■カネボウの繊維部門を継承

一貫生産体制の確立は、オイルショック以降、斜陽化が進む繊維産業において、セーレンが生き残るためにどうしても成し遂げなければならない経営課題の一つでした。

繊維産業の製造工程には、原糸製造、織り・編み、染色加工、縫製があり、工程ごとに業界が分断されています。そのなかでもセーレンは染色加工を専門とし、取引先から預かった生地を指示どおりの色や柄に染める委託賃加工を生業としていました。業界としてはこれが当たり前ですが、製造工程が分断されていると品質・納期・コストのトータルコントロールができないばかりか、問題が発生した際の原因究明や対策にも支障が出ます。結果的に、我々のような立場の弱い下請けが責任を押し付けられる事態がまかり通っていました。

1990年代に入り、セーレンは自動車内装材分野へ参入。これをきっかけに、織り・編み、縫製を担う子会社をそれぞれ設立し、製造工程の内製化を進めました。最後まで課題として残ったのが、原糸でした。原糸生産機能をゼロから立ち上げるのは至難の業です。それでもなんとかして原糸工程を内製化したい。模索していた矢先、2004年にカネボウが倒産。同社の繊維部門(合繊事業)は「再生不能」の第4分類に分類され、売却先が決まらない状況のなか、セーレンだけが買収に名乗り出たのです。

再生不能の繊維部門を、しかも染色加工の下請け会社であるセーレンが買収するなど、社長の川田は頭がおかしくなったのか。業界ではそう噂されました。当時、業界団体の会長を務めておられた東レの前田勝之助さんに呼び出され、「合繊メーカーですらカネボウには魅力を感じないから、誰も買おうとしない。素人の君たちが手を出しても失敗するだけだから、やめておきなさい」と親切な忠告まで受けました。しかし、私たちは合繊メーカーになるためにカネボウの繊維部門を買収したいわけではありませんでした。一貫生産体制の実現のために、どうしても製糸機能を手に入れる必要があったのです。

カネボウ繊維部門の買収によって一貫生産体制の実現に大きく前進した一方で、弊害もありました。本業である染色加工の取引先の一部が、繊維業界の常識を破った私たちに不信感を抱き、「そんな会社に仕事を頼めない」と他社へ転注していったのです。これには社内が動揺しました。正直、私も参りました。しかし、それまでのように委託賃加工に頼るばかりでは、先がないことは明らかです。どうせ崖っぷちに立たされているのなら、ダメもとでやるしかない。そんな開き直りもあったと思います。

■古い企業体制を変えていく

カネボウ繊維部門が持っていた防府事業所(山口県)、長浜事業所(滋賀県)、北陸合繊事業所(福井)には、合わせて852名の社員がいました。産業再生機構の要望どおり全社員の雇用を約束し、再建を目指しました。

経営状況を調べてみると、惨憺たる状況に愕然としました。合繊事業が高収益を生み出していた時代の古いやり方を変えていなかったことに、最大の問題がありました。一例を挙げると、合繊事業はいわば装置産業ですから、社員の仕事としては機械の監視や保全が重要です。カネボウの合繊工場では、保全係が3時間ごとにすべての機械を点検し、ノートに何やら数字を記録していました。

その数字は何のために書くのか、数字の記入は改善につながっているのか。すべての機械を3時間ごとに見回る必要はあるのか。機械によっては1日に1回、もしくは1か月に1回の点検で済むケースもあるはずです。そういうことをまったく考えず、過去38年間ずっと同じやり方を続けていたのです。私たちは機械ごとの点検回数を見直し、点検の結果を数字ではなく○×の記入に変えました。すると、保全係の仕事が3分の1に減り、改善にもつながるようになったのです。同様に事業全体の業務も見直した結果、全体の30〜40%を削減しました。

問題はほかにもありました。前経営者の粉飾決算のもと業績表が管理されておらず、社員の給料の支払いもままならない状況だったのです。すると何が起きるかというと、自分たちがやるべき仕事まで外注し、外注先と癒着するのです。最悪の企業体質です。

正常な状態に戻すために、収益性の高い事業を社内に取り戻し、外注先の企業が集まる会合への参加も禁じました。当然、外注先からは反発が起こります。取引先からも、商品の安定供給を不安視する声が上がりました。「私たちセーレンが責任を持って対応します」と丁寧に説明しても、競合他社に流れた仕事もありました。

■2年で再建できた理由

元カネボウ繊維部門の改革を進めるにあたり、社員に話したことは次の3つです。

一つは、「自分の城は自分で守ろう」。これは私たちも迂闊でしたが、元カネボウ社員たちは、カネボウの労働組合に所属したままセーレンに移籍していました。この買収に強い警戒心を抱いていた彼らは、問題が起きたらカネボウの組合に守ってもらおうと考えたのでしょう。しかし、カネボウを離れた元社員をカネボウの組合が守ってくれるはずはありません。自分の城は自分で守るしかないのです。そう何度も説得して、1年後にようやくカネボウの組合からの脱退を果たしました。

2つ目は、「カネボウが誇った日本一の栄光を、もう一度取り戻そう」。カネボウは倒産したとはいえ、元社員には優秀な人がたくさんいます。彼らが能力を存分に発揮し、再び栄光を取り戻すためにも、彼らの独自性を最大限に尊重しました。社名を「KBセーレン」としたのも、カネボウという社名のニュアンスを残すためです。また、「買収」という言葉は使わずに、「引き継ぐ」と表現するなど、元カネボウ社員を刺激しないような言葉選びにも気を遣いました。セーレンの100%子会社でありながら、人材採用もKBセーレンの独自性に任せています。

3つ目は、「変えよう、変わろう」。古い企業体質を変えることができるかどうかが再建の鍵を握るのだと、くり返し語りかけました。折しも、私たちセーレンも存亡の危機から少しずつ立ち直り、1987年に策定した4つの経営戦略のもと改革の途上にありました。セーレンが導入した5ゲン主義や整流活動をKBセーレンにも持ち込み、同じ目標に向かって一緒に取り組みを始めました。そうしてカネボウ繊維部門の買収から2年後、KBセーレンは見事に再建を成し遂げたのです。

2012年には、KBセーレンの生え抜き社長が誕生。KBセーレンは、いまではグループ内でも業績を上げ続ける優秀な企業の一つに成長しました。現在、社員数は560名。定年退職やセーレンへの出向を除き、人員整理は一切行っていません。こうしてKBセーレンを再建したことで、私たちは、原糸生産から縫製・小売りまで一貫したビジネスモデルを世界で初めて実現しました。

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川田 達男(かわだ・たつお)
セーレン会長兼最高経営責任者
1940年、福井県生まれ。62年明治大学経営学部卒、同年福井精練加工(現セーレン)入社。87年社長就任。2003年より最高執行責任者(COO)兼務。05年より最高経営責任者(CEO)兼務。05年に買収したカネボウの繊維部門をわずか2年で黒字化させる。14年より現職。セーレン http://www.seiren.com/

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(川田達男=談 前田はるみ=構成)