香川真司、清武弘嗣、本田圭佑。今週末の各国リーグ戦で、3人は揃って1トップ下でスタメン出場。それぞれそれなりの活躍を見せた。マンU 、ニュルンベルグ、CSKAモスクワ。3チームが採用する布陣はいずれも4─2─3─1。そしてそれは日本代表と同じだ。

 このことは、僕が改めて述べなくても、多くのサッカーファンが認識している話だと思う。そしてその多くが、大なり小なり引っかかりを覚えていることに違いない。同じ布陣の同じポジションで、日本代表の3人の活躍する姿について。
 
 日本代表の一員として香川が輝いた過去はごく僅か。欧州で見る香川が別人のように見えるほどだ。そしてそれが、それぞれのポジションの違いに起因していることは明らかだ。「4─2─3─1の3の左は苦手です」と言うも同然のプレイを香川はしている。
 
 清武にも似た印象を受ける。五輪チームではその右で主にプレイしていたが、真ん中でプレイしたがっていることはすぐに見て取れる。
 
 清武と香川。セレッソ出身のこの2人は、明らかにポジションの適正が被っている。しかし現在の代表に適正を反映させる場所はない。そこには本田がデンと構えている。ザッケローニも「フィジカルと技術を高い次元で備えるその貴重な資質は、真ん中で活かされるべき」だとし、そこから動かそうとする様子はない。
 
 とはいえ本田は、一方において幅広い適正を備えている。1トップ下以外のポジションも平気でこなすユーティリティ性がある。右も左も、上も下もやれてしまう。ピッチのどこでボールを受けても、その場に相応しいプレイをする。
 
 どこでもやれそうな本田が1トップ下をやり、1トップ下にしか適正を見いだせない香川と清武がサイドで起用される。所属クラブで香川と清武が1トップ下として活躍すればするほど、日本代表の問題点は明るみに出る。なんとも皮肉な話だ。
 
 さらに問題なのは、この分かりきった話を、積極的に取り上げようとする人が少ないことだ。メディアは各人の活躍を取り上げることだけに終始している。第1次情報が第2次情報に連動していかないところに、僕は歯がゆさを覚える。それが特別な知識を持っている人にしかできないことならいざ知らず、少なくとも香川と本田の関係は、ずっと前から取り沙汰されている話だ。代表に戻ると良いプレイができない香川の不思議さには、しばらく前から、誰もが気づいているはずなのだ。
 
 それが日本人的な欧州サッカーの見方であり、楽しみ方だと思う。僕たちは現地人ではない。現地のメディアと同じ視点でサッカーと向き合っているわけではない。香川が活躍したという現地発のニュースを、日本人としてどう噛み砕くか。2次的なもの、3次的なものにどう膨らましていくか。サッカーの楽しみ方は本来そこにあるはずだ。
 
 日本のテレビはサッカーの試合が終わると、少なくとも5分以内に番組を終了する。ハイライトシーンを振り返ると、直ちにエンディングを迎える。逆に試合前は、1時間ぐらい平気で引っ張るときがある。事前番組をさんざんやっておきながら、タイムアップの笛がなるや、直ちにさよならする。煽るだけ煽っておいて尻すぼみ。前に厚くて、後ろに薄い。
 
 外国は違う。いつかも述べたが、前より後ろの方が断然長い。試合前より、試合後にエンターテインメント性を見いだそうとしている。香川の活躍を伝えただけで番組は終了する。そのことが持つ意味について及んでいく機会がない。スポーツニュースもしかり。時間が短すぎるので、第1次情報を伝えるだけで終わっている。
 
 したがって、海外サッカーは海外サッカー、日本代表は日本代表、JリーグはJリーグと、それぞれの話題はセパレートされる。連動しにくいものになっている。サッカーの総合的な話に膨らんでいくことはない。奥に入ることなく手前で話はストップする。