韓国文学とロシア文学の交差点。斎藤真理子と奈倉有里が語る、時代に抗う文化の力

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ロシア文学者の奈倉有里さんが、言葉を愛する仲間たちに贈る最新エッセイ集『文化の脱走兵』(講談社)。本書の刊行を記念して、韓国文学翻訳者の斎藤真理子さんとのトークイベントが開催されました。ロシアと韓国の文学状況や意外な共通点から、時代に対抗する文化の力まで、発見にみちたお二人の対話の一部を抜粋・編集してお届けします。

脱走兵を称える詩

斎藤奈倉さんの『文化の脱走兵』は、「群像」の連載を一冊にまとめられたものですね。

まず、お礼を申し上げたいんですけれども、連載中からこれを読んで、すごく頼りにしていたんです。ロシアのウクライナ侵攻が始まって、それからパレスチナのことも始まって、私も何かを書こうとしても、どう書いたらいいかわからない。そういうときに奈倉さんの連載を読んで、ああ、言葉に支えられるってこういうことかと感じました。

奈倉ありがとうございます。この本の冒頭の「クルミ世界の住人」というエッセイは、ちょうど2022年の春に単発で依頼をいただいて、私自身、何を書くべきかと、すごく模索しながら書いたものでした。その後、二番目の「秋をかぞえる」から、「文化の脱走兵」という連載の枠で書き継いでいきました。

斎藤「文化の脱走兵」というフレーズはいいですよね。

奈倉この本に書いているように、エセーニンというロシアの詩人のおかげなんです。第一次世界大戦に従軍したエセーニンは脱走兵を称える詩を書いていて、それにヒントを得て「文化の脱走兵」という形ができたとき、あ、いいなと、自分でも思いました。

斎藤「文化」と「脱走兵」という組み合わせが唯一無二というか、ほかにないですよね。私もエセーニンが大好きなんですが、奈倉さんが引かれている「僕は国でいちばんの脱走兵になった」という詩は知らなかったので、ああ、すごいと。

奈倉この連載はまだ続いているんですが、いろんな文化を抱えた人たちが、いろんな形で出会ったり通じ合ったりすることを書いていけたらいいなと思っています。

ゴーリキーの読まれ方

奈倉斎藤さんは韓国語の翻訳を、私はロシア語の翻訳をしていますが、今日、何をお話ししようかなと考えたとき、最初に思い出したのは、リュドミラ・ウリツカヤというロシアの現代作家の話なんです。

彼女が韓国のロシア文学者と話したとき、「ロシア文学では何が好きですか?」と聞いたら、「ゴーリキーの『母』という作品です」と言われて、びっくりしたそうです。どうしてかというと、1940年代生まれのソ連の作家たちにとって、ゴーリキーの『母』は、義務的に読まされる作品だった。学校教育で読まされて、感想を書かされるような作品だったから、それが好きだと聞いて、意外に思ったわけです。

なぜ好きなのかと聞くと、そのロシア文学者は、「ゴーリキーの『母』は昔、韓国では禁止されていて読めなかった。だから地下出版みたいにして自分たちで作って、回し読みしていたんだ」と。それを聞いてウリツカヤは、とても喜ぶんですね。

なぜなら彼女自身、地下出版で禁書を読む楽しみをよく知っていたからです。ちょうど彼らと同じ時代に、ウリツカヤはソ連で禁止されていた本を自分でタイプ打ちして、仲間と回し読みしていた。所変わればで、ソ連では推奨されていたゴーリキーが韓国では禁止されて、それを必死で読んでいる人がいた。

この話は、すごく面白いところを突いているなと思うんです。作家の評価は決して固定できるものではなく、文脈の中で成り立っていて、読めないもの、禁止されたものは面白い。韓国のロシア文学者は、ゴーリキーを自由への扉だという認識で読んでいたんですね。そういうものが場所や文脈で変わること自体が面白いし、私たちが過去を振り返ったときに、その文脈を含めて読むことの面白さが重層的になっていく。

斎藤ゴーリキーの話は、超面白いですね。韓国が1987年に民主化宣言をした後、かつてのプロレタリア文学がすごく流行った時代があるんです。それまでなかなか入ってこなかった海外の作品がドッと入ってきて。学生運動をやっていた私の知人はその後、ゴーリキーの随筆を集めて翻訳を出していました。

奈倉私は韓国に行ったとき、ロシア文学がどのように受容されてきたかを聞いたんです。そうすると、ゴーリキーが読めなかった時代に推奨されていたのは、逆にソルジェニーツィンとかだった。要するに韓国では、ソ連で禁止されていたものが推奨されて、ソ連で推奨されていたものが禁止されていたんですね。

斎藤ソルジェニーツィンは反共文学だから。時代は全然違うんですが、反共文学という物差しではかるとそうなってしまうんですね。

ロシアと韓国の「近さ」

斎藤朝鮮半島は大陸と繋がっていますから、ソ連に行った作家は多いし、遡れば1921年に高麗共産党というのができて、朝鮮の理論家の共産主義者たちはモスクワにたくさんいた。一番有名なのがパク・チンスン(朴鎮淳)という人で、1920年のコミンテルン第2回大会で、たしかレーニンと席を並べています。

奈倉そういえば、ペテルブルク大学の庭には韓国作家パク・キョンニ(朴景利)の像が建っています。ペテルブルク大学では1897年から朝鮮語のネイティブが教えていて、その人が残した朝鮮語の教科書はロシアで朝鮮語の勉強のために役立っていた。でも革命後に一回なくなってしまうんです。

斎藤1937年にソ連の大粛清があったとき、朴鎮淳はモスクワ大学の教授だったと思いますが、38年に銃殺されています。そのときたくさんの人たちがソ連で死んだり、強制移住で中央アジアに追放されて、そこに今も朝鮮系のコミュニティがあったりする。

だからロシア・ソ連と朝鮮半島は歴史的にも、すごく近いんですね。そうでありながら、ある時期はゴーリキーが禁止されていたり、禁が解けるとみんなが喜んで読んだり、歴史に沿って奇妙なしりとりをしている。それをウリツカヤが喜んだというのもすごく面白いですね。

奈倉2022年の年のウクライナ侵攻以降、ロシアからは大量の人が逃げ出しているんですが、その中で、ソ連時代からロシアに長く住んでいた朝鮮系の方々が韓国に移住しています。ロシア語しかできなくて韓国語は全然わからないんだけれども、外見ではよそ者だと思われないんじゃないかと期待して、今、韓国の中にロシア語圏の人たちが固まって住んでいる区画があるんです。

斎藤それは全然知りませんでした。

詩を愛する人たち

奈倉私がこの本の中でやりたかったことの一つが、読者と一緒に詩を読むことです。斎藤さんの新刊『隣の国の人々と出会う』(創元社)にも「詩」という章があって、斎藤さんが韓国で詩を書かれたときのことが書かれていますね。

斎藤それは大昔の、黒歴史なんです(笑)。

奈倉韓国の空気の中には「詩成分」がたっぷり含まれている、韓国は詩の国だと。

斎藤彼らは詩が好きな人たちなんです。『文化の脱走兵』にも、詩の引用がちょうどいいところに入っていますね。私は、一冊の本の中に詩のアンソロジーが入っているみたいなスタイルが好きなんです。

私の子供時代の岩波少年文庫に、『植物とわたしたち』という、ソ連の植物学者でヴェルジーリンという人が書いた子供のための入門書があったんです。科学の本なんだけど、詩の引用がたくさん入っている。プーシキンも出てくるし、ソ連の詩だけじゃなくて中国の白居易の詩とか、アメリカのロングフェローの詩とかもある。一つの話から次の話へ、詩でつなぐような書き方をしていて、すごく面白かったんです。

『文化の脱走兵』を読んだら、ロシアの子供の本は詩の形式で書かれているものが多いと書かれていて、なるほどと思いました。

奈倉『植物とわたしたち』は、実は私の家にもありました。ロシアでは夜寝る前に子供に読み聞かせるような本が詩の形で書かれていたりして、詩は一番親しく人の心に話しかけてくるリズムなんですね。ジャンルを問わず、いろんなところに詩が入り込んでいる感じがします。

斎藤韓国もそうなんです。詩を引用することで一つの気分を読者と共有できるという自信がないと、そういう使い方はできないですよね。でも、小説に混じっている詩は翻訳しにくくて、日本語でその関連性を伝えるのが難しいことがある。

奈倉日本語でもそういうスタイルがふえていくと、だんだん詩に親しんでくれるんじゃないかという野望があるんですが…。

ロシア語の詩は音節力点詩と言われていて、この行は何音節で、何処にアクセントが来て、どういうリズムで、ということが19世紀から決まっていて、そこから逸脱したり、また戻ったりしながら、形式と内容の相互作用のようにして発展してきたんです。でも日本の現代詩には全く形式がないから、日本語に翻訳するとき、どうやってその形式に対応すべきか、ジレンマがずっとあって。

斎藤朝鮮には「時調(しじょ)」という定型詩があって、面白いのは、今のKポップスターやその源流のような人たちが歌う歌の歌詞に、それが部分的に入っていたりする。でも今、時調を作る人は非常に少ないそうです。現代自由詩がメインです。私は、日本の現代詩の実験性は非常に高いと思っているんですが、詩の裾野は、韓国のほうが広いんじゃないかな。

奈倉裾野がないと、なかなか通じないんですよね。ロシアでは本だけでなく日常の中で、どこでも詩を引用するんです。例えば歴史の講義をしている先生が突然、詩を一節読んで、また講義の続きに移るとか。友達としゃべっているとき、「そういえばああいう詩があったよね」と口にしたり、晴れた寒い朝に大学へ行ったら、同じ詩をあっちでもこっちでも、三回ぐらい聞いたこともありました。

斎藤すごいですね。

奈倉乾杯するときも、「いま読むならこの詩だ」とエセーニンの詩が出てきたり。

私が好きだったのは、人が落ち込んでいるときに、誰かが詩を読んで、ふっとその場の空気を軽くしてくれる瞬間。詩を引用するというより、詩の持っている雰囲気を一緒に味わうことで空気を和らげる、そういう感じがありました。

ハングルとの出会い

奈倉私はロシア以外にはほとんど海外へ行ったことがなくて、韓国には一度だけ行ったんですが、それは韓国でロシア文学を教えている先生方と一緒に研究会をするためでした。だから私は韓国に行っても、ずっとロシア語をしゃべっていた(笑)。でもそのとき、つけ焼き刃でハングルを勉強したんです。

斎藤ハングルは仕組みが機能的にできている文字なので、読み方を覚えるだけなら早いんです。私が翻訳したチョン・セランの『フィフティ・ピープル』という小説の中に、オランダから来た女性が2時間でハングルを習って、看板が読めるようになって喜ぶシーンがあるんですけど、それはありうると思う。

奈倉私も看板ぐらいは読めるようになろうと思って、初めて読めた言葉がこれです。

(ボードに「톨스토이」と書く)

斎藤「トルストイ」ですね。さすが。さっきの小説の女性が読めて喜んだのは、実は「肛門外科」という看板だったんです(笑)。トルストイのほうが断然いい。

奈倉さんは、ロシアの学校には何年いらしたんですか。

奈倉最初にペテルブルクの語学学校に1年いて、その後モスクワ大学の予備科に行って、それから大学に入って4年なので、5〜6年です。

ペテルブルクの語学学校では日本と韓国の留学生は大体同じところにまとめられるので、日韓カップルが多かった。そのうちの一組は韓国人の女の子と日本人の男の子のカップルで、私はその韓国人の女の子に、初めて韓国語を教えてもらったんです。その子がほっぺたを指して「ポッポ」と。その響きがとても可愛かった。

斎藤ほっぺにチュッとするのを「ポッポ」と言うんです。

(ボードに「뽀뽀(ポッポ)」と書く)

奈倉「トルストイ」と「ポッポ」、なかなかいい組み合わせですね(笑)。

その後、モスクワでも一時期、韓国の女の子と寮で一緒になったことがあって、その子がいつも「チンチャマシッソヨ」と言っていた。すごく力強く発音するので、最初は怒ってるのかと思ったんですが、「すごくおいしい」という意味だった。

斎藤怒ってるのかと思うほど力を込めて「すごくおいしい」と言っていたんですね。

奈倉新しい言語を勉強するときって、どういう抑揚にどんな感情がこもるのか、なかなかわからないですよね。「マシッソヨ」の意味を知ったとき、状況と意味が重なって言葉を覚えていくんだと気づいた。そういうエピソードとして心に残っています。

斎藤語学を学ぶときは、言葉とそれを口にするときの感情とシチュエーションを三つセットにして覚えていくし、子どもが言葉を覚えるときもそうですよね。大人はこういうときにこういう顔で「ダメ」と言うんだとか、「悲しい」と「悔しい」はこう違うんだとか、そういうふうにして覚えていく。それが基本ですね。

文化の巣穴をつくる

斎藤『文化の脱走兵』を読んで感心したのは、「文化とは何か」ということを奈倉さんは二行ぐらいで書いている。ものすごく本質的なことを二行で書いてしまう、すごい人だと改めて思ったんです。特に、オンラインゲームをする人たちの話がすごく面白かった。

奈倉「巣穴の会話」ですね。なぜゲームかというと、匿名性が格段に高いためです。ロシア語圏で大手SNSに次々と規制がかかり、本名でやっているSNSが全部チェックされて、いつ何の証拠にされるかわからない。警察官がスマートフォンの中身を街角でチェックするような状況で、みんな警戒して何も書けなくなっていた。

そんな中で、オンラインゲーム内のチャットが「巣穴」になった。そもそもオンラインゲームをやるには何も証明が要らないわけですね。しかも開発元が国外にあって、政府は誰が参加しているかを把握できないだろうという安心感から、ロシア語圏のチャットに人が集まって会話するようになったんです。そこにはウクライナの人も、ロシアの人も、カザフスタンやアルメニアの人もいて、みんなが普通の日常会話を交わすうちに、なぜ戦争が終わらないんだという話になったりする。

私自身も最初は手探りで、そこにどういう人たちがいるのか、どういう会話が交わされるのかわからないまま巣穴に入っていったんですが、彼らとつながってみて、本当によかった。何にもできない状況の中でも、こういう場所がつくれるのかと思いました。

斎藤私はそこが、この本のクライマックスのように感じたんです。前半でエセーニンの詩が出てきて、後半のこの章で、戦争なんてもう早く終わってほしいという気持ちを誰も表出できないときに、世界をつなぐゲームのチャットの中でこういう会話が展開されていた。

そのことを奈倉さんは「文化の巣穴」という言葉で表現されていて、本当にぴったりだなと思いました。そもそも人類は、何かあったら巣穴に潜って、危機が過ぎ去るのを待つということをずっとやってきたわけです。それが今も世界のどこかで起きていて、しかもその巣穴が局所的ではなく、オンラインでつながっているというのが新しい。これが今という時代に起きていることに、ちょっと救われた気持ちになりました。それが『文化の脱走兵』というタイトルと非常に強く結びついているんですね。

爆弾に背を向けて、私たちは文化の巣穴を掘る。がらくたのようなゲームのなかに掘った巣穴なのに、『人と人が理解しあうための様式』という、文化の根本的な形をなしていく」。テリー・イーグルトンから学んだことだそうですが、奈倉さんはこの短い言葉で、文化とは「人と人が理解しあうための様式」だと、すごいことを言っている。

奈倉ありがとうございます。

斎藤「脱走」といっても、一生走り続けるわけではなくて、どこかにある巣穴を求めて走る。そういうイメージを持つことができました。

柏崎の狸になる

斎藤『文化の脱走兵』の最後の章で、「柏崎の狸になる」と書かれていますね。かつて新潟県の巻町で、原発誘致に反対する住民たちが、狸のようにしたたかに電力会社を出し抜く話は、とても面白かったです。私も巻町には、学生のときにヒアリング阻止で行ったことがありますよ。

奈倉私も同じころ、巻町で祖父のトラックに乗せてもらって、反対運動を見ていたんです。斎藤さんのご実家と私の母の故郷は新潟の巻町で、近くなんですね。

斎藤巻町では住民たちの広範な抵抗運動が実って、原発の誘致が頓挫する形になった。

奈倉1996年に、国内初の条例に基づく住民投票をやって阻止したんです。

斎藤大変なことだったと思います。一方、同じ新潟の柏崎では、原発ができてしまった。

奈倉柏崎刈羽原子力発電所はずっと運転が止まっていたんですが、今、再稼働に向かおうとしています。

斎藤その状況に立ち会うために、奈倉さんが柏崎に家を買って引っ越すというところで、この本は終わっている。そもそも十代でロシアに留学するときも、柏崎に家を買うときも、結構大きな決断を、奈倉さんはふっとやってしまうんですね。

奈倉何か直感なんですね。柏崎には初めて来た気がしなくて、もう原発の問題を見なかったことにできなかった。普通の言葉で言えば愛着みたいなものだと思うんですが、それが自分の中にポンと芽生えて、どうしても出ていかない。だから移住するしかなかったというところがあります。

斎藤迷っている時期はないんですか。

奈倉どこかで迷ってるんでしょうね。いや、迷っていないのか。

斎藤迷っている間はそれを意識していないのかもしれないですね。

奈倉そうなんですよ。この本の最後で柏崎へ移住するのは、まるで伏線回収じゃないかと自分で「あとがき」に書いたんですが、最初のほうからずっと、雪が恋しいという切実すぎる気持ちとか、祖父母の家で過ごした新潟の夏のことを書いていて、そこに社会に対するいろんな思いも重なって、どこかで回収されるのを待っていたような気がします。

斎藤最終的に、自分で巣穴をつくって入ってるじゃん、すごい、と思いました。

奈倉巣穴をつくるところを、どこか探していたのかもしれない。

斎藤見事なラストでしたね。柏崎ではこれから何をするんですか。

奈倉私も狸になりたいですね。自分にできることがあるかどうかわからないし、狸くらい無力かもしれないけれども探したい、そういう気持ちがあって。逆に言うと、わからないことがあまりにも多いから行ったんですよ。東京で知ろうとしても、情報としてはわかるんですけど、何かもっと大事なものがわからない。そのわからないものが何なのかということを、狸なりに一所懸命に見定めていきたいんです。

(2024年8月27日、ジュンク堂書店池袋本店にて収録)

もっと読む⇒【爆弾に背を向けて、私たちは文化の巣穴を掘る。戦時下で交わされるロシア語圏の匿名の会話】では、『文化の脱走兵』から「巣穴の会話」の章をお読みいただけます。

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