Mart編集長 大給近憲 1960年、群馬県生まれ。1984年光文社に入社。雑誌「CLASSY.」「女性自身」を経て、2004年「Mart」を創刊、編集長に就任。

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■主婦がビーズをつくる本当の理由

イケア、コストコ、食べるラー油、フレンチ鍋のル・クルーゼ、ホームベーカリー、柔軟剤のダウニー、シリコン製調理器具のルクエ、スーホルムカフェのトートバッグ、ハイアールの冷凍庫……。

これらは光文社の雑誌「マート(Mart)」が取り上げて、女性の間でヒットしたショップや商品の数々だ。たとえば、スーホルムカフェのトートバッグは4000個の販売目標が17万個以上(!)、ハイアールの冷凍庫は雑誌掲載後1週間で6000台も売れたという。しかも、こうしたヒットは偶然の産物ではなく、意識的に仕掛けた結果というのが注目に値する。

「マートは人と人をつなぐコミュニケーションツールの最新情報と“場”を提供する雑誌です」

と、2004年の創刊以来、編集長を務める大給近憲氏は説明する。「コミュニティ」や「コミュニケーションツール」は「マート」を語る際のキーワードだが、ここにたどり着いた経緯が興味深い。

「創刊前に港北や浦安の30代の主婦たちに話を聞いたら、当時、ビーズが流行っていました。ところが、その中に『本当は好きじゃないけど、やっている』という人たちがいたんですよ」

何が悲しくて嫌いな手づくりビーズをやっているのか。大給氏は訝しく思った。

「ビーズづくりに興味はないが、ビーズづくりをすればコミュニティの一員になれるし、交流できるのが楽しいという。つまりビーズはホビーではなくコミュニケーションツールだった。なるほどと思って詳しく話を聞くと、ル・クルーゼやダウニーを見せ合ったり、使い方を伝え合ったり、ビーズ以外にもコミュニケーションツールがいくつもあったんです」

たとえばピンク色のル・クルーゼの鍋なら、テーブルにそのまま出しても様になるし、オープンキッチンのガス台に“さりげなく”置いてもおしゃれ。そうした生活シーンは、いわば「主婦のプレゼンの場」で、華やかなクライマックスだ。

女性誌でフォーカスされがちな麻布や成城で暮らす優雅なセレブ妻など、本当は少数派。かといって節約ばかりに勤しむ倹約主婦像も極端だ。大多数はいろいろな意味で「そこそこ」の普通の主婦で、2万数千円のル・クルーゼなら買えるし、その金額に見合う価値があると考えている。港北や浦安、埼玉などに住む30代主婦たちは、04年当時、すでにこうした価値観を共有しつつあった。そこで大給氏は、毎日の生活を彩るコミュニケーションツールを通した「そこそこの主婦たち」のコミュニティの場として「マート」を位置づけることにしたのである。

■「楽しみ方」を変えれば商品の新鮮さを保てる

普通の主婦のコミュニティの場であるなら「生活者の実感」を反映させることが肝要だが、具体的にはどのように「生活者の実感」をとらえてきたのか。

「たとえばある読者モニターが、新しいハンドソープのデザインを見て『生活シーンを考えていない』『私が求めているのはこういうものではない』と言って、理由を説明してくれたことがあります」

手を洗う瞬間は生活くさくて憂鬱。だけど、ポンプ部分がピンク色だったら、ハンドソープを手に出す瞬間は楽しいと思う。この2秒間の気分を盛り上げてくれるデザインであってほしい。

「生活くささを受け入れているけれど、安くて汚れが落ちさえすればいいと、実用性だけを重視しているわけではない。僕はこの話を聞いたとき、ハッとしました。彼女たちに支持されるのは、行動の中に有機的に結びついたモノなのだ、と」

ホームベーカリーもこうした「生活者の実感」から支持されたヒット商品。ホームベーカリーは2万円程度と安くはないが一度入手すれば何種類もパンがつくれる。焼きたてのパンは格別だし、ママ友お茶会の手土産にもなる。レシピ交換すれば話も弾む。費用対効果が抜群の商品なのである。そこでホームベーカリーの別冊を作ったところ、こちらもヒット。現在までに3冊出版されている。

「読者にどんなパンが焼きたいか聞いてみたところ、パンの名前ではなく『ポールで売ってるようなパン』とお店の固有名詞を使った言い方をしたんです。だから僕らは人気のパン屋さんに頼み込んでレシピを教えてもらい掲載することにしました。『○○みたいな』の○○は読者の気分で次々と替わりますが、この固有名詞のキーワードさえ旬であれば、すでにホームベーカリーを持っている人に対しても、常に新鮮さを保つことができる。弊誌が同じ商品やショップを、利用法や楽しみ方をいろんな角度で伝えながら、繰り返し取り上げる理由も同じです」

こうした仕掛けと“現場ありき”のポリシーが徹底している「マート」は、文字通りの読者参加型雑誌でもある。誌面に積極的に登場する「読者会員」(約3000人)とアンケートや情報提供、モニターなどを行う「ウェブ会員」(約1万6000人)という2つの組織を持っていて、誰でも参加可能なのが特徴だ。

「初期には登録するとおまけがもらえる、といったキャンペーンをしたことがありましたが、単に幽霊会員を増やすだけで失敗でした。コミュニティの質やロイヤルティを下げるので、今では書き込みに応じてポイントが貯まったりするようなことも行っていません。来る者拒まず、去る者追わず。読者を囲いこまず、新鮮な水がどんどん流れる川のようにしたい。池の水はいつか淀んでしまいますからね」

大給氏の「川と池」のたとえ話は「ご意見番のようなカリスマをつくらない」という編集方針にも通じている。

「カリスマはカリスマゆえに意見にブレがなく、固定的になりがち。だけど普通の人の好みの感覚は日々変わっていくものだし、オタクにもならない。いい意味で移り気。そういう自分たちの感覚に合う情報を教えてくれるのは誰か? といえば、やはり、“いいね!”と共感しあえる、そこそこの主婦で形成されたコミュニティのメンバーなんですよ」

ただし、雑誌に掲載するのはメンバー間で「流行っているモノ」ではない。読者会員の登録情報を分析して、現時点での「マート」の世界観に一番近い生活をしているごく少数のメンバーを選び出し、彼女たちが強く推すものを取り上げるのだ。そのメンバーは常に入れ替わる。ここで誰を選ぶかが、大給氏ら編集者の腕の見せ所だ。

多くの企業が主婦向けの商品開発に苦戦する中で、「マート」は主婦たちの声を引き出すのが上手だ。コツは何か。

「自分はおじさんで何もわからない、という役割を引き受けて、教えを乞うスタンスで接することかな。すると彼女たちは、まったくもう、しょうがないわね、と丁寧に教えてくれるんです(笑)」

■「消費者イノベーション」の理想型
●神戸大学大学院経営学研究科教授 小川 進

「Mart」はクックパッドと同様、コンテンツを出す人の目線が読者と非常に近い点に特徴がある。従来の女性雑誌のようにカリスマモデルが服の着こなしを見せるのではなく、隣の奥さんのような人が着こなして見せるため、読者が真似ても違和感がない。

カリスマ的な存在をつくらずとも、読者を充分引きつけられることを「Mart」は示している。むしろカリスマをつくらず読者の囲い込みもせず、誌面を淀んだ池ではなく流れる川にしていることがポイントであろう。これまでのメディアやブランドは、お客と一緒に年齢を重ねていくものが多かった。だが、「Mart」の取り組みはそれと逆行し、「去る者は追わず」という姿勢をとっている。

ミツカンの項でリードユーザーの発見は困難と述べた(※記事はこちら:http://president.jp/articles/-/8240)。その理由の1つは、リードユーザーには一発屋が多いためである。米MITのフォン・ヒッペル教授らとの共同調査によると、1人のリードユーザーがイノベーションを起こした回数は3年間で1〜2回というケースがほとんどなのだ。

つまり、いいアイデアを出した人を探し、「次のアイデアを出してくれ」と頼んだところで新しいアイデアはほとんど出てこない。リードユーザーはどんどん入れ替わる。消費者参加型のイノベーションに取り組む企業が増えているが、その多くはセミプロのようなユーザーを長期にわたって追いかけている。

ところが「Mart」はそこに気づき、同じ読者を繰り返し登場させることを極力避けている。絶えず外部から新しいアイデアが入ってくるコミュニティづくりを意識しているのだろう。

素人のアイデアは一目見ただけでよさがわかるようなものではないことが多い。だから、際だった特徴のある人や専門家を探すよりも難しい。だが、その困難な課題に挑戦しているのが「Mart」であると言えよう。

※すべて雑誌掲載当時

(中沢明子=文 永井 浩=撮影)