飯島さんによる学校周辺の生きものの道(生きものの通り道)を学習する授業(写真提供:NPOアサザ基金)

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茨城県南東部に広がる霞ヶ浦。琵琶湖に次いで日本で2番目に大きなこの湖がかつて持っていた豊かな自然を再生させようと、地域住民主導による「市民型公共事業」を立ち上げた社会起業家がいる。住民や企業、行政が互いにパートナーシップで結ばれ、目覚しい成果を上げているこのプロジェクト。一体何が住民の心を捉え、企業や行政を動かしたのか。その原動力を探ってみた。

 霞ヶ浦は湖面積だけで220平方キロメートル、流域面積はその10倍。最大水深7メートル、平均水深4メートルという遠浅の海跡湖には、かつて様々な動植物が生育していた。1970年代以降、大規模な水資源開発が始まり、全周250キロの湖岸はコンクリートで固められ、逆水門が閉鎖されて海水の流入が絶たれた結果、水質汚濁を招き、動植物の生態系は悪化した。年々汚れていく湖の様子を見ながらも、資金も設備もない地域住民らにはなす術(すべ)さえなかった。

 こうした状況の下で、「霞ヶ浦再生への道は、霞ヶ浦を知ることから始まる」と考え、その周囲250キロを歩いて調査した当時農林省の研究員がいた。95年に「霞ヶ浦アサザプロジェクト」を立ち上げたNPOアサザ基金(茨城県牛久市)代表理事の飯島博さん(50)がその人だ。小学生を中心とした自然観察会のメンバーを連れて歩き、動植物を発見した場所を地図に書き入れたり、昔の湖畔を知る地域住民を尋ねたりして、湖を4周もした。そうした中で、飯島さんが着目したのが、北海道以外の全国各地の池や沼に生息するアサザ(ミツガシワ科)という黄色い5弁の花を咲かせる多年草の浮葉植物だった。

 飯島さんはある日、沖は白波が立つほど荒れているのに、群生するアサザの近くには波がなく、護岸の近くにはほかの植物が多く成長している光景に出会う。アサザの群落が波消し効果を生み、護岸近くに砂が積もって浅瀬を作り、ほかの植物が生育できる環境を作り出していた。「植物が多ければ魚や昆虫などが集まる。アサザを利用すれば、膨大な費用を必要とせずに自然の力で湖を再生できる」。さっそく飯島さんはタウン誌や地元ラジオ局を通じて、アサザの種を発芽させて成長した苗を湖に植えるというアサザの「里親制度」を住民に呼びかけた。

 「霞ヶ浦の湖面に、絶滅寸前の水草アサザの群落を取り戻そう」という判りやすいビジョンは、最初に小学生の心を捉えた。霞ヶ浦を学習の対象にするというこのアイデアは、教育現場でも賛同を得た。参加者は、100人、1000人、1万人と膨れ上がっていったという。自分で湖に植えたアサザが気になって、霞ヶ浦に足を運び始めた子どもたち。現在までに近隣の170校以上の小学校を含め、200を超える学校が手を上げ、地域住民13万人以上が参加している。そっぽを向かれていた霞ヶ浦が関心の的に変わった。