中村はそれを痛感したのかもしれない。

「やっている形は間違いがないと思う。ただ何か足りないものがあるから。もっと質を高くしたり、相手に対してとか状況とか。細かいこと、小さな課題がまたいっぱい見つかったから。それを修正すればいい。ゆるぎないものはあるからあんまり迷わない」

 見えた課題を克服するのは容易い。課題が見えないまま、うまく行かないとクビをひねっている状況というのがもっとも厄介だ。だからこそ、ウズベキスタン戦後、中村はある種の手ごたえを感じたのかもしれない。「修正さえすれば、問題はないだろう」と。しかし、その小さな、細かい課題をどれだけ選手と共有できたのだろうか?

「ああすればよかった」と思っても、それをピッチで体現できなければしかたがない。頭で気持ちでわかっていても行動に移せるか? そのことの難しさは中村自身も理解しているはず。自分より10年近く若い選手に対し、何を求め、どう彼らを促していくのか? リーダーとしての自分自身にも中村はジレンマを感じたのかもしれない。
 
 試合の結果にももちろん満足はいかなかった。

 と、同時に「悪くは無かった」と語った試合内容だが、もちろん中村が満足しているわけはない。「ああすればよかった」「こうもできただろう」「こんな話をしておけばよかった」など、10月9日のUAE戦、そしてウズベキスタン戦と長い合宿中で、チームメイトに伝えきれなかったことを中村は少し悔いているのかもしれない。
 
 試合前日会見で、岡田監督は「アジア予選以降はコンセプトを変えることも考えている。予選のバージョンの浸透度は半分くらい」といったコメントを会見で残した。そのコンセプトについて中村は試合後「これプラス何かが必要だと思うけど、ここは突き進んだほうが絶対にいいと思う」と話し、「監督は半分ぐらいと言っているがどの程度浸透しているか?」と問われると、苦笑いを浮かべ「そろそろ行きます」と明言を避けた。
 
 サッカーに完璧はない。100点も100パーセントもない。だからこそ、コンセプトの浸透度を数字であらわすことはナンセンスだ。細かいアクシデントや小さな課題は絶えず生まれるし、そのたびに修正しなければいいけない。修正するたびに進化していくのが、選手でありチームなのだから。

 無言の中村からはそんな気持ちが感じられた。マスコミはきっとこれからも、コンセプトの浸透度について聞いてくるかもしれない。中村はまた新しいジレンマを抱いただろうか?

 悲観するつもりはない。しかし楽観もできない。そんな夜だった。

サムライ通信 - 日本代表の戦いを人物から紐解く