体制が抜本的に変わることを革命と呼ぶが、名古屋の優勝は革命前夜となるかもしれない。
ロスタイムに失点し、W杯出場を逃した“ドーハの悲劇”は、日本人にある種のトラウマを植えつけた。勝てなかったことが、守りきれなかったこととイコールとされた。それにより、それ以後の日本サッカーは、追加点を奪うことよりも守りきることにプライオリティが置かれたように思える。

守備偏重の3−5−2がJリーグに蔓延し、黄金期のV川崎(現東京V)、磐田以外に、人数をかけてゴールに迫るチームはなかなか現れなかった。リトリートした守備が増え、引き分け、つまり勝ち点1やむなしというスタイルをとるチームが多くなった。その象徴が、2000年のJリーグセカンドステージ最終節の柏対鹿島の直接対決だろう。柏は勝てば優勝、鹿島は引き分け以上で優勝という状況で迎えた試合、鹿島は完全な引き分け狙いのサッカーを展開した。それは一見すると成熟に見えるのだが、どこか面白みにかける。ラスト10分を切ったところで行われるタッチライン沿いでのボールキープ。相手がボールを奪いにこないのならわかる。しかし、たとえ相手の守備陣の枚数が少なくても、チャンスがあっても、追加点ではなく、1点を守ろうとする。欧州強豪リーグや、W杯本大会のようなレベルが高い試合で、こういった光景を日常茶飯事的に見ることはまずない。

そうしたJリーグのスタンダードと、名古屋は一線を画していた。第29節の天王山となった鹿島戦は、引き分けでもOKの試合だった。しかし、勝ちに行き、そこを突かれて敗戦を喫する。最終節の湘南戦も、鹿島戦と同様に、前に出たところでのミスが多発していた。それでもストイコヴィッチ監督は、「前に出ろ。アタックしろ」と声をかけ、バランスを崩すことにもなるフリーランニングを要求した。その裏には「もっと楽しいフットボールが見たくないか?」というストイコヴィッチ監督の哲学が現れている。

フットボールの潮流は、優勝チームによって変えられてきた。長きに渡り、3−5−2に代表される守備偏重スタイルがスタンダードだったJリーグだが、今回の名古屋の優勝は、それを大きく変えるきっかけになるかもしれない。名古屋、G大阪、清水のようなスタイルが、スタンダードとなるのだ。

そしてもう一つ、優勝を決めた湘南戦後、トヨタ自動車の社長である豊田章男名古屋グランパスエイト取締役も胴上げされた。ストイコヴィッチ監督はトヨタ自動車がリコール問題で苦境に立たされると「この勝利を豊田章男社長に捧げたい」と記者会見で自分から話はじめたこともある。名古屋はメインスポンサー、チームフロント、そしてピッチが各々の役割を真っ当し、一体となっている。それは、スポンサーになる側、スポンサードされる側、それぞれの意義を教えてくれる形ではないだろうか。名古屋の優勝は、結果以上に、内容こそ賞賛に値するのだ。(了)