W杯1次リーグ敗退から一夜明けた23日、フランス代表が南アフリカを出発して帰国の途に就いた。ニジェールを経由して24日正午近くにパリ郊外の空港に到着する。選手のうちフロラン・マルダは単身で空港に向かい、一足先に出発した。行き先は明らかにされていない。

 大会最後となった南アフリカ戦のあと、記者会見に臨んだのはドメネク監督のみ。選手たちはミックスゾーンで報道陣の質問に短く答えたが、一様に重い口調で「いまはまだ話せない」と“内紛”については説明を避け、国民の期待を裏切ったことへの謝罪に終始した。

 その中で、この試合に出場しなかったエリック・アビダルが、レキップ紙とのインタビューで比較的くわしく答えている。

 アビダルは、大会でのフランスの不振について「期待されたような道のりを実現できなかった。でもその説明はつく。偶然そうなったわけじゃない。我々に悪い選択をとらせてしまう原因があった」と語った。

 ただし、その「原因」については、他の選手たちと同様、「真実はこれから明かされる」と明言を避けた。いずれにせよ、アネルカの追放をきっかけに問題が「爆発」したことはたしか。ティーニュ(アルプス)の合宿に入った当初は、チームの雰囲気がよく、選手は結束していたという。

 それが、強化試合の3戦で、勝ち、引き分け、負けと結果が徐々に悪くなるままW杯開幕を迎えてしまい、“破局”へとつながっていく。それも「偶然ではない」とアビダルは語る。

 今回フランス代表が起こした“騒動”のピークは3戦目の2日前に練習をボイコットしたこと。選手としては、アネルカ追放を決めたフランスサッカー連盟に抗議して、アネルカへの連帯を示すことが目的だったが、国内では激しい批判の的になった。

 これについてアビダルは、「我々は連盟の決定に不服だった。それを示す必要があった。おそらく人々には悪く解釈されたが、内部にいる我々は何がどう起こったか、何が言われたかを知っている。その時点で、我々はいちばんよい方法をとろうとした。いまとなって振り返れば、別のやり方で対処することもできた。よい選択ではなかった」と後悔をにじませつつも、そうせざるを得なかった背景があったことを示唆した。

 南ア戦にアビダルが出なかったのは、本人がそう申し出たためだと試合後にドメネク監督から説明があった。アビダル自身もこれを認め、「監督との話し合いで、何もかも包み隠さず言った。彼がそれをよく受け止めたかはわからないが、あの時点ではそうする必要があった。自分が100パーセントじゃないときにプレーしても何にもならない。自分がよくないときには、それを言わなきゃいけないこともある」と語った。

 主将のエヴラと並んでボイコットの“首謀者”のひとりと指摘され、今回の一件で株を下げた感のあるアビダルだが、現時点で話せない言い分はいろいろあるようだ。これからも代表でプレーする意思はあるかと問われると、「友人と話し合って決めたい。どうなるかわからない」と答えた。