万引き依存症の治療に当たってきた医師による、再犯率を下げるための提案とは?(写真:amadank / PIXTA)

『男が痴漢になる理由』(イースト・プレス)で、世間一般的な痴漢像に対する誤解を解き明かし、その治療法の提言をした精神保健福祉士・社会福祉士の斉藤章佳氏が、新著『万引き依存症』(イースト・プレス)を上梓した。
斉藤氏の勤務先である大森榎本クリニックは、アジア最大規模の依存症専門医療機関。万引きを依存症の一種ととらえ、専門外来で200人以上の万引き依存症の治療に当たってきた経験の集大成が本書である。

日常の中で繰り返せるから依存できる

――万引き依存症の人は、女性、それも主婦に多く、そのうえ経済的には余裕がある人だそうですが、なぜ女性、それも主婦に多いのでしょうか。

人は強いストレスや不安にさらされると、何かに耽溺することで、心の「痛み」を緩和しようとする。目の前のつらい現実から逃避し、過酷な状況を生き延びるためであって、快楽に溺れるためではない。

依存する対象は手に入りやすい、行動化しやすい日常の中で選択される。大きく分けると「物質」と「行為・プロセス」。前者がアルコールやドラッグなどで、後者が買い物やギャンブル、痴漢や万引きなどだ。また、本書では触れていないが関係性に耽溺する関係依存もある。依存する対象は、その人の日常の中で、ストレスから解放される場所と密接な関係がある。男性の日常は家と電車内と会社。特にまじめなサラリーマンはストレスを発散したり優越感や達成感を得られる手段として、電車内での痴漢行為があり、だからこそハマっていく。

物質依存の代表格はアルコールだ。これに対し、子育て真っ最中の共働き夫婦の妻の日常は家と職場とスーパー。家や職場はストレスがかかる場所であるのに対し、スーパーはストレスから解放される場だ。逆に言えば、依存対象は日常的に繰り返せるものである必要がある。人間は、案外特別なことにはハマりにくい。

――経済的に余裕がある人が多いのも、ストレスと関係がありそうですね。

盗むことよりも非日常的なスリルと達成感が味わえることが目的だから、食べきれないほどの量の食品を盗み、腐らせても平気でいるケースもある。もっとも、最初に盗むものは小さくて、しかもまったく必要ないものかというと、そうでもない。見つからない、捕まらないという成功体験を積み重ねていくうちに「学習」し、徐々にエスカレートしていく。ポケットに突っ込んだ鮭の切り身が、ポケットからはみ出していても平気で店を出て、捕まった例などもある。

――男性は万引き依存症にはなりにくいのでしょうか。

男性は依存対象がアルコールやギャンブル、痴漢行為になるケースが多いので、女性に比べれば少ないというだけで、男性でも万引き依存症の人はいる。ただ、女性が盗る対象は圧倒的に食品だが、男性の場合はスーパーが日常の場になっている人は少なく、食品を盗る人は少ない。

多いのは本。同じ本を何冊も盗ったり、まったく関心のない本を盗って自宅にため込み、たまると捨てる。経済的な目的で盗っているわけではないので、古本屋に売るということはしない。このほか、文具や日用品、芳香剤などが対象で、電化製品など高額のものを盗るという話は転売目的の人が多いためクリニックに来る人はいない。男女ともに共通するのは、単価が比較的安いものが対象になるという点だ。

――なぜ安いものが対象になるのでしょうか。

表層的には万引きをやめたいと思っていても、根っこのところでは続けたいと思っている。しかし、人のものを盗む=犯罪行為という認知のまま常習的に盗み続けることは心理的葛藤が大きいので、認知の枠組みを自分に都合のいいように歪める。これを認知の歪みといい「大したものを盗ったわけではない」というのはよく聞くセリフだ。罪悪感を低減するために、本能的に高額の商品は避けているということだろう。

依存症に陥る人はまじめで責任感も意思も強い

――依存症の治療にあたっては、その原因となったストレスや引き金が何であるのかを特定することが、まず治療の第一歩のようですが、女性の場合は配偶者との心理的葛藤がいちばん多く、次が親子兄弟とのトラブルだそうですね。

夫との問題、介護も含む義母との問題、実の親との問題、子どもの進学や結婚などが幾重にも重なるのは間違いないが、キーワードとなるのはやはり介護と育児のケア労働。どちらも女性が無償で行う仕事という価値観は根強い。うまくやれて当たり前、誰の手を借りることもできず、ねぎらいの言葉ひとつもかけてもらえないまま、1人でストレスをため、あるとき万引きというSOSとして逆説的な形で表面化する。

これをパラドキシカルメッセージと呼んでいる。まじめで責任感が強く、人の評価、つまり夫や家族、周囲の人の評価を気にする人ほど陥りやすい。逆にいい加減で人の評価をそれほど気にしない人は依存症にはなりにくい。万引きの最初の動機は節約だったという人は少なくない。家計を預かる責任感ゆえだが、繰り返すうちに目的が変わってしまう。

つまり「節約のための窃盗」から「窃盗のための窃盗」になっていく。幸い、治療に来る人たちの大半は、ストレスの原因となった家族がそのことを理解し、家族支援グループに参加するなど治療に協力的である。

――万引きで繰り返し捕まった人への処罰のあり方にも異議を唱えていますね。

先進諸国の場合は、治療的司法(TJ:Therapeutic Justice)という枠組みで刑罰以外の処遇が司法の制度に組み込まれているが、日本は処罰のみに偏っている。処罰が効果的なまだ常習化していない対象者の層もあるが、嗜癖化している層には逆に再犯防止効果は薄く、監視や厳罰化が問題行動を亢進するのに役立っているケースもある。

万引き依存症者に反省を促したところであまり意味がない。そのときは反省していても、ある特定の条件がそろうと、スイッチが入るように行為に及んでしまうからだ。つまり、反省の深さと再発率にはほとんど相関性はないのだ。よく、依存症者に対して反省してないから意志が弱いから再犯を繰り返すのだという人がいるが、それは違う。彼らは逆に非常に意志が強いから、やるとなったら強い意志を持って実行する。

そもそも300円のものを盗んだ窃盗犯を仮に刑務所に入れておくのにかかるコストは1人当たり年間300万円以上もかかる。出所すれば再犯に至ることがわかっていながら、その都度刑務所に入れ、その都度これだけのコストが税金で賄われているという現実を放置すべきではない。依存症者にとって有効なのは刑罰ではなく治療なのだ。

ストレスは依存症への扉を開くカギ

――斉藤先生のクリニックでは、具体的にはどのような治療を行っているのでしょうか。

週3回以上の通院治療が基本で、目指しているのは、「盗めない環境で盗まないのではなく、盗める環境で盗まない」こと。専門のワークブックを使って自分の犯行パターンを可視化し徹底的に振り返り、何がトリガーとなっているのかを理解し、盗まないためのスキルを身に付けていく。同じ問題を抱える仲間とつながり、ともに時間を過ごすので、体験を分かち合うこともできる。

――依存先を多様化することの重要性も説いています。


過度なストレスが継続的かかって、他者に助けが求められなければ誰でも依存症やこころの病に陥る可能性を秘めている。彼らは特別な人ではない。逆説的だが、人に依存するのが下手なのだ。自分は依存症にならないと思っていた人が、依存症になった例は無数にある。ストレスは依存症への扉を開くカギだ。

しかし、社会で生活する中で、ストレスを回避することはできない。ストレスを受け続けても依存症にならないためには、ストレスを発散させるための依存先を多数持つことが重要。そして逃げることはもっと重要。動物はいのちの危険にさらされたら逃げる。

逃げないのは人間だけ。これをコーピングと言うのだが、たとえば会社以外にストレスを発散できる場所をいくつも持っていれば、どれか1つに集中してしまうリスクを回避できる(依存先の分散)。重要なのは早期発見・早期治療。万引き依存症も、治療的司法(TJ)の発想から「クレプトマニア・コート(アメリカの薬物裁判の概念を病的窃盗に適用したもの)」のように刑罰と治療がセットになった処遇が盛り込まれるようにならないと、再犯率は下がらないと思う。