(右)フェイスブック創業者 マーク・ザッカーバーグ「毎日、今一番大切なことをしているだろうかと自問する」 写真=Getty Images(左)グーグル創業者 ラリー・ペイジ「クレージーなアイデアには、競争相手がいない」 写真=時事通信社

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2013年6月、安倍内閣はITを成長戦略の核とする新IT戦略を発表した。しかし実は、日本はこの分野では途上国の後塵を拝しかねないのが実情。逆に強い存在感を発揮しているのはユダヤ系の企業群だ。彼らから何を学ぶべきだろうか。

■息をするように常識を疑え

フェイスブックのマーク・ザッカーバーグ、グーグルのラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン、マイクロソフトのスティーブ・バルマー。彼らの共通点は何か。それは、強力なサービスやビジネスモデルで世界を席巻した経営者であると同時に、ユダヤ系であるということだ。成功したユダヤ系経営者は、IT業界にとどまらない。スターバックスのハワード・シュルツ、GAPのドナルド・フィッシャー、ゴールドマン・サックスのマーカス・ゴールドマンもユダヤ人家庭に生まれている。

アメリカにおけるユダヤ人は、人口の約2%を占めるにすぎない。しかし、世界的に成功した米企業の創業者には、ユダヤ人の名がずらりと並ぶ。いったいなぜ彼らは優秀な起業家・経営者たりえたのだろうか。

ユダヤ人というと、お金にシビア、強欲、ケチという印象を抱く人が多いかもしれない。シェイクスピアの戯曲『ヴェニスの商人』に登場するユダヤ人の金貸しシャイロックは、返済の約束を破った相手の体から、お金の代わりに肉1ポンドを切り取ろうとした。この人物像が非ユダヤの人が描く典型的なユダヤ人のイメージだ。

このイメージは本当なのか。ユダヤ人経営者と結婚して(現在は離婚)、いまも事業のパートナーとして交流を持つ星野陽子さんは、元夫との生活を次のように振り返る。

「結婚して2年ぐらいは、エアコンもテレビもなし。お肉も毎日はダメで、買っても鶏の胸肉。たまに牛肉が食べたくなったら、『友達にもらった』とウソをついて買っていました。倹約するのは、事業でも同じでしたね。無駄な経費については厳しかった」

ただ、コストカットは利益率の改善につながるものの、事業の成長に直接貢献しない。お金にシビアであるという特質だけでは、ユダヤ人経営者の活躍を説明することはできないはずだ。むしろ注目したいのは倹約志向より、その裏にある懐疑の精神だ。星野さんは、こう続ける。

「元夫はケチというより納得できる説明が欲しいようで、買い物から帰ってくると、『どうして買ったの?』『これは必要なの?』と一つ一つ聞いてきました。私としてはわざわざ説明しないでもわかってほしいのですが、彼はこの世に自明のものはないと考えていて、きちんと一から説明しないと納得してくれないのです」

あらゆるものを疑い、ゼロベースで考え直す。実はこの発想こそが、ユダヤ人がビジネスで成功する理由の1つになっている。

事例を紹介しよう。1980年代以降、コンピュータは小型化・高速化の時代に入り、各社はチップの性能を高める=クロック速度を上げる競争を繰り広げていた。ただ、クロック速度を上げると発熱量が増え、オーバーヒートのリスクも高まってしまう。

この悩みを見事に解決したのが、インテルのイスラエル・チームだった。彼らは車における変速機のようなものを開発して、チップの動作速度を上げることに成功した。性能を上げるにはクロック速度を上げるしかないという常識を覆したのだ。

常識を疑ったといえば、デルの創業者マイケル・デルもそうだ。コンピュータの仕様はメーカー側で決め、それを小売店で販売することが常識だった時代に、デルはオーダーメードの直販方式を打ち出して会社を急成長させた。既存のスキームを疑って新しいものを構築する頭の柔らかさは、まさしくユダヤの真骨頂だ。

■手仕事が禁止なら頭を使うしかない

では、なぜユダヤ人は常識に縛られない考え方が得意なのか。2007年にユダヤ教に改宗してユダヤ人になった弁護士の石角莞爾さんは、「教育の影響が大きい」と分析する。

「ラバイ(ユダヤ教の宗教的指導者)とヘブライ聖書を読んでいると、2〜3ページごとに『何かおかしいところはないか』と質問されます。聖書は神聖なものであり、疑ってかかるようなものではないと思っていたから最初は驚きましたが、ユダヤ教徒にとっては聖書さえもあたりまえのものではなく、議論の対象になるのです」

日本の学校教育は「教科書は正しい」という前提で授業を進めるが、ユダヤ人教育は、それと対照的。子どものころからこうした教育を受けてきたユダヤ人が常識に縛られないのは納得だ。

ユダヤ人の発想の豊かさは、民族の歴史とも無関係ではない。イギリスに代表されるアングロ・サクソン系は、植民地支配で富を生み出した。だからいまでも、彼らのビジネスの基本は「マネジメント」だ。一方、ユダヤ人は紀元70年のローマ帝国との戦いで故郷を追われて以来、1948年のイスラエル建国まで、自分たちの国家、国土、資源というものを持てなかった。手元に何もなければ、マネジメントで利益を出すことはできない。残されていたのは、何もないところから新しいものをつくる創造性だけだったのだ。

民族の悲しい歴史は、創造性が発揮される方向にも影響を与えている。石角さんは、次のように指摘する。

「ユダヤ人はゲットーに閉じ込められて、生産手段を所有することを禁じられていました。朝9時から夕方5時まではゲットーを出て働いていいのですが、労働集約型の仕事では、労働に制約のない他の民族に比べて不利になります。そこでユダヤ人は、自分が働くことを禁じられている夜中でも勝手にお金が生み出される仕組みづくりに活路を見出した。製品そのものよりプラットフォームで勝負するユダヤ人経営者が多いのも、その影響でしょう」

日本は資源がない国だが、ユダヤ人とは違い、国土があって生産設備を持つことができ、労働の制約もなかった。それゆえに日本人の創造性は、製造業の効率を高めるカイゼンへと向かった。

この点は、グーグルやフェイスブックなど、新しいプラットフォームを創造して、莫大な利益を生み出しているユダヤ系の企業群の文化と大きく異なる。

日本在住のユダヤ人経営者、ディヴィド・エルババウムさんが手がけているのも、労働集約型のビジネスではない。ディヴィドさんが初めて日本に来たのは60年代。当初はイスラエル企業のエンジニアとして来日したが、日本のエレクトロニクス製品の精密さに感動して日本で起業した。以来、ディビィドさんは、監視カメラをはじめとしたさまざまな機器やシステムを開発。これまでに取得した特許は世界で500を超え、そのライセンスで利益をあげている。技術が企業に認められれば、寝ている間もお金が入ってくるわけだ。寝ている間にお金が入るというと楽をしているように聞こえるかもしれないが、ディヴィドさんは怠け者どころか勤勉だ。

「いまでも2〜3カ月に1つは特許を申請しているよ。毎朝健康のためにプールで泳いでいるけど、途中で何かひらめいたら、アイデアが飛んで消えていかないようにプールサイドですぐ紙に書いている。同年代の日本人経営者はみんなリタイアしたけど、私はアイデアが浮かぶかぎり、ずっと現役だね」

■丁寧な複雑さよりも無礼な単純さ

日本人とユダヤ人の発想の違いはほかにもある。石角さんが注目するのは、グローバルかローカルかという違いだ。

「国土を追われたユダヤ人は、イスラエルが建国されるまで、100カ国以上に散らばって生活せざるをえませんでした。そうした環境があたりまえだったので、最初から発想がグローバルです。それに対して日本は島国で、国内に安定的な市場がある。ローカルで通用すれば食べていけるので、発想もローカルになります」

グローバル発想とローカル発想は、具体的にどのように異なるのか。

「たとえば日本では、セルフ給油の前にガソリンの種類や支払い方法などを画面で選択します。複雑な手順でサービスを提供するのは、日本の教育程度がよく、誰でも画面に書かれたことを理解できるからです。一方、アメリカの場合はノズルを差しこんだだけで給油できます。グローバルになりたければ、シンプルにせざるをえない」

ここで思い浮かぶのは、ガラケーとスマホだ。日本の携帯電話は親切・丁寧に作られているように見えて、実は複雑で、日本以外に普及しなかったが、スマホはシンプルで体感的な操作が評価されて世界的な支持を得た。スマホをつくったのはユダヤ人ではないが、誰でも使えるというグローバルな発想で開発されたことは間違いない。

ユダヤ人は、アイデアの磨き方も独特だ。元ユダヤ人妻の星野さんは、「ユダヤ人は、とにかく議論好き」という。

「みんな輪になって話すことが好きで、私が何も発言しないでいると、『あなたは頭の中に何もないんじゃないか』とまで言われます。ユダヤ人にとって、自分の考えを表明しない人は、そこに存在しないのも同然。最初は私に気を使って英語で話してくれますが、発言しないとわかると、みんなあっさりヘブライ語に切り替えますからね(笑)」

議論においては、相手が誰であろうと遠慮しないことがユダヤ流だ。石角さんによると、「イスラエル軍の兵士は、上官が間違っていると思えば率直に自分の考えを述べて議論する」という。軍隊でもこの調子なので、ビジネスの現場はそれ以上だ。

ユダヤ人の無遠慮さを皮肉った、こんなエスニック・ジョークもある。

「街角にアメリカ人、ロシア人、中国人、イスラエル人が立っていた。ひとりの記者がやってきて、この4人に聞いた。『すいません、肉の不足についてご意見を』。アメリカ人は『不足って何?』、ロシア人は『肉って何?』、中国人は『意見って何?』と答えた。イスラエル人の答えは、『すいませんって何?』だった」

遠慮を知らないユダヤ人が議論すれば、忌憚のない意見の応酬となり、本質的でシンプルなアイデアが生まれる。相手の顔を立てるために反論を控えることもある日本人とは大きな違いだ。

■あなたの中にある“ユダヤ”を探せ

ビジネスのアイデアを思いついたら、躊躇せずにとにかくスタートさせるのもユダヤ人の特徴といえる。星野さんは、ユダヤ人経営者のフットワークの軽さにアマチュアっぽさを感じることすらあったという。

「知人のユダヤ人経営者が、サイドビジネスとして海外からワインを持ってきて試飲会を開きました。普通はホームページや注文用紙などの準備が必要ですが、その方は準備なしで試飲会を開き、『私は早くお金を見たいのに、みんな注文してくれない』と嘆いていました。この方だけでなく、ユダヤ人経営者には、思いついたらとりあえず試すというタイプが多いですね」

アイデアを準備なしで試せば、失敗も多くなるだろう。しかし、ユダヤ人にとって失敗は恐れる対象ではない。石角さんは、その理由をこう解説する。

「ユダヤはもともと何も持っていなかった民族なので、失敗してもゼロに戻るだけ。失敗すれば土地を失いかねない他の民族とは失敗の受容度が違います。またユダヤ教は、祈りの方法などにも表れているように、“our God”ではなく、“my God”。集団の行事として祈る宗教と違い、個人がバラバラに祈ります。自分は神と直接つながっているので、失敗してまわりから非難されようが関係ないという感覚が強い。神に見放される恐怖に比べれば、他人に見放されるのは怖くない。私も改宗後は人の評価が一切気にならなくなりました」

失敗を恐れず挑戦するユダヤ人の精神は、数字にも表れている。イスラエルはスタートアップ大国と言われ、ベンチャー企業が続々と誕生している。国民1人あたりのベンチャー投資額は、アメリカの2.5倍、ヨーロッパの30倍以上だ(08年)。

これまで見てきたように、ユダヤ人経営者が成功してきた背景には、ユダヤの宗教教育や民族の歴史があった。だとすると、同じ宗教や歴史を共有していない私たち日本人が、ユダヤ人のものの考え方を身につけるのは難しいことのように思える。しかし石角さんは、日本人の中にもユダヤ的な経営者はいるという。

「堀江貴文さんは、遠慮を知らない物言いがユダヤ人そっくり。常識にとらわれないし、刑務所に入ってゼロになったこともユダヤ的です。また、総務省と戦っている孫正義さんもそうですね。ボーダフォンの買収時はまわりからいろいろ言われたと思いますが、雑音を気にせず、こんどはスプリントまで買った。まわりに左右されないという点に、ユダヤ的なものを感じます」

堀江貴文氏も孫正義氏も、ユダヤと縁があるわけではないだろう。宗教や民族はユダヤ的発想の必須条件ではない。誰の中にも、多かれ少なかれ、「ユダヤ的なもの」は存在する。それを常識で押しつぶさずに、いかに伸ばしていくことができるか。それが、日本人が弱いとされるビジネスのプラットフォームづくりや、ベンチャー企業育成を強化し、金融・財政政策に依存しない経済成長を実現するための鍵ではないだろうか。

※写真は、ユダヤ人家庭に育ったとされる経営者たち。(実際にユダヤ人であるかどうかは、ユダヤ人の定義が、ユダヤ教を信仰するかどうかという心の中の問題であるため、本人が積極的に公開しない限りは確認が難しい場合もある

( 村上 敬=文 立花直子=取材協力 時事通信社=写真 Getty Images=写真)