熊本で発生した大地震を受けて、いくつかテレビCMが、ACジャパンに差し替えられた。

ACの知名度をあげたのは、5年前の2011年3月11日に発生した東日本大震災だろう。ほぼすべてのスポンサーがCM放送を自粛し、ACのCMに差し替えられた。

テレビでは同じCMが繰り返し放送され、“ポポポポーン”のフレーズでおなじみの「あいさつの魔法。」や「こだまでしょうか」といったフレーズが有名となった。さらにCMの最後に響く「エーシー」のフレーズが、耳ざわりだとして途中から消されるようになった。それだけ大量のCMが流れたことになる。

ACジャパンは元の団体名を公共広告機構といい、2009年に現在の名称に改称されている。そもそもACジャパンとはどんな団体なのだろうか。

ACジャパンの歴史は、1971年に大阪で発足した関西公共広告機構にはじまる。前年は大阪で日本万国博覧会(エキスポ70)が開かれており、関西を訪れる人々に公共心やマナーを訴える必要性があった。さらに、日本が高度経済成長を遂げる一方で、環境や福祉の問題があらわになり、利益追従だけで良いのかという自省を各企業にもたらすことになった。

もともとCMは企業が特定の商品を売るために視聴者に向けて発するメッセージである。それとともに、広告のもつすぐれたコミュニケーション機能を公共のために積極的に機能させるため、公共広告という概念が誕生する。団体結成時には、すでにアメリカに存在していたAC(広告協議会)のモデルが参照された。CMを通して公共心の普及、啓発を目指す団体がACなのだ。

栄えある第一回目のCMとして1971年に放送されたものは、映画評論家の淀川長治が「駅でのタバコのポイ捨てを注意する」ものであった。その後、年度ごとにテーマがもうけられ、さまざまなCMが作られてゆく。

CMの内容は、交通マナー、アフリカの貧困問題、地球環境保護、車椅子とバリアフリー、体罰批判など、社会派のテーマが多い。

取り扱うテーマはまっとうであるものの、公共広告機能のCMは一部では“怖い”と評判になることもあった。いじめ問題のCMでは、白い仮面を付けた制服を来た中学生がズラリと並び「知らんぷりよりちょっと勇気」を訴える。地球温暖化のCMでは、電子音に乗せて砂で作られた親子の像が波にさらわれてくずれる様が映され「ストップ、温暖化」を訴える。いずれも夜中にテレビを見ていて遭遇したらトラウマになるような映像だ。

一般のCMは、商品のメリットや良い所を強調する。いわばポジティブなものである。対して、ACのCMは社会の負の側面を取り上げるネガティブなものであるため、余計にギャップが際立つのかもしれない。

参考文献「公共広告機構20年史」公共広告機構

(下地直輝)