増沢 隆太 / 株式会社RMロンドンパートナーズ

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・名ゼリフ
自身も有名レスラーだったという父、ウォーレン・ボックウィンクルは息子、ニックに教えたそうです。

"If my partner wants to dance Jitterbug, I will dance it. If my partner wants to dance Waltz, I will dance it."

日本でも一部プロレスファンの間では有名なこのセリフは「相手がワルツを踊れば私もワルツを踊り、ジルバを踊れば私もジルバを踊る」とウィキペディアにも書かれているくらい知られています。検索すればわんさかリンクが見つかるでしょう。私と同じように、子供のころプロレス雑誌で読んだこの言葉に感化された、現オヤジたちが、こうした記事を書いているのではないかと思われます。

ここから学んだことは「自分一人ではない」「組織とは」「プロフェッショナルとは」「キャリアとは」という教訓です。つまりシナリオがあって、結果は最初から決まっているから八百長だといわれるプロレスに、なぜ人は感動するのか?いい歳したおっさんがいまだにプロレスを好きなのはなぜか?理由はさまざまだと思いますが、私はそこに人生を見、生き方に感動するからです。

・組織とは
自分一人が目立てば良いというのはプロスポーツではあながち間違いではありません。特に個人競技であれば、自分に注目を集めることはプロの務めともいえます。しかし自分「だけ」に注目を浴びるのではなく、自分とその周囲を含めた組織競技がプロレスだと思うのです。正義の味方・ヒーローレスラーが、悪役レスラーの反則を跳ね返し、最後に勝利するというだけでなく、悪役には悪役の人生があり、その「仕事」ぶりにどんどん惹かれたのがファンになったきっかけです。

誰もがヒーローになれる訳ではありません。誰もが脚光を浴びるとは限りません。スターの陰には、それを支えたり、光を増したりする脇役、裏方、そして敵役が必要なのです。どうみても悪役が心底悪人である訳がないことくらい、小学生の私でもわかりました。ゴジラやウルトラマンが本当はいないことをもって、「映画やドラマは八百長だからつまらない」とは決して思わないのと同じです。

個人競技に見えるプロレスは、敵役の悪役レスラーも含めた複合芸術だと思います。レフリーや若手までそのプロットたり得る、正に「総合」的な作品です。これって、会社など組織と同じなのではないでしょうか。

・エンターテインメントビジネス
長きにわたって当時のAWA世界ヘビー級王者だったニック・ボックウィンクルは、決して強いとはいわれませんでした。防衛戦は常に反則やリングアウトで逃げ切り。ルールで3カウント以外は王座移動無しというのが当時のAWAです。しかしニックの仕事はこうしたダーティ・チャンプぶりの結果、地元のヒーローレスラーの人気を高め、プロレス興行全体を支えていたのです。

有無を言わさず強いものが勝つのであれば、私はここまでプロレスに惹かれなかったと思います。世界最強の軍隊・アメリカ軍がベトナム戦争で負ける。地上最強陸軍である旧ソ連軍がアフガンのムジャヘディンに負けることはなかったのです。ここに戦略の妙味があり、単純な戦力差だけではない戦いの真髄を感じます。

プロレスはビジネスであり、演劇や映画と同じエンターテインメントです。総合格闘技もその説得性の頂点として強さだけにフォーカスできたのは、プロレスの土壌をうまく利用できたからだと思っています、プロレスの存在抜きに総格の隆盛はなかったと。

・ワルツかジルバ
主役/ヒーローに枷を与え、徹底的に苦しめたあげくのハッピーエンドはドラマの基本です。プロレスはそれを忠実に実現し、ダーティチャンプが客のヒートを煽り、結果みじめな敗退をする。しかし汚いことに王座は持ち帰られえしまい、全米で地元のヒーローの人気を高め、結果として興業の収入を上げ、そしてそれを独り占めすることなく、団体全体に行き渡らせること、それがチャンピオンの仕事なのです。

相手(地元のヒーロー)がワルツという戦い方をするなら、それを受け、受けた上できっちり決着をつける。ジルバで行きたいのであれば、それも受ける。どんな戦いも受けられることがチャンプだという、父の教えを忠実に実行したのがニックなのでしょう。しかし人間そこまで仕事に徹せられるのでしょうか。自分が目立ちたい、すべての関心を自分に向け、会場中からの声援を浴びたいという原始的欲求はないのでしょうか。

職人の仕事は決して世間的賞賛や名声を伴うとは限りません。見る人は見ている。価値のわかる人はその価値を評価する。そんな後姿に、とてつもなくあこがれを感じました。「大人」の背中だと思いました。組織は自分一人の者、リーダー一人のものでなく、それを構成するたくさんの人たちの支えと、特に汚い仕事をも担う人がいて初めて成り立つのが組織なんだと思います。奇しくもニックとも対戦した故・ラッシャー木村氏とともに、人生を教えてくれた国際プロレスでした。