スペシャル対談に臨んだ糸井重里氏(左)と森保一監督(カメラ・小泉 洋樹)

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 サッカー日本代表の森保一監督(56)と、コピーライター・糸井重里さん(75)のスペシャル対談。第6回は「監督業の楽しさ」。重圧以上に感じる、好きなことを職業とする楽しさについて語った。(取材・構成=星野浩司)

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森保監督「世界の競争力の中で日本人がポジションを勝ち取っているのを見ると、すっごい自信になって、すっげぇ、選手たちが日本人のメンタリティーを持って一つになって戦えれば世界一を取れる日が来るなって、すごく思わせてもらえます」

糸井さん「今『すっげぇ』と言った時って、ファンの顔でしたよ」

森保「はい。そこはできるだけ見せないようにはしてますけど(笑い)」

糸井「勝たせてくれる監督がつまんなそうにしていてもいいかもしれないけど、彼も面白くあってほしい」

森保「そうですね」

糸井「物事を知ることは好きな人にかなわない、好きな人は楽しんでいる人にかなわない。論語の言葉です。楽しんでいる人って命をかけてるように見えてるところで、うれしい、楽しい気持ちがある気がするんです。苦しそうな顔をしててもね」

森保「おっしゃる通りです。監督業が本当に面白いかどうかは、プレーヤーの方が面白いので。でも、監督の立場で素晴らしい選手、スタッフと一緒に仕事をする中で喜びと誇りがすごくあって、日々充実しまくってます。楽しんでいると思われるのは本当に大当たりです」

糸井「それを言える人じゃないと無理ですよね。僕はうそで『つらいばっかりだ』って言ってるんですよ」

森保「ははははは」

糸井「絵描きの先輩の横尾忠則さんが『絵を描くのが好きじゃない』『めんどくさい』といつも言ってるんです。でも、(両手を広げて)こんな大きな絵を毎日のように描いていく。そんなに嫌だと言う人が、おかしいと思うんですよね」

森保「はい(笑い)」

糸井「前から怪しいなと言ってたんですけど、この間(横尾さんが)『僕は嫌だ嫌だと言ってたけど、あれは違ったかもしれない』と、88歳で急に言い出した。え?って言ったら『そう言ってた方が楽で描きやすいんだよね』と。つらいつらい言ってながら描き始めると、結果がどうだとかを考えずに始められると聞いて、僕もそうだと気がついた。三味線を弾いてる(相手に合わせて適当な相づちを打つ)というか」

森保「根底は好きで楽しい。でも表向きは(違う)」

糸井「インタビュアーやニュースをつくる人は、こんなに過酷な監督業をやられて大変ですね、ねぎらう気持ちがありますってインタビューをしますよね」

森保「そうしていただいてます」

糸井「オリンピックの選手でも指が(けがをするしぐさを見せて)こうなってたとか、そういう話がみんな大好きなんです。大変なことがあったけど『本当に楽しかった』と選手は言う。これは社会は言わせないですね。楽しいって、すごい素晴らしいことですよね」

森保「そうですね。楽しいと思って、自分の好きなことを仕事としてさせていただけるのは、本当に幸せなことだと思います」

 ◆森保 一(もりやす・はじめ)1968年8月23日、静岡・掛川市生まれ、長崎市育ち。56歳。長崎日大高から87年にマツダ(現広島)入団。92年に日本代表初選出。国際Aマッチ35試合1得点。京都、広島、仙台を経て2003年に引退。J1通算293試合15得点。05年からU―20日本代表コーチ。12年に広島監督に就任し、3度のJ1優勝。17年10月から東京五輪代表監督。18年7月からA代表と兼任監督。21年東京五輪は4位。22年カタールW杯は16強。26年W杯まで続投。家族は妻と3男。

 ◆糸井 重里(いとい・しげさと)1948年11月10日、群馬・前橋市生まれ。75歳。株式会社ほぼ日代表取締役社長。コピーライター、エッセイストとして幅広い分野で活躍。78年に矢沢永吉の自伝「成りあがり」の構成を担当。79年に沢田研二の「TOKIO」を作詞。「おいしい生活。」「不思議、大好き。」など西武百貨店やスタジオジブリ作品のキャッチコピーなどを手がけている。本紙でコラム「Gを語ろう」を連載中。妻は女優の樋口可南子。