ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんの対談。今回は映画『ゴーストバスターズ』について語り合います。

時代性や社会性があるのか、ないのか


飯田 リブートした『ゴーストバスターズ』、お気楽映画だったね。もっと構えず生きようぜ、肩の力抜けよ、っていう作品。
 冴えない物理学者のエリンがその昔友達のアニーといっしょに書いたオカルト本のせいでコロンビア大学のテニュア(終身雇用)を逃しかけて勝手にAmazonで売ってるアニーのもとに取り下げてもらいにうさんくさい大学に行くとアニーはホルツマンというあやしいパンクスみたいな発明女といっしょにおばけの研究しててこりゃだめだと思うが、エリンのもとに昔書いた本を読んで「幽霊が出た」と言う屋敷の人間を紹介したら取り下げてやる、と言われてみんなでその家に。まじで地下室から幽霊が出てくるのを見て大興奮、それをYouTubeにアップされてみんな大学から追い出され、中華料理店の二階を根城に、ゴースト退治に邁進していく……と。
 社会性とか政治性をなるべく考えさせない、感じさせない、虚構らしい虚構にするためにものすごく配慮されている作品だと思った。主人公もゴーストを呼び出す男も「冴えない」「認められない」という動機。そんなに重たくない。しかもお互いその境遇をネタにしているところがある。経済的に困窮しているとか移民だとか失業者だとかなんかのマイノリティだとか資本主義社会のせいとかそういうのがまったくない。服がださいとか頭が悪いとかそのていどの負のスティグマ。ゴーストバスターズの事務所で働くことになる唯一の男性であるケヴィンはイケメンだけど事務仕事がまったくできないあっぱらぱーで、ADHDかもしれないけど深刻にはしてない。本人がまったく悩んでない。
 オリジナルの『ゴーストバスターズ』が時代を超えたマスターピースになっているからこそ、今回のリブートは時代性とか社会性を排除しようとしたんじゃないか。普遍的に楽しめる作品にしよう、と。小ネタ満載で「オタクがつくった映画だなあ」と思ったけど、まあ、スタートレック、バットマン、ジョーズ、といった具合に小ネタの大半も、このあとの時代でもアメリカでは通じるネタを選んでいる。

藤田 1984年の『ゴーストバスターズ』のリブートなわけですが、主人公のエリンとアニーの書いた本が『過去からの幽霊』というタイトルで、この映画自体が、80年代のノリの幽霊が蘇ってくる話だった。主人公たちが実に良くて、理系女子のオタクで、中年になっている。その四人組には、クリス・コロンバス監督の『ピクセル』を連想しました。ピクセルではもとゲーマーの中年が活躍するけど、こっちはそれの女性版という感じかな。
 ただ、社会性とか政治性が、ないっていうわけでもないと思うんですよ。猿渡由紀さんの記事によると、『ゴーストバスターズ』をめぐる論争が、終わらない。映画の北米公開直後から、主要キャストのひとりレスリー・ジョーンズのもとに、差別や嫌がらせのツィートが相次ぎ、ジョーンズは、アメリカ時間18日(月)夜、ついにツィッターをやめると宣言したのだ」とのことで、アメリカにおいては、かなり挑発的に受け取られていると推測されます(http://bylines.news.yahoo.co.jp/saruwatariyuki/20160720-00060158/)。町山智浩によると、行っているのは「オルタナ右翼」と呼ばれる勢力で、政治的な文脈もあるようです。

飯田 いや、それは困った視聴者側の問題であって、制作者側の意図ではないでしょ。レスリーだって人種がどうとかをテーマにしていないコメディに出たと思っているからこそ差別発言の嵐にショックを受けているわけで。

藤田 作品全体は、コメディのテイストですね。割と、小ネタが効いていると思いました。監督のポール・フェイグはコメディが得意な人で。今回も、モテない理系オタク中年女性たちやその他の人物が、ユーモラスかつ愛情も持って書かれていましたね。

飯田 コロンビア大学を追い出されたエリンがずっと「MIT」って書いてある服を着てておかしかった。ツナギ着てる連中がDEVOをネタにするとか、スライムでべちょべちょになるみたいな小学生並みの笑いも良い。
 ホルツマンの発明のガレージ感がいいよね。21世紀的に「メイカーズムーブメント」とかあるのに全然そういう今っぽさはない。3Dプリンタとかは出てこない。
 設定はツッコミをはじめるとキリがない。そのていどのリアリティレベル。ホテルのスタッフやってる男が簡単にニューヨークめちゃめちゃにするような装置をつくれたり、動機が「バカにされて生きてきた」くらいの「え、そんなもんすか?」だったり、ゴーストはピルグリムだけど人々を襲う必然性があんまわかんないし、敵の内面がほとんどからっぽ。自殺したのに「カーク船長みたいな格好してるやつ」って言われたり、すげえ軽い扱い。

藤田 重要な主題的な側面を言うと、悪役の男はいじめられて世間を恨んだけど、主人公達はいじめられたり疎外されたけど楽しくやっている。それは、そのときに助けてくれた友達たちがいたからであるという違いがある。女性同士の友情の重要さを、『セックス・アンド・ザ・シティ』的なのと全然違う形で描いた。主人公達の服のダサさとか、いいですよねw

911以後のニューヨークをぶち壊すギャグ映画の意義



飯田 こういうおばかな映画がニューヨークでできるようになったんだなという感慨もある。「あ、ニューヨークで高層ビルぶっ壊しまくってももう全然平気になったんだなあ」と。911から15年経つわけだよね。911で死んだひとの幽霊でもおかしくなかったけどそうはしなかった。911を連想させて辛気臭さを加えたりしたらゴーストバスターズじゃなくなってしまうので、すごくよく考えて何も考えさせないようにしているというのは、そういう意味。
 ここからネタバレするので観てない人は飛ばしてください。

 核兵器が出てくるじゃないですか。その核兵器はゴーストバスターズのホルツマンが作れるレベルで、しかも簡単に盗まれちゃうという、『バタリアン』クラスに核兵器の扱いが軽い。ほんで怪獣みたいに巨大化したゴーストを追っぱらう。あれはギャレス版『ゴジラ』のパロディなのかな?
『シン・ゴジラ』の赤坂の「ここがニューヨークでも使用すると彼らは言っている」を思い出して笑ってしまった。『シン・ゴジラ』とあわせて観るべき映画です。「あ、NYでも核兵器使うってこういうレベルのことか」って……。
 
藤田 NYでこれやるのか、ってのは、ぼくも思いました。
 恐怖の対象であるゴーストが、実は大して怖くない、みたいなギャグ(実は全然死んでいない)を繰り返していたので、「恐怖」をどう扱うのかについての批評的な態度があると言えば言えますね。911から15年経ったわけですから、こういうギャグでNYぶっ壊す作品もようやく受けいれられる余裕が出てきたのですかねぇ。911の攻撃を受けて、ショックで、大量破壊兵器があるぞってビビッて、イラク戦争を始めたら、大量破壊兵器はなかったという現実がありますが、ちょっとそういうのをからかっている印象を受けます。
 核兵器の扱いが軽いのも確かに気になりましたね。ぼくも『ゴジラ』へのオマージュは感じました。吹き替えで観たんですが、「臨界」とか「原子炉」とかって単語が、ゴーストバスターズに必要とは思えないほど出てきたのは、ちょっと「恐怖」と関係する主題なのかもしれませんね。幽霊の正体見たり枯れ尾花だよ、気楽に行けよ、っていうメッセージかもですね。

「政治的な正しさ」と「息苦しさ」



藤田 本作のPC(政治的正しさ)的な側面について見ていきたいのですが…… まず、ヒーロー達が女性になっているという性別の逆転がある。
 女性、黒人、アジア人とか、PC的な題材を扱っているようだけれども、『ズートピア』に感じたようなPCの息苦しさがこちらにはなかった。PCの息苦しさって、クリント・イーストウッドが批判してしまうほどで、トランプへの支持の心情的な背景にもあるようで、アメリカでは大問題になっているらしいんですよ。その文脈で観ると、本作のバランスのよさが分かる。
 メンバーの一人の黒人女性が、ライブ会場にダイブしたときに、モッシュしてもらえなくて、落とされて、「私が女だからか黒人だからか」ってキレるギャグを入れるところとか、突き放し方の按配がいいんですよね。

飯田 白人のイギー・ポップも拒否られたことあるよ。全力ダイブしたのに受け止めてもらえなかったことが。

藤田 主人公達を、男性から女性に変えたり、黒人を入れたりしているけど、それは全然女性に媚びているという印象はなかった。身体はいいけど頭が空っぽな男の子を四人が事務所で雇うわけだけど、「ああ、よく男の願望として描かれる、頭が空っぽで身体がいい女性をひっくり返すとこうなるのか」と思って見ていました。でも、別に腹が立つものではない。松江哲明さんもわざわざ「僕自身はまったく不快ではありませんでした」とちゃんと言っている(http://realsound.jp/movie/2016/08/post-2590.html)。確かにぼくが見てもかわいい。そして、スタッフロールで彼が活躍して全部(?)持って行った感すらある。
 もっと不快かなと思ったけど、そうではない。それは監督の力量の問題なのか。あるいは、メジャーな作品における女性の扱いが不当なものが「多すぎる」ような状態だからこそぼくらはこういうのを例外的なカウンターとして受け入れられるのか。それとも、ぼく自身に別にマッチョな男性になろうという価値観がろくにないからか、よくわかりませんが。

飯田 ケヴィンとホルツマンのネジのはずれっぷりはよかったね。今年のベスト映画にあげろと言われても挙げないけど、世の中にはこういうほっとする映画が必要だと思います。

80年代的なものの亡霊を蘇らせよう!



藤田 画面のことも少し話したいのですが。最近のハリウッド大作のように、あまり画面がぐるぐる動かないようなカット割をしていました。FIXで喋る人物にいちいち画面を切り返すのを執拗に繰り返すのとか、ちょっと過剰なほどで。80年代の映画の再現を画面作りや編集のレベルでもやっているのかな?
 結果として、喋りの内容やそのときの演技に重点が置かれているように見えるのと、躍動は全部ゴーストの描写に振り分けられている感じが出ていた。蛍光色のゴーストたちが暴れるのは、お祭りで楽しいですよ。
 3Dの使い方で面白かったのは、画面が意図的に普通のサイズより小さく映写されているというのかな。オバケと戦うシーンのオバケとレーザーとネックレスなどだけが、スクリーンの外に(つまり、通常時に設定された枠の外まで)映写されていたと思うんですよ、見間違いでなければ。その工夫は、ちょっと面白いなと思いました。

飯田 そうなんだ。僕、2Dで観たので印象が違いますね。オリジナル版はCGが発達する前の映画だから「どうやって撮ったんだろう」っていう部分でのおもしろさもあり、実在感もあり。それがCGになってどうかなと思っていて、途中までは「あー軽いなあ、こりゃ微妙だなあ」と思ってたら怪獣化して日本の特撮みたいなカット割りをしはじめ、あ、CGでもこれならいいかなあ、っていう納得のさせかたはあった。後半のゴースト大量出現もお祭り感があり。正しくゴーストバスターズだったなと。

藤田 80年代の亡霊のような軽薄なノリが現代に蘇ってくる意義を感じさせてくれる、意欲的な作品だったと思いますよ。時々、北野武の映画じゃないかと思うようなジョークも出てくるし。なんか、観終わったあとスッキリする映画でしたね。

飯田 主人公も悪役も重たすぎない「くっそー、認められたいぜ」という、誰でも持ってる動機で動いていて、しかも不遇の理由は他人のせいにできる程度のシリアスさだし。心が弱っているときに観たら意外と救われるんじゃないかと思いました。
 ちょっと不思議に思ったのは、あんま子どもが逃げたりとかないじゃないですか。子ども向けの面もあるはずだけど、ゴーストに子どもが襲われてピンチ、みたいなのってやんないんだなあって。

藤田 中年だけにターゲットを絞ってるのかなぁ……? ネタ的に、子どもが見てもよくわかんないですよねw

飯田 「お父さん、あれ何?」って聞いてもらうというファミリームービーなのでは。

結末で言われていたあの一言は何?


飯田 予想を言うと、次回作はアフリカ・バンバータが出ると思います。ラストで「ズールー」って言っていたから。で、ニューヨークでしょう。それバンバータ以外いないでしょ?

藤田 あのラスト、ちょっと唐突でしたよね。どういう意味なのか、ちょっと考えちゃって。吹き替えでみたので、うまく聞き取れなかったんですよ。ズールーって言ってました?

飯田 字幕版では言ってたよ。

藤田 なるほど。ヒップホップグループであるアフリカバンバータが中心となって組織した、ヒップホッパーやグラフィティアーティストの集団が、ユニバーサル・ズールー・ネイションですね。だとすると、グラフィティアーティストのロゴを採用するとか、ちょっと目配せしていた側面ありますし、そういうことなのかな。

飯田 ゴーストとブロンクスでラップやブレイクダンスでバトルするんだよきっと。

藤田 なるほど。そういう文脈だったんですね。それは、多分そうだと思います。

飯田 ズールーネーション自体が80年代っぽいし、可能性あると思うんだよね。ただまあ、いまズールーネーションは「バンバータがかつて複数の少年に性的暴行していた」って告発で持ちきりなので(団体を追放された)……直接的に出演するかはともかく、南アフリカのゴーストが登場してエレクトロヒップホップをやるんじゃないかと。

藤田 なるほど。日本人が観ると文脈分かりにくいけど、そういうことを言っていたわけですね、なるほどなるほど。

……ってオイ、一作目に出てきた、門の神ズールのことだよ! ズ〜ル〜!!(※皆様からものスゴイ量の批判が来たので、原稿を修正したよ!)