今まで何本かご紹介してきた「Play Back The OPTION」最高速ネタですが、なにかお気づきではありませんか? OPTの最高速テストドライバーといえば…そう、OPTION誌零代目編集長・稲田大二郎、通称:Dai。しかし、今まで紹介してきた記事の中に最高速テストドライバー・Daiは、まだ登場していないのです。

なぜ最高速テストをDaiがドライブするようになったのか…その誕生秘話が今回、紹介する1983年2月号に掲載された最高速テスト記事の巻頭に記されています。

悪天候の中でのテスト、ドライブを依頼したプロのレーシングドライバーから放たれた言葉……。では、見ていきましょう。

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1982年11月25日 最高速テスト・ドキュメント

烈風がすべてを決した! 「カーン!」、澄み切ったメカサウンドが、晩秋の青空に響きわたる。テストコースのはるか南バンクを駆け下りたマシンは、計測ポイントへのアプローチラインに乗った。バンクの走行抵抗から解放されたマシンは、さらにメカサウンドを高める。速い!

ステアリングを握るのは、あの日産ワークス三羽烏のひとり、レーサー:北野元。1968年、第5回日本グランプリで日産R381を駆り、ポルシェ・カレラ10を降し、日産に総合優勝をもたらした、まさにそのレーサーなのだ。

マシンは一直線に1.2kmのストレートの終端に設定された、400mの計測区間を駆け抜けた。いや、抜けようとしたその矢先、マシンは突如、2車幅余りもスパッと横っ飛びしたのである。風だ! 「400m地点のテープスイッチを踏んでないゾ!」、計測スタッフの悲痛な声がトランシーバーを震わせた。

【AM4:00】

ついに、決戦当日の朝が訪れた。外はまだ闇だ。「天候は?」「大丈夫。星が瞬いている」。体に突き刺さる真冬を思わせる寒気も、気にならなかった。何にも増して、我々が恐れたのは雨だったのである。もし、当日、雨に見舞われたなら、もはやテストは意味をなさない。雨はもちろん、最高速を低下させる。が、それ以上に300km/h近い速度でウエットのバンクに突入することは、自殺行為に他ならないからだ。

ちなみに、谷田部のテストコースのバンク最上段の設計速度は220km/hである。たとえドライであっても、オーバー250km/hカーともなると、コントロールは難しい。他誌のテスト中のことである。バンク内でフッとアクセルを緩めただけで、マシンはテールスライドを引き起こし、あわやガードレールに激突しそうになった「事件」もあるのだ。コンディションが雨ならば、いかに精鋭揃いであっても、記録はおろか、テストは中止せざるを得なかったのだ。

【AM5:30】

東の空が、薄っすらと赤みを帯びてきた。雲ひとつない快晴である。気温も低い。テストには絶好のコンディション、記録への期待が、いやが上にも膨らんだ。もう日の出も近い。すでに遠路九州からSS久保ソアラターボがコースイン。RSヤマモトZに奪われた国産最速の座を奪回すべく、心中深く決意を秘めたRE雨宮の1、2マシンも早々と姿を見せた。L型ビッグボアの究極、JUN3.5Lも、新たにニューZのボディに与えられ、往路の常磐高速で270km/hを余裕でマークしてきたと自信を見せる。

【AM7:30】

役者は揃った。全22のグリッドのうち、すでに21台がコースインしている。まだ姿を見せない、最後の1台が気になった。というのも、それは関西の雄、柿本レーシングZだったからである。北野元、津々見友彦、両テストドライバーも姿を見せた。ともあれ、後はAM8:00のテストスタートを待つばかりである。すべて順調であるかに見えた。が、この頃すでに、コースを横切る風は、気まぐれな突風を交えていたのである…。

あまりに危険だ! あの北野元選手、突如出走中止!

【AM8:20】

待ちかねたかのように、1番手フォルテクス・スカイラインRSターボがコースに挑んだ。目標はRS最高記録、249.13km/hの大幅更新である。ドライバーは北野元。ストレートを駆け抜けるマシンの姿勢はいい。が、いま一歩、記録は伸びなかった。

次いで、SS久保ソアラ・ターボがスタートを切った。ドライバーはもちろん、津々見友彦である。5速6500rpm、車速263.73km/h! 最速ソアラの誕生である。オーナーが思わず「ヤッタ!」とVサインを掲げた。

3番手はATS・BM・Zが務めた。先頃のOPTノミネート戦で271.18km/hをマークした実力派。チューニングは、ATS・BMとスリーテックの共同開発。スリーテックといえば、GCカーはもとより、あの最速ドラッグZのチューナーでもある。狙うはもちろん、国産最速の座であり、300km/hの壁! ドライバーは北野元。そして、全開でバンクを駆け下り、勝負をかけた2ラップめ、計測地点で突風にあおられたのである。この時の回転数、5速8000rpm! 推定車速291.96km/h。国産最速記録である。が、それは幻と終わった…。

カメラマンの証言。「あの時、北野さんはバンクでも本当に踏んでいた。ガードレール、ギリギリのところを細かくスライドしながら走ってきたんだ。さすがというのか、撮っているボク自身、背筋がゾクッとするほどだった」。

マシンを降りた北野選手は、そのままヘルメットを脱ぎ、フーッと大きく深呼吸をひとつして、口を開いた。「このコンディションで、このテのマシンでは、全開にはできないよ。みんなもっと、自分の命を大事にしたほうがいい。最高速がどこまで伸びるかは、これじゃ度胸ひとつだ。ボクはとてもじゃないが、これ以上は走れない」。

もちろん、いくら最高速テストとはいえ、その時の条件下で(安全性のマージンを十分取った上で)ベストを尽くす以外にない。北野選手とて、そのことは十二分に承知だ。その上で、彼は次のように語る。

「ボクはいったん走るとなると、身を削る走り方しかできない。でなかったら、走らないかだ。でも、身を削るには、あまりにも危険が大きすぎる」。

あたかも自分自身に言い聞かせるように、そう語って北野元はマシンから離れた。

北野選手のピンチヒッターは、Daiが務めた。HKS・OPTION・Zを足とするDaiならば、ハイパワーマシンの扱いはもとより、谷田部経験にも不足はない。とはいえ、あの北野選手が、「これでは全開にできない」とマシンを降りた後である。

しかも「Daiちゃん、くれぐれも気をつけろよ。度胸だけで踏んでいると、本当に死ぬぞ。オレはこの場に立ち会っているだけでも気持ちが悪くなってくる。先に失礼するよ」とまで言われているのである。風はいっこうに衰えを見せていない。いかに土性骨のすわったDaiとて、めいっぱい踏めるわけがなかった。

メカチューン派、無念!

しかし、そうした悪コンディションの中、津々見選手は経験にモノをいわせて、マシンを操る。富士スピードウェイで空力を詰めたという、HKSセリカXXは、安定した走りで260km/hをオーバーし、実力派チューナー、雨宮RX-7ターボ、RSヤマモトZターボも280km/hに迫る速度をマークした。

さらにウエスト・コルベットは、そのフォルムと車重にモノをいわせ、横風も切り裂き、285km/hまで記録を伸ばしたのである。

が、反面、メカチューン派は風に泣いた。往路、名神高速・大垣付近で、搬送用トラックが故障した柿本Zは、テスト用に装着済みのメガホンを切断し、捨ててある空き缶をマフラーがわりに細工して自走してきていた。

マシン・セッティングは、300km/hをも可能にするトップレブ仕様だ。レブリミットは無し! バンクを4速8000rpm以上で5速につながねば、パワーはのらないのだ。そしてその時の車速は、270km/hに達する! 逆に、そこまで回せなければ、たとえ7000rpmのシフトアップでもプラグがかぶってしまうほどなのだ。が、いかんせん、バンクでそこまで回せるコンディションではなかったのである。それは、他のメカチューン車にも総じていえることであった。

【AM12:00】

かくして、1982年総決算谷田部最高速トライアルは、無念の思いに包まれたまま終了した。記録的には確かに心が残る。だが、あえて言っておきたい。無事に最後の幕を降ろせたことは、あるいはいかなる記録よりも、価値があったのかもしれない、と…。

「レーサー以上に神経質になって欲しい」by北野元

250km/hオーバーといえば、その速さはF1マシンなみだ。それだけのスピードを出すのに、クルマを見ればベルトは市販の3点式で、ロールバーも付いていない。シートのサポート、ステアリングにしても、超高速度コントロールにはあまりにもプアだ。

ボクもR380で何度も怖い思いをしているし、かつてのチームメイトが、ストレートで木の葉のように横転したのを目撃したこともある。とにかく、ワークスが技術の粋を結集して作り上げた純レーシングマシンですら、300km/h近い速度で走って怖くないことはない。たとえ4点式シートベルトを装着し、ロールバーを組み込んだところで気休めに過ぎないかもしれないが、これだけのマシンに乗るのなら、当然レーサー並みの神経を持っていてしかるべきではないか。

本当にみんな、もっと命を大事にしたほうがいい。とにかくスピードが高くなり過ぎている。最高速テストのやり方も、この辺でもう一度、考え直したほうがいいんじゃないだろうか。

「パワーに見合う足と空力が課題」by津々見友彦

今回は、ちょっと全開性能を発揮するには、コンディションが悪すぎた。が、クルマに限ってみれば、チューニングの熟成が進み、トラブルも少なくなってきている。いずれにしても今後の課題としては、パワーの上昇に見合うだけのタイヤと空力の煮詰めだろう。でなければ、パワーがあっても、バンクやストレートでアクセルを踏めないからだ。

サスはやたらハーダーにしない方がいい。谷田部のバンク内はかなり路面が荒れていて、固すぎると安定性に欠けてしまう。タイヤもVR規格はもちろんだが、ひと口にVRといっても、超高速安定性となると、クルマとのマッチングがかなり異なってくる。車重等も考慮しつつ、ベストマッチング・タイヤを探ることが必要だろう。

「身の毛がよだつヨーイングの恐ろしさ」by稲田大二郎(Dai)

OPTの最高速テストで、初めての悪い気象条件だった。最高速テストというのは、マシンのエンジン、サスペンション、空力などに異常が無かったら、谷田部テストコースでは、ほぼ完璧な性能を出すことが可能だ。もちろん、300km/h近くになるとバンクの進入、脱出時には、繊細なテクニックが必要。それでも、直線で全開になるよう、コントロールできる。

しかし、チューンドカーは真っ直ぐ走らないことが多い。今回は直線、バンクなどで風が強く、ヨーイングが発生。特に、最高速に達する直線では、マシンによって5mくらい吹き飛ばされ、計測ラインを踏むのも困難だった。その瞬間は、身の毛がよだつ感じだ。

速い国産マシンが全開できなかったので、記録的には今一歩だったが、この条件では死を賭けた限界スピードだと思って欲しい。

それにしても、国産マシンの1年間におけるスピードアップぶりは、恐るべきものがある。ただエンジン出力は限界なく上がっても、それに見合う駆動系の強化やサスペンション、空力特性がベストマッチしないと、危険なことはいうまでもない。今後はレース専用マシン並みの信頼性が、記録を大きく左右すると思われる。

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北野元選手でさえ、危険過ぎると判断しクルマを降りました。それだけ、最高速テストというものは、誌面で見る華やかさ以外に、ドライバーが命をかけて記録に挑んでいる、というストーリーもあるのです。そしてこの日のテストは、この後のOPT最高速テストの挑み方に一発、気合を入れた日となりました。

今現在の最高速テストは、クルマ自体の剛性、安全性、使うパーツの信用性、またタイヤ性能もアップし、もちろんクルマを作るチューナーのウデも信頼のおけるものとなってきているので、この時代の危うさは減少しているのも事実。でも、だからといって、必ずしも絶対に安全!は、無いです。今だって結構、気合を入れて最高速テストをしているんですよ!

さて次回【その2】以降では、この日に思ったDaiの気持ちがDai BOOK「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」(三栄書房刊)にも記されているので、その紹介も含め、この日テストしたマシンチェックを紹介しますので、お楽しみに!

[OPTION 1983年2月号より]

(Play Back The OPTION by 永光やすの)

最高速テストドライバー「稲田大二郎」が誕生した日【OPTION1983年2月号・その1】(http://clicccar.com/2017/08/18/501091/)