中国網日本語版(チャイナネット)は6日、「金閣寺で感じた日本人のつつましさ」と題するブログ風の記事を掲載した。以下は同記事より。

 2月20日、われわれは京都の有名な金閣寺を訪れた際、思いがけず日本文化の洗礼を受けることとなった。

 金閣寺境内を5分間ほど歩いていくと、鏡湖池に浮かんでいるかのような舎利殿が見えた。舎利殿は金箔の飾りのなかに、高貴さと謙虚さ、さらに一種のつましさを持ち合わせ、安っぽい派手やかさや横暴さなどは一切感じられなかった。それは、私に自然と日本人特有のつつましい性格を連想させた。

 実を言えば、私は日本に来る前、日本に対して少し偏見を持っていた。しかし、日本人とじかに触れ合い友達になってみると、この民族独特の穏やかさに気付かされた。日常生活の中で人に会えばお辞儀するのは、単なる礼儀作法というだけではなく、そこには心からの相手への尊敬と感謝が含まれている。彼らは水のように静かに、そして穏やかに他人のそばを流れ去り、できるだけ相手に迷惑をかけまいと生きている。私は、疾風や暴雨によってしか彼らの心を動かすことはできないのではないかと思う。

 人の流れに沿って境内の奥へ進んでいくと、書院の傍らにある小山が目に止まった。そこからは夕佳亭の一角を望むことができ、立派な松の老木が数本並び、地面の苔はみずみずしい緑色から少しずつ鮮やかな黄緑色に姿を変える絨毯(じゅうたん)のように山一面をおおっている。そこに蕾(つぼみ)をつけた1本の桜が、着物をまとった少女が凛(りん)として佇(たたず)んでいるかのごとく、心地よいアクセントとなっていた。

 中国の建築物とは異なり、ここには延々と連なる長廊もなければ軒先の立派な彫刻もない。境内にある舎利殿以外の建築物は、そのほとんどが原木色か茶褐色で、その素朴な色合いが周囲の多彩な植物に調和し、一体化することで、独特の文化的格調と品位を体現している。これほどまでに完璧な配置は、人としての修養を高めるのに最適な場所であり、同時に日本人のつつましさを体現しているといえる。

 この美しい境内には、仏法の尊厳はもちろんだが、それよりも心地よい調和的な雰囲気が多く漂っているように感じる。ここから日本人の美への追求や、その心の奥底が垣間見えるような気がした。(編集担当:米原裕子)



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