イングランド戦の採点は今回、現地観戦していないのでお休み。

「相手は練習。こっちは試合」とは、セルジオ越後さんが某スポーツ紙に寄稿したコラムの見出しだが、僕の試合の印象も一言でいえばそんな感じかな。

で、日本は、その「練習」を楽しめていなかったイングランドとは対照的に、「試合」に臨む姿勢に喜びを感じた。少なくとも前半は。

ふと、6年前の本日、つまり04年6月1日。マンチェスターのシティグラウンドで行われた一戦を思いだした。日本(ジーコジャパン)は、アウェーながらイングランドに善戦。1対1で引き分けた試合だが、当時の日本代表選手には、6年後に戦った日本代表選手同様、その動きのシルエットからプレイする喜びが感じられた。滅多に訪れない強豪との一戦に、日本代表の1人と言うより、1人のサッカー選手、スポーツ選手としての喜びを露わにプレイしていた気がする。

選手の願いは、よりレベルの高い相手と戦うことだ。自分のプレイがどれほど通じるかを推し量るまたとない機会。弱い相手に勝利を収めることより、それは遙かに喜ばしいことになる。

闘莉王の先制ゴールは、その典型的なプレイだと思う。彼が日本に帰化せず、ブラジルでプレイしていれば、イングランドとの対戦はあり得なかった話になる。その高いモチベーションが先制ゴールを後押ししていたと僕は見る。

その他の選手の、モチベーションも高かったはず。相手は一応イングランド。岡田ジャパンが、真にリスペクトできる強豪とちゃんと対戦するのは、昨年9月のオランダ戦以来、これが2度目。プロサッカー選手として、滅多にない貴重な機会を得たわけだ。大量に分泌されたに違いないアドレナリンが、接戦を後押ししたと僕は見る。

それだけに普段の親善試合が腑抜けの試合に見えた。ホーム戦9割。訪れる代表チームは、代表とは名ばかりの2軍、3軍チーム。そうした試合を通して岡田ジャパンは活動を行ってきた。さらに言えば、メディアはそうした裏事情を、視聴率、販売部数は伸びないと踏みと、それを言っちゃあお終いだとばかり、それを出来うる限り伏せてきた。問題視するどころか、勝った勝ったまた勝ったと、大はしゃぎしてきた。

この嘘臭い親善試合こそが、日本サッカー界の最大のガン。イングランド戦を見ていると、そのことがいっそう浮き彫りになった。

だが、悲しいかな、改善策はなかなか見いだせない。名案はない。世界は遠い。強国は遠い。この現実を考えると、ホームでの親善試合を「強化」の拠り所にするのは無理がある。本田圭佑のように選手が外へ出て、単体で頑張る選手を増やす方が手っ取り早い。で、そうした「海外組」が、パッと集まってパッと試合が出来る環境を整えるべきだと思う。

国内で、長い時間を掛け、あうんの呼吸に基づくコンビネーションを磨きながら、チームを成熟させていく従来のやり方は、現実には適していないと思うのだ。

そのためには代表チームのサッカーが、特別なモノであってはダメだ。日本サッカーの最大公約数的なサッカーでないと話は始まらない。プレッシングを標榜するなら、Jリーグの多くのチームがそうであるべきだし、サッカー協会もそれを後押ししなければならない。代表監督が交代する度に、目指す方向、すなわち理念やカラーがコロコロ変わるようではダメだ。代表監督捜しは、それに基づいていなければならない。代表のサッカーが、その方向性から逸脱しているか否かをチェックし、もし逸脱していれば、代表監督の解任まで出来る組織も必要不可欠なモノになる。

イングランド戦を見ていると、いろいろなことが頭を過ぎるが、サッカーゲームの中身について一言いえば、イングランドに走らされてしまった印象が強い。日本が後半20分以降、失速した原因だ。