ、傷だらけとなっていたはずですよね。真田紐も当然汚れていたはずで、後に付け替えたものではないか?といわれています」

「手首と足首に巻いてあるものは、当時のいわゆるスタンダードな柄なんですね。一方、前垂れとコテの縁部分にも、パイピングテープのような要領で真田紐が縫い付けてあります。こちらは簡単に取り外せないこともあり、当時のものである可能性が高いです。『渋松葉』という深いグリーンの真田紐なのですが、昌幸が好んだ色だったのではないかと推測されています」


上から、「松葉」「渋松葉」「萌黄」の真田紐。いずれも、縁起の良い松葉の色を表している。「松葉」は深みのある青緑色、「萌黄」は春先に萌え出るやわらかな萌黄。そして、昌幸が好んだ(かもしれない)といわれる「渋松葉」は年月が経過し、渋みを増した松葉色のことだ。ドラマのなかの昌幸のイメージにも、まさにぴったりですよね!? 長寿の象徴でもある松葉色は、戦に赴くとき、身に着けることで士気を高めてくれたのかもしれない。

真田信繁が愛用した紐は赤ではなく紺?



さらに、信繁が愛用していたのは紺色の真田紐だったのでは?という説もあるそう。
こちらは、信繁使用の馬具(京都の豊国神社所蔵)の資料写真。なるほど太い紺色の真田紐が使われている。ただし、この馬具は祖父の代から真田家にあったものを信繁が譲り受けた可能性が高く、どの時点で着けられた真田紐かははっきりとはわからないそう。

ちなみに、真田=赤というイメージをお持ちの方も多いと思うが、甲冑などの装備をすべて燃えるような赤で統一したのは、実は「大阪の陣」からなのだそうだ。


このように、刀を何者かに奪われないよう、身体に結わえる役割も果たしていた。また、敵に襲いかかられた際に、真田紐で敵の刀を受け止め、なおかつ紐で絡めとって奪い取る……といった技もあるという(おもに、忍びの者が使うことの多い技とのこと)。


これは、和田さんの祖先(佐々木六角という戦国大名の家臣)が信長と戦ったときの刀だそう。柄に「浪人結び」という結び方で、真田紐が巻かれている。「大名結び」ともいわれ、見映えはするが実践には向かないので、実際には刀を抜くことがない立場の者がこの結び方をすることが多かったという。


裏側を見ると、血判状に自らの指を切って血で拇印を押すための小刀が装着されていた!

と、そんなわけで、ドラマティックな物語を秘めた「真田紐」の世界をご紹介した。真田紐を知れば知るほど、ドラマのなかでどのような描かれ方をしているのか、なんだか楽しみになってきた。

「江南」は営業時間内なら予約なしの訪問もOKで、量り売りもしているそう。お土産として、たとえば昌幸ゆかりの「渋松葉」の真田紐を求めてみるのもおすすめ。自分らしい使い方で、真田紐を暮らしに取り入れてみてはいかが?
(野崎 泉)