【杉山茂樹コラム】日本代表キャプテンの話
話題になるべきことが話題にならない。そうしたことが日本ではよく起きる。敢えて触れない。敢えて触ろうとしない。大きなメディアほどその傾向がある。サッカーなどは可愛い方なのかも知れないが、この際それはともかく、サッカーについて言えば、日本代表のキャプテンの話は、その最たるものになる。ウォルフスブルクで長谷部が事実上、構想外になっていることは、ザックジャパンにとって大きな問題だ。単に控えに甘んじているだけではないところに根の深さがある。
監督の構想外になった彼は、出場機会を得ようと移籍先を探ったものの、行き先は決まらずじまい。その間にマーケットは閉じてしまった。
残留決定と言えば、聞こえがいい。新聞等の見出しにはそう書かれていたが、これには「晴れて」の意味は含まれない。戦力外なのに買い手がつかない。だが契約期間内なのでクビにはできない。飼い殺しにするしかない。チームにとっても選手にとってもこれはまるで幸せな話ではない。
問題は、日本代表のキャプテンが、そうした不幸な立場に身を置いている一大事を、世間の人があまり知らないことだ。知っている人は知っているが、それはサッカーにそれなりに詳しい人に限られている。大衆的なメディアが触れたがっていないことがその理由に他ならない。サッカー先進国ではあり得ない話だ。
長谷部がプレイする機会が現状、日本代表に限られていることは異常事態といっても言い過ぎではない。
イラク戦。長谷部の出来は不安を払拭させてくれるようなものではなかった。試合勘のなさを露呈した──と言われても仕方のない出来だった。見る側を少なからず心配させた。
ザッケローニは試合後の会見で、イラクが日本の中盤にプレッシャーを掛けてきたことをしきりに強調した。記者の質問を受けてそう答えたのではない。長谷部らがいかに厳しい環境の中でプレイすることになったかを自ら進んで力説した。上手く行かなかった原因は相手の頑張りにあったのだ、とザッケローニは言いたがっているようだった。
メディアはそれをストレートに伝えた。その結果、イラクのプレッシャーがきつかったことが最少スコア差に終わった最大の原因だと多くのファンが認識することになった。
しかし僕の目には、正直ザッケローニが言うほどイラクのマークが厳しくは見えなかった。この程度で驚いていては先が思いやられる──と、思わずにはいられなかった。
つい勘ぐりたくなってしまうのだ。ザッケローニが、長谷部にまつわる心配が大きくならないために打った布石ではないかと。
代表キャプテンが所属クラブで構想外に置かれていることを一番憂慮しているのは、他ならぬザッケローニだ。そのことがこの記者会見を通してより明らかになったと僕は見るが、繰り返すが、その点を気に留めているファンは多くない。テレビで、そのことを指摘する人は皆無に等しい。深刻な問題として取り上げようとする気配はない。早い話が見て見ぬふりをしている。前にも述べたが、「欧州組」の報道の演出は「活躍」という視点で統一されている。陰の部分に均等に触れようとする客観的な姿勢はない。
川崎フロンターレにまつわる問題もしかり。ある選手はこちらにこう呟いた。
「なぜマスコミは、その親バカぶりに触れようとしないのですか。それって、おかしくないですか」
今季途中、その監督に就任した風間八宏氏の2人の息子(宏矢、宏希)が、その後を追うように入団し、両者ともそのままスタメン出場していることについてである。
そのテレビ解説者としての評価はとても高かった。数少ない正統派の解説者として高い支持を得ていたが、それと現在の姿には大きなギャップを感じる。そう思っているのは僕だけではないはずだ。当初は口をつぐんでいたフロンターレファンの知人も、6戦勝ちなしというこの状況にいたたまれなくなったのか、さすがに困惑気味だ。小さな声でブツブツ言い始めている。
長嶋監督と一茂。野村監督と克則。この時はさすがに大きな話題を呼んだ。世の中はいい感じで盛り上がった。賛否両論飛び交ったが、その親バカぶりは半分微笑ましいものとして映った。その人間臭さがエンタメとして着地していたような気がするが、それもこれも、メディアがそれについて騒いだ結果だ。
風間監督と、長島、野村元監督とでは、国民的な知名度において大きな差があるとはいえ、突っ込みさえ入らないいまの状況は、やはりおかしい。いったいどうしちゃったの? という疑問は、風間監督よりメディアに向けたくなる。
腫れ物には触ようとせず、ひたすら穏便に済まそうとする姿勢こそ、世の中をつまらなくしている大きな原因だと思う。この世界は「ザックばらん」ではない。不自然。そのなんともいえない嘘臭さと、サッカー本来のエンターテインメント性との相性とは、全く良好な関係にない。僕はそう思うのだ。
最後にお知らせをひとつ。僕が出演したFM西東京のラジオ番組「ザックばらんにザックJAPAN」が、iTunesに公開されました。ご興味のある方はぜひ。
https://itunes.apple.com/jp/podcast/zakkubarannizakkujapan%21/id562687582?l=en
残留決定と言えば、聞こえがいい。新聞等の見出しにはそう書かれていたが、これには「晴れて」の意味は含まれない。戦力外なのに買い手がつかない。だが契約期間内なのでクビにはできない。飼い殺しにするしかない。チームにとっても選手にとってもこれはまるで幸せな話ではない。
問題は、日本代表のキャプテンが、そうした不幸な立場に身を置いている一大事を、世間の人があまり知らないことだ。知っている人は知っているが、それはサッカーにそれなりに詳しい人に限られている。大衆的なメディアが触れたがっていないことがその理由に他ならない。サッカー先進国ではあり得ない話だ。
長谷部がプレイする機会が現状、日本代表に限られていることは異常事態といっても言い過ぎではない。
イラク戦。長谷部の出来は不安を払拭させてくれるようなものではなかった。試合勘のなさを露呈した──と言われても仕方のない出来だった。見る側を少なからず心配させた。
ザッケローニは試合後の会見で、イラクが日本の中盤にプレッシャーを掛けてきたことをしきりに強調した。記者の質問を受けてそう答えたのではない。長谷部らがいかに厳しい環境の中でプレイすることになったかを自ら進んで力説した。上手く行かなかった原因は相手の頑張りにあったのだ、とザッケローニは言いたがっているようだった。
メディアはそれをストレートに伝えた。その結果、イラクのプレッシャーがきつかったことが最少スコア差に終わった最大の原因だと多くのファンが認識することになった。
しかし僕の目には、正直ザッケローニが言うほどイラクのマークが厳しくは見えなかった。この程度で驚いていては先が思いやられる──と、思わずにはいられなかった。
つい勘ぐりたくなってしまうのだ。ザッケローニが、長谷部にまつわる心配が大きくならないために打った布石ではないかと。
代表キャプテンが所属クラブで構想外に置かれていることを一番憂慮しているのは、他ならぬザッケローニだ。そのことがこの記者会見を通してより明らかになったと僕は見るが、繰り返すが、その点を気に留めているファンは多くない。テレビで、そのことを指摘する人は皆無に等しい。深刻な問題として取り上げようとする気配はない。早い話が見て見ぬふりをしている。前にも述べたが、「欧州組」の報道の演出は「活躍」という視点で統一されている。陰の部分に均等に触れようとする客観的な姿勢はない。
川崎フロンターレにまつわる問題もしかり。ある選手はこちらにこう呟いた。
「なぜマスコミは、その親バカぶりに触れようとしないのですか。それって、おかしくないですか」
今季途中、その監督に就任した風間八宏氏の2人の息子(宏矢、宏希)が、その後を追うように入団し、両者ともそのままスタメン出場していることについてである。
そのテレビ解説者としての評価はとても高かった。数少ない正統派の解説者として高い支持を得ていたが、それと現在の姿には大きなギャップを感じる。そう思っているのは僕だけではないはずだ。当初は口をつぐんでいたフロンターレファンの知人も、6戦勝ちなしというこの状況にいたたまれなくなったのか、さすがに困惑気味だ。小さな声でブツブツ言い始めている。
長嶋監督と一茂。野村監督と克則。この時はさすがに大きな話題を呼んだ。世の中はいい感じで盛り上がった。賛否両論飛び交ったが、その親バカぶりは半分微笑ましいものとして映った。その人間臭さがエンタメとして着地していたような気がするが、それもこれも、メディアがそれについて騒いだ結果だ。
風間監督と、長島、野村元監督とでは、国民的な知名度において大きな差があるとはいえ、突っ込みさえ入らないいまの状況は、やはりおかしい。いったいどうしちゃったの? という疑問は、風間監督よりメディアに向けたくなる。
腫れ物には触ようとせず、ひたすら穏便に済まそうとする姿勢こそ、世の中をつまらなくしている大きな原因だと思う。この世界は「ザックばらん」ではない。不自然。そのなんともいえない嘘臭さと、サッカー本来のエンターテインメント性との相性とは、全く良好な関係にない。僕はそう思うのだ。
最後にお知らせをひとつ。僕が出演したFM西東京のラジオ番組「ザックばらんにザックJAPAN」が、iTunesに公開されました。ご興味のある方はぜひ。
https://itunes.apple.com/jp/podcast/zakkubarannizakkujapan%21/id562687582?l=en
関連情報(BiZ PAGE+)
スポーツライター杉山茂樹氏の本音コラム。