生まれながらに難病を抱え、幾度となく死の淵を見てきた三遊亭あら馬さん。二つ目昇進の直前に人生2回目の余命宣告を受けながらも高座に立ち続け、壮絶な闘病生活を乗り越えて再び高座に戻るまでの軌跡を振り返ります。(全4回中の4回)

【写真】「肝硬変で余命宣告」黄疸で顔色が変わり始めた三遊亭あら馬さん(全21枚)

余命宣告と生体肝移植への決意

前座時代に肝臓の数値が徐々に悪化していった

── 2021年の二つ目昇進時、体調がかんばしくなかったそうですね。当時の状況をお聞かせください。

あら馬さん:はい、生まれつき難病の胆道閉鎖症で、小さい頃から度々手術をしてきました。元々悪かった肝臓の数値が悪化して前座の終わりごろには肝硬変になり、2021年2月に余命半年と宣告されました。その3か月後の5月に二つ目に昇進したんです。前座時代はストレスが大きく、打ち上げなどでお酒も飲んでいたので、肝臓がどんどん悪くなって入退院もくり返していて。それでも「二つ目がゴールだ」という思いが強く、「肝臓移植まではしなくていい。二つ目になれればそれで本望だ」と自分に言い聞かせていました。

── 落語家にとって「二つ目」とはどのような意味を持つのでしょうか?

あら馬さん:落語家のキャリアは、「前座」「二つ目」「真打」という三段階で構成されているんです。前座は文字通り修行時代で、自分の落語を披露する機会も限られ、楽屋仕事がメインです。宣伝のポスターに名前すら載らず、「おい前座!」と名前すら覚えられないことも(苦笑)。

一方、二つ目に昇進すると状況が一変し、ようやく一人前の落語家として認められ、自分の名前で高座に上がれるようになるんです。だからこそ、私にとって二つ目の昇進は大きな目標だったんですよ。

── 二つ目に昇進後、かなり体調が深刻だったのでは。

あら馬さん:二つ目昇進から3か月後の8月になると、体の変化が顕著になりました。黄疸はもちろん便は白くなり、慢性的な下痢に悩まされ、高座が終わるたびにトイレに駆け込む状態でした。死んだ肝臓では処理能力がなく、代わりに脾臓が大きくなり腹部も膨らんで胃が圧迫され食べる量も限られていました。

肝硬変末期。黄疸を通り越して顔が茶色く変色した

── そのような状態で高座に立ち続けられたのは驚きです。

あら馬さん:不思議なことに、高座に立っているときは元気だったんです。笑いの力はすごいですね。余命宣告から半年経つのに死なないし、元気になれる。肝硬変の合併症でアンモニア脳症という状態になると滑舌が悪くなったり、思考がはっきりしなくなったりするんですが、さいわいそこまで進行していませんでした。

ただ、見た目の変化は激しくて、黄疸を通り超えて肌が茶色になっていました。そのせいか、お客さんが笑ってくれなくなってしまって。これでは落語が続けられないぞと。

── そんななかで、生きる決意をされたそうですね。

あら馬さん:はい。二つ目に昇進した途端、思いもよらなかった隠れファンの存在に気がついたんです。「密かに応援してました」といった声を聞いて深く感激しました。それまでは、35歳のときに一度、胆管細胞がんの疑いで開腹手術を経験し、その痛みがトラウマとなって「二度と開腹手術はしたくない。それなら死んだほうがマシだ」と思っていたんです。

しかし、二つ目の昇進後は「自分の落語を楽しみにしてくれる人がいる。もっと高座に立ちたい」という思いが生きる気力となり、「肝臓移植に挑もう」という決意をすることができました。

弟の肝臓の25%を移植したものの

手術に向かう前のドナーの弟と

── 10月に弟さんから肝臓を提供されたということですが、その経緯を教えていただけますか?

あら馬さん:弟が以前から「俺の肝臓をあげるから手術しろ」と言ってくれていたんです。でも、私は「まだ大丈夫、手術は嫌だ」とずっと断っていました。しかし、前述のとおり、体調がどんどん悪化して8月にようやく「移植しようかな」と決心しました。弟に「お前、会社休める?」と聞いたら、「いいよ、娘の運動会があるけどね」って(笑)。

結局、病院側からも「あなたの肝臓移植の優先順位はすごく高い」と言われて。だけど、私はまだしゃべれていたし、死にかけてはいないので、亡くなった方からの肝臓提供を受けられませんでした。結局、弟の肝臓の25%を移植することになったんです。

── 手術の流れはどのようなものだったのでしょうか。

あら馬さん:弟が先に入院して検査を受け、私がその1週間後に入院しました。手術当日は、弟が先に手術を受けて、その1時間後に私が隣の部屋で手術を受けました。

ただ、私の体の状態が予想以上に悪く、医師からすると25%では全然たりなかったそうです。肝臓は1か月で100%の大きさに戻るんですが、その1か月間に耐えられるかどうかが問題でした。実際、拒絶反応も出て敗血症にもなり、ICUでは本当に厳しい闘いでした。

でも私には、12月に地元の鹿児島で小遊三師匠をお呼びして、二つ目のお披露目公演をするという目標があったんです。手術前に先生に「先に公演をしてから手術をするのか、それとも手術してから公演ができるのか」と聞いたら、先生が「12月には間に合いますよ」って言ってくれて。それで手術を決意し、術後のリハビリに全力を注ぎました。

 

── それはすごいです。

あら馬さん:体はまだつらいんですけど、人間は寝たきりでいるとよくないと聞いていたので、術後3日目には早くもスクワットしたり、東大病院のICUでエアロバイクをこいだり、筋トレをしたりしていましたね(笑)。「東大病院のICUで自分で歩いてシャワーを使う人なんて見たことない」と看護師さんたちは驚いて全員で私のシャワーシーンを見に来たほどでした。

── そんな驚異的な回復の原動力は何だったのでしょうか。

あら馬さん:「12月には絶対高座に立つんだ」という目標があったからこそ頑張れたんです。ICUから一般病棟に移ったときも、12月の新しいネタを考えて練習していたら看護師さんに「うるさいです」と注意されちゃって(笑)。でも、それくらい落語が私にとっての支えでした。

壮絶な闘病生活を経て高座に復帰。そして今

2021年12月、羽田空港で。胆汁を体外に排出する管が付いたまま鹿児島へ向かう

── 2021年12月の高座復帰時、体調はいかがでしたか?

あら馬さん:正直、見た目はかなり悪かったです(苦笑)。その時期はまだお腹から管を出して胆汁を外に排出しなきゃいけない状態でした。それでも高座への思いが強くて、その管をつけたまま鹿児島行きの飛行機に乗ったんです。周囲からは「こんな状態で飛行機に乗るなんて」と心配されましたよ。

でも、実際、体調的にはそこまで悪くはなく、12月には痛みもほぼ消えていました。15分×2回という短い時間でしたが、管を一時的にはずして無事に高座に上がれたんです。落語のできはさておき、とにかくその場に立てたことが嬉しかったですね。

── そのときの心境をお聞かせください。

あら馬さん:まず、小遊三師匠への「キャンセル料を払わなくて済んだ」という安堵感がありました(笑)。そして何より「生きたな」という実感が強かったです。この高座に立つために手術したので大きな達成感がありました。

私は遠い未来を見据えるタイプではなく、毎日、目の前の目標に向かって生きるタイプなんです。だから、この12月の高座に立てたことで「これで死んでもいい」と思えるほどの充実感がありました。

死に物狂いの鹿児島公演

── 周囲の反応はいかがでしたか?

あら馬さん:多くの方が涙を流してくださいました。母の知り合いや私の同級生などが集まって、まるで同窓会のような雰囲気でしたね。

だけど、みんな私の瘦せこけた姿に驚いていました。末期患者、体重が59キロから43キロまで落ちていたんです。「術後2か月で高座に立つ人なんていない」と驚かれました。鹿児島弁で「ぼっけもん」(冒険者、無鉄砲な人)と呼ばれ、「やっぱり、この子に何を言っても無駄だ」と思ったでしょうね(笑)。

今では、逆に当時のことを知らない人は信じてくれないんです。「肝臓移植って嘘でしょ?」と言われて、打ち上げでは普通にお酒を注がれるようになりました。もうそろそろ病気の話もおしまいかもしれませんね。

 

── 現在のお体の状態はいかがですか。

あら馬さん:肝機能自体は問題ありません。ただ、免疫抑制剤を12時間おきに服用する必要があり、他の健康上の課題はありますね。皮膚科や婦人科にも通院中で子宮筋腫もあるんですが、過去の手術の影響で体内が癒着しているため、新たな手術すると人工肛門になる可能性が高くて、手術不可能と言われています。

それでも、肝臓に関しては大丈夫です。3か月に1回の定期健診と年に1回のMRI検査を受けながら、今は初めて普通の生活を送れています。生まれてこの方、病人でしたから(笑)。これからも落語を通してたくさんの人たちに笑いを届け、同じ病気で苦しんでいる人へ、これから肝臓移植を考えている人へ参考になる検体でありたいですね。

三遊亭あら馬さん

PROFILE 三遊亭あら馬さん

さんゆうてい・あらま。落語家。女子大生タレント、ラジオパーソナリティ、コンサル会社総務、フリーアナウンサー、劇団スーパーエキセントリックシアター研究生を経て、2017年、三遊亭とん馬に入門し落語家に。2021年5月に二ツ目昇進。2019年杉並区立小学校PTA連合協議会会長。2022年11月より宝島社女性ファッション誌『GLOW』専属読者モデル。2023年4月、フジテレビ『めざまし8』、2024年9月、NHK『視点・論点』でPTA会長4回経験の解説者として放映。2024年10月より調布FMレギュラーとして出演。

写真提供/三遊亭あら馬