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●「切り絵」制作において大切なこと/中島美嘉や水道橋博士との仕事について「切り絵」と聞いて、懐かしい絵本や、和のテイストで刻まれた版画のようなものを思い浮かべる人が多いのではないだろうか。だが、切り絵作家・福井利佐の作品は、そんなイメージを覆すものだ。縦横無尽に広がる無数の線が強い印象をもたらし、一度見たら忘れることができない。その手から生まれる作品は、いったい「切り絵」であるのかもわからないほどに独特な雰囲気をまとい、中島美嘉や水道橋博士といったややクセのある著名人とのコラボレーション作品においても、その存在感を発揮している。

今回は、切り絵のイメージを覆す作品群が生み出された経緯や、作品に込められた思いなどについて、じっくりと話を聞いた。

――福井さんの生み出す作品は、これまでの「切り絵」とは一線を画すものですが、福井さんの作品制作において重要なのはどのようなことですか?

本格的に切り絵を始めたのは、多摩美術大学のグラフィックデザイン学科に在籍していた頃です。3年生になると、徐々に"自分の表現"を見つけていかなければならなかったのですが、周囲には絵がうまいのはもちろん、すでに面白いことをやっている人たちがたくさんいました。とても同じ土俵では闘えないと思いましたし、自分には何が向いているのかを考えた時、ふと、昔の楽しかった記憶を思い出して切り絵をやってみたら、とても面白かったんです。

当時、まわりに切り絵をやっている人はいませんでしたが、講評ではズラッと並べられた作品の中で先生が興味をもったものから取り上げていくので、まずは「絵」として面白くないと声すらかけてもらえない。切り絵という表現手法はさておき、まず、絵として成立していなければならないのだと強く感じました。そこが原点ですね。一枚の「絵」として興味をもってもらい、よく見たら「切り絵」だった、と気づいてもらうような作品を作りたいなと思っています。

――ここからは、仕事としての作品制作についてお聞きできればと思います。クライアントワークでは、福井さんの作品を切り絵ではない状態で見せるケースの方が多いのではないでしょうか?

立体物に転写されたり、印刷物になったりすることも多いですね。立体の場合は、例えば鯉の切り絵を使ったリーボックのスニーカーや、車のシートに植物の作品を写しとった製品などがありますが、そのものの形状を活かした絵を考えます。

また印刷物の場合は、まず「絵」として成立するように心がけているのは同じですが、切り絵の線には特徴があると思うんです。デザインされた線やイラストとは違う印象を、見る人に与えられるのではないかと。「切り絵」とはわからなくても、人を魅了するものを作りたいですね。

――また、有名人をモチーフにした作品の場合、その人となりを表現するのが難しい場合もあるのでは?

中島美嘉さんと水道橋博士さんについては、直接お会いして、ご本人の意思を尊重しました。というのも、お二人ともかなり明確なビジュアルイメージをお持ちでしたので。

中島さんとはこれまでに3回お仕事をさせていただいています(最初がCDジャケット、ツアーパンフ、写真動画集。いずれもアートディレクションはタイクーングラフィックス)。回を追うごとに、ご本人との意思の疎通ができるようになっていきました。

写真動画集の時は、骸骨のビジュアルがイメージに合いそうだなと思いつつ、若い女性のアーティストということでやんわり気を使ったら、「むしろそこまでやってほしい!」というオファーで(笑)。お互いに刺激し合うことができましたし、ノンストレスでした。基本的には、私の作風を理解して依頼してくださる仕事が多く、幸せなことですね。

●皮膚の感触を線で表した「個人的識別」――昨年は、水道橋博士の著書『藝人春秋』の装丁で使われた作品が話題になりましたが、福井さんの切り絵はモチーフ上に広がる複雑な線が特徴的です。どうしてあのような線が見えるのでしょうか?

デッサンで立体に起こすときの線がベースにあるのかもしれません。美大を受験するときに、「ものを立体的に描きたかったら、そう思って描け。そういう線が出るぞ」と言われてきた、デッサンの経験が生きているのだと思います。

――なるほど。切り絵というと、シルエットで表現する平面的な絵というイメージがありますが、福井さんの作品は確かに立体的で、動きがあります。人間の顔や動物といったモチーフが印象的ですね。

以前、「能面」にハマっていた時期があります。人間のようでいて人間ではないし、ひとつの表情が貼りついたお面というものにすごく興味を持ち、いくつも作品を作りましたが、能面は死の世界を表現する道具でもあるし、動きがない。何か"生きていない"な、と。徐々に「いま生きてる人を描きたい」と思いはじめ、おじいさんの顔を切ってみたんです。

――おじいさんですか!

切り絵はやはり線が大事なので、老人の皺というのはわかりやすいですよね。でも、若い人や赤ちゃんの皮膚感も線で表現できないかと、"線の表情"を考えるようになっていきました。

その頃、サイエンス雑誌か何かで「個人的識別」というタイトルの記事を目にしました。人間の皺や皮膚感は一人ひとり違う。その人の生きてきた環境や職業、人種によって、どんどん変化していくものであると書いてありました。顔というのがそのように形作られているということを知ってから、ますます線の魅力にはまっていったんです。大学の卒業制作で取り組んだ「個人的識別」というシリーズは、ここにヒントを得ています。

――立体感だけでなく、「躍動感」や「動き」が感じられるのは、一本一本の線にそういう思いが込められているからなんですね。今年4月〜6月にかけて開催されていた金津の個展に際して、「わたしが表現するのは「生命力」です」というメッセージを寄せていましたが、そのように思うようになったきっかけは?

切り絵では、建物などを題材にする作品も多いのですが、私自身は、人の顔を切りはじめてから、"生きていないもの"にモチーフとしての魅力を感じなくなったんです。なぜか、外界の刺激によって有機的に変わっていくものにすごくくすぐられるんですよね。風が吹いてあっちを向いてしまった草木とか、ひたすら太陽の方に向かって伸びている花など、生きているからこそ変化していくものや、生命のたくましさ、みたいなものに。

自分も動植物からそういうものを感じていて、それを作品にしたいという衝動があるのだと思います。そして、見る人にも、私の作品からそういう力を感じてほしいですね。

(石田有紀)