銀座のシンボルと言ったら、何を思い出しますか? おそらく多くの人が「和光の時計台」と言うのではないでしょうか。ネオ・ルネッサンス様式の美しい時計台は、昭和に入って建て直されたもの。その前は「服部時計台」と呼ばれていました。服部とは、服部金太郎のこと。そう、現在のセイコーホールディングスの創業者です。

東京・銀座のシンボル「和光の時計台」



服部金太郎、別名「日本の時計王」。
もともとは明治14年、彼が21歳のときに開業した「服部時計店」という京橋のお店がきっかけでした。
お店はあっという間に大きくなっていきますが、その理由は彼の「真っ正直な性格」に、海外のお客様の信頼を得られたからだといいます。

そんな彼の少年時代のエピソードがあります。
金太郎少年が丁稚奉公にあがっていたお店が、破産しそうになったときのことです。
自らが貯めていたお金を主人の前に差し出し、こう言いました。
「これはお店からいただいた給金の残りですので、自分で勝手に使ってはいけないと思い、貯めていたものです。お店のお役に立てていただけるなら、これ以上の喜びはありません」

こうした彼の性格のおかげで、服部時計店を開業後も多くのお客様が信頼し、取引をするようになります。
関東大震災で工場の大半が焼かれてしまったときも、めげずにすぐに復興。
大正2年には、日本ではまだ難しいと言われていた「腕時計」を発売するにいたったのでした。

彼が日頃口にしていた、座右の銘とも言える言葉があります。
それは、こんな言葉。

「急ぐな、休むな、一歩前進」

少しずつ、そして正確に前に進んでいく。
まさに時計の針のような生き方をした服部金太郎。
日本の高い時計技術は、こうして出来上がっていったのですね。

文/岡本清香

TOKYO FM「シンクロのシティ」にて毎日お送りしているコーナー「トウキョウハナコマチ」。江戸から現代まで、東京の土地の歴史にまつわる数々のエピソードをご紹介しています。今回の読み物は、「時計のように生きた、服部金太郎」として、2015年9月17日に放送しました。

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<番組概要>
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パーソナリティ:堀内貴之、MIO
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