今週(4月19日〜22日)は「日本人の色と恋」をテーマに、日本特有のいろいろな色恋に関する文化をご紹介してきました。最終日の今回はそもそも「恋」とはどんな定義だったのか、そして「愛」との違いは?というところに焦点をあててみます。私たちが考えている現代の「恋」「愛」、そして「恋愛」という言葉。昔と、今と、未来は、全然違った意味なのかもしれません。


「愛」と「恋」は、時代とともに変化する?



恋をする。人を愛する。恋愛をする。
私たちは時に、「愛」という言葉と「恋」という言葉を、とても近い感覚で使います。
でも、「愛」はもともと仏教用語であり、江戸時代まで「恋」とは全く関係のない言葉でした。

あるひとつの文献には、明治時代以前に、「恋」と「愛」がどんな意味で使われていたかが書いてあります。

まず「恋」はこんな感じです。
「ある一人の異性に、身も心も惹かれること。古来は自らの意思で相手を“求める”のではなく、 “惹かれてしまう”という受け身の現象のことを示していた」
恋はするものではなく落ちるもの、といいますが、これは昔の日本人の感覚だったのですね。
逆らえない肉体的な欲望が「恋」です。

では「愛」はどうでしょうか。こんなふうに書いてあります。
「相手を好いて強く執着し、心にかかって離れ得ない心持ち。仏教的には、自分を中心において相手への執着を貫こうとする気持ち」
愛は男女間というより、親子などの間に生まれるものだったのは変わらないようですが、意外にもあまりいい意味では書かれていません。
仏教の中では「愛」は決して良いことだけではなく、執着から生まれる危険性も示唆していたのです。
「相手の幸せを祈る」というような現代の感覚の愛とは、少し違ったのですね。

明治に入り、「LOVE」という感覚がわからなかった日本人は、翻訳として「愛」という言葉をあてはめました。
しかしそれでも「LOVE」の本当の意味がつかめず、その後、「恋愛」という造語もでき上がります。

肉体的に相手を求める「恋」と、精神的に相手に執着する「愛」。
色恋と結婚は別だったのが江戸っ子ですが、バラバラで考えていた感覚を急に一緒にしたのですから、なかなか理解できなかったはず。
明治の文豪たちが「恋愛」に翻弄されてしまったのも仕方ありませんね。

文/岡本清香

TOKYO FM「シンクロのシティ」にて毎日お送りしているコーナー「トウキョウハナコマチ」。江戸から現代まで、東京の土地の歴史にまつわる数々のエピソードをご紹介しています。今回の読み物は「変化する『愛』と『恋』」として、4月21日に放送しました。

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