1998年ワールドカップ、ユーロ2000の優勝メンバーである元フランス代表のエマニュエル・プティがフットボール選手としての20年間を書き綴った自伝を出版し、その中でバルセロナでの時代について“最悪”だったと回想している。

 バルサ時代の章では「私の人生で唯一残念なのはアーセナルを辞め、バルセロナに移籍したことだ」と辛辣な冒頭から始まり、自身の移籍は当時のガスパール会長の野心を満たすためのものだったと述べている。

 チームメイトとの関係についても「チームメイトを知るためにロッカールームに入っていったが、彼らのほとんどは私に注意を払うことも、挨拶することもなかった。少し経って、チームにはカタラン派、オランダ派、その他、と3つの派閥があることも分かった」と当時のチーム内の雰囲気をそう言い表し、セラ・フェレール監督(当時)については「監督はもう1人のフランス人、(リシャール・)ドゥトルエルに通訳するよう求めたし、リシャールは見るからに困惑していた。そして、冗談ではなく、私のポジションがどこなのか知ろうとしていた。彼はピエロであり、無能だった」とバッサリ。他にもバルサでの最悪の思い出が綴られている。

 プティは2000年にバルサへ移籍。しかし、セラ・フェレール監督の構想に合わなかったため出場機会に恵まれず、たった1シーズンでチェルシーに移籍した。そのセラ・フェレール監督にしても成績不振を理由にシーズン途中で解任されている。プティにとってバルサは最悪な思い出でしかないようだが、当時はバルサの低迷期であり、最悪の時期にバルサに移籍してしまったと言えるのかもしれない。

(スペイン通信)