マツダのレーシングカー「マツダ787B」。マツダは世界最高峰の耐久レース「ル・マン24時間レース」にロータリーエンジンで過去13回挑戦。1991年にこのマシンで初の総合優勝を果たした(編集部撮影)

2012年に生産が終了したマツダのロータリーエンジンが再び脚光を浴びている。今年1月、トヨタ自動車が発表した次世代の電気自動車(EV)「e-Palette Concept(イー・パレット・コンセプト)」に、ロータリーエンジンがレンジエクステンダーとして搭載されることになったからだ。


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この装置はいわば発電用エンジン。ガソリンを使って発電し、バッテリーを充電することで、EVの弱点である航続距離を伸ばす。マツダとトヨタは2017年に資本提携し、EVの共同開発を進める。マツダの魂、ロータリーエンジンが誕生から半世紀を経て、電動車両の心臓部として復活することになる。

マツダだけが量産できたロータリーエンジン

「一隅(いちぐう)を照らす、此則ち(これすなわち)国宝なり」と書かれた色紙が、マツダの社長室に引き継がれているという。「それぞれの立場で努力をすることは、何物にも代えがたい国の宝」という意味があり、日本天台宗の開祖・最澄の言葉だ。1950〜1960年代に、3輪トラックから乗用車への事業拡大を成し遂げた3代目社長、松田恒次氏が座右の銘としていた。「これがマツダだと思います」と、小飼雅道社長も語る。


マツダのロータリーエンジンの内部構造。おにぎり型のローターが特徴的だ(編集部撮影)

この言葉を実際に体現したのが、昨年12月に95歳で亡くなった山本健一元社長だ。ロータリーエンジンの開発を指揮し、1967年に量産化を成功させた立役者で、「ロータリーエンジンの父」と呼ばれる。このエンジンは、おにぎり型のローターの回転運動だけで、パワーを生み出す。薄くてコンパクトだが、出力が高く、まるでモーターのような感覚で滑らかなパワーを出すことができる。ただ、耐久性や燃費など課題が多く、世界中の自動車メーカーの中で4輪向けに大規模な量産ができたのはマツダだけだ。

【4月2日17時07分追記】上記文中に「4輪向けに」を追記しました。


ロータリーエンジン研究部の初代部長を務めた山本健一氏。1991年のル・マン優勝後の祝賀会で(記者撮影)

1963年、若手技術者が極秘に集められて、マツダにロータリーエンジン研究部が発足。初代部長として研究部を率いたのが山本氏だ。難題に挑む47人の技術者は、「赤穂浪士」になぞられ、「ロータリー四十七士」として伝説が今も語り継がれる。

開発に着手したマツダは独NSU社と技術提携を結ぶ。だが、世界で誰も実現したことのない技術だけに、課題は山積していた。それでも、マツダには絶対に引けない理由があった。当時の通商産業省が、「日本の自動車メーカーはトヨタ・日産で十分」との見解を示し、自動車産業界の再編に否定的だった。ここで独自技術の開発に成功しなければ、自動車メーカーとして認めてもらえない――。まさに社運を懸けた開発だった。

社長の執念に応えたロータリー四十七士

開発開始から1年。「もうできません」と、一度開発をあきらめかけていた山本部長(当時)だった。だが、社長である恒次氏の執念を感じた山本氏は、研究部メンバーに対して「寝ても覚めても、ロータリーエンジンのことを考えてください」と告げたという。その使命感をメンバーも感じ取り、研究部はそこから3年で、ロータリーエンジンを完成させた。


ロータリーエンジン開発では、「悪魔のつめ跡」という難題が四十七士の前に立ちふさがった(記者撮影)

当時の研究部を知るマツダOB・小早川隆治氏は、「山本さんは、『ネバーギブアップスピリット』を若いメンバーに植え付けてくれた」と話す。開発陣を苦しめた「悪魔のつめ跡」という逸話がある。研究部はエンジンの回転によってできてしまうひっかき傷の解消に苦心していた。

傷を生じさせていたのは、エンジンの作動室の気密性を上げるためにローターの各頂点に取り付けられていたパーツだった。山本氏は「材料から見直そう」と材料だけの研究部門を立ち上げ、昼夜を分かたずさまざまな材料や形状での試行錯誤を繰り返した。これがロータリーの実用化に大きく貢献した。その姿勢はまさに「一隅を照らす」ものだろう。


マツダが1967年に発売した「コスモスポーツ」。ロータリーエンジンを初めて搭載した量産車だ(編集部撮影)

1967年発売の「コスモスポーツ」に初めて搭載されたロータリーエンジンは、車ファンたちを熱狂させた。日産自動車の志賀俊之取締役も「燃費規制が厳しくなり、車がつまらなくなってきたあの時代に、ロータリーエンジンの走りは衝撃的だった」と称賛する。1978年から1985年まで発売された初代「サバンナRX-7」はグローバルで累計約47万台の大ヒットとなった。


1978年発売の初代「サバンナRX-7」も大ヒットした(記者撮影)

スポーツカーとしての実力も伴う。1991年のル・マン24時間レースでは、このエンジンを搭載した「マツダ787B」が総合優勝を果たす。だが、1970年代のオイルショック以降「ガソリンがぶ飲みエンジン」と揶揄された燃費の悪さは、開発陣を最後まで悩ませた。環境規制への対応が困難になり、「RX-8」は2012年に生産終了。以降、ロータリーエンジンを載せた車は販売されていない。

ロータリーエンジンの開発は続く

しかし、「ロータリーエンジンはマツダの財産だ」と小飼社長が語るように、マツダはチームの規模を縮小しながらも、ロータリーエンジンの開発を続けている。2015年のモーターショーでは、「RX-VISION」という名前でロータリースポーツカーの復活を示唆するようなコンセプトカーが登場した(「マツダ、『RX-VISION』でロータリー復活へ」)。マツダのある役員は「ロータリースポーツの開発も続けている」と打ち明ける。しかし、現在は次世代エンジンの開発が最終段階を迎えていることもあり、量産化のタイミングが計れない状況だ。


トヨタ自動車が2018年1月に発表した無人運転のEV「e-Palette Concept(イー・パレット・コンセプト)」。このレンジエクステンダーに、マツダのロータリーエンジンが採用された(写真:トヨタ自動車)

その中で、先述したように、トヨタが開発を進めるEVのレンジエクステンダーに、小型・薄型という利点を生かして、ロータリーエンジンが採用されることが決まった。ロータリーは低回転時の効率が非常に悪く、燃費の悪化につながるが、発電用エンジンなら、車速に関係なく効率がよい回転数の範囲のみで使えばよいため、大きな弱点にはならない。

トヨタは2020年の東京オリンピック・パラリンピックの大会運営車両としての提供を計画する。ロータリースポーツの復活を望む往年のファンにとってはやきもきするところだが、今もなおロータリーの技術が生き続けていることだけは間違いない。


3月5日に広島市内で行われた山本健一元社長の「お別れの会」。自動車業界を中心に約1000人が参列した(記者撮影)

「人見は、すばらしい技術者。天才や」。3月5日に行われた山本氏の「お別れの会」で、感慨深そうに語ったのは現相談役の井巻久一元社長だ。人見光夫常務は、高効率エンジン「SKYACTIV(スカイアクティブ)」シリーズを世に送り出した立役者。マツダにとっては、ロータリーエンジンに次ぐ夢のエンジンで、米フォード・モーターからの独立後、マツダの回復を支えている技術だ。


ガソリンの自己着火を可能にした新世代エンジン「SKYACTIV-X」。マツダの技術が詰まっている(記者撮影)

人見常務はエンジン開発において、常識では不可能といわれていた「14」という圧縮比を実現。そして、昨年発表した次世代ガソリンエンジン「SKYACTIV-X」では、圧縮着火技術を世界で初めて量産用で成功させた。平たくいうと、この技術では、ガソリンをディーゼルエンジンのように自己着火させることで、従来よりも少ないガソリン量で同じだけの出力を得られる。ガソリンエンジンの力強い走行を犠牲にすることなく、燃費性能の向上につなげている(「マツダが『革命エンジン』に込めた強い意地」)。

「飽くなき挑戦」は今も息づいているか?

人見常務は山本氏と直接仕事をした経験はないという。だが、「不可能といわれたことをかなえた」という、ロータリーエンジンの開発秘話と通じるところがあるのは単なる偶然だろうか。井巻氏は、「非常識といわれてもやりきる、そういう技術者を育てることが経営の役目。マツダにはそれを認める精神があり、連綿と受け継がれているものだ」と語る。


マツダが2017年の東京モーターショーで発表したハッチバックの「魁(かい)コンセプト」。この車に搭載された次世代技術「SKYACTIV-X」は、2019年から新型車への導入が始まる(撮影:風間仁一郎)

山本氏はマツダの技術者たちに「飽くなき挑戦」という言葉も残した。言葉そのものが語られることはなくても、マツダには逆境に負けない力を培う土壌がある。前出の小早川氏は「次世代ロータリーはこうありたい、こうあるべきだと模索されているものが出てくると思う」と期待を語る。不可能に挑戦する技術者の不断の努力を、後輩たちが受け継いでいく。その精神こそがマツダの財産だ。