日曜ドラマ『若草物語―恋する姉妹と恋せぬ私―』©日本テレビ

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 これほどまでに、時代に切り込んでいくヒロインが誕生するとは思わなかった。日本テレビ系新日曜ドラマ『若草物語―恋する姉妹と恋せぬ私―』第1話を観終わって、真っ先にそう思った。本作は、映画に舞台と、さまざまな形で世界中で愛され続けてきたルイザ・メイ・オルコットの不朽のベストセラーをアレンジした社会派シスターフッドコメディーだ。

参考:堀田真由×仁村紗和×畑芽育×長濱ねるによる“新解釈” 『若草物語』の四姉妹を紹介

 コンセプトである「もしあの四姉妹が令和ニッポンに生きていたら……」の通り、この姉妹たちは間違いなく、今の現代社会に生きているような気がする。それほどまでに、現代の女性が直面する“違和感”の描き方が、とにかく鋭いのだ。

 勝気で口達者な次女・涼(堀田真由)は、脚本家志望から一転、今はドラマ制作会社で助監督として奔走する日々を送る。学生時代から、街中の広告の“隠れた意味”に敏感だった涼。ダイエット広告の「痩せなきゃダメ」、脱毛広告の「毛を抜かないとダメ」。そして婚活サービスの広告の「運命の人に出会わないとダメ」。これらは、視聴者である私たちが毎日無意識的に目にしているものでもある。

 王子様に見そめられる古典的な「シンデレラ」に違和感を覚え、大学時代にはスニーカーを履く現代版シンデレラの脚本を執筆したほどに、涼は社会の押し付けがましい恋愛至上主義の風潮に反発していた。

 ある日、ひょんなことから業界の大御所・黒崎潤(生瀬勝久)脚本のドラマで監督を務める機会を手にする涼。黒崎との仕事に、先輩プロデューサーの柿谷成実(臼田あさ美)は「口には気を付けて。あんたいつも一言多いから」と忠告する。同年代の友人の結婚式に行けば、そして黒崎の脚本をひらけば、耳や目に入ってくる「恋しないともったいない」。人生は本当に恋愛や結婚だけが全てなのだろうか。涼の心に根付いた黒崎への疑問は、日に日に膨れ上がっていく。

 そんな涼が関わっているドラマを、家で楽しみに待っているのが、結婚願望強めの長女・恵(仁村紗和)と甘え上手な四女・芽(畑芽育)だ。ハローワークの非正規職員として働く恵とファッションデザイナーになる夢をかなえるべく、服飾専門学校で服作りの腕を磨いている芽。黒崎の言う「マスに届ける」という言葉は、結婚願望がある2人がドラマに夢中になっていることを考えれば間違っていないのかもしれない。しかし、2人が抱える現実は、「マスの一人」で片付けられない割り切れない日々があった。

 恵は周囲に内緒で正規職員の小川大河(渡辺大知)と絶賛職場恋愛中だ。一見、一緒にボーリングに行くなど楽しげにも見えるが、どこかマウントっぽい彼の発言や、結婚をはぐらかされていることにモヤモヤを募らせる日々。一方、芽は「結婚するならお金持ち限定」と割り切り、エリート大学生の彼氏と順調に交際を続けてきた。しかし、その関係は二股をかけられていたことで突如崩壊。芽は、ひょんなことからクラスメイトの沼田灯司(深田竜生)と急接近する。常日頃から高価なファッションアイテムで身を固め、ミステリアスな色気を漂わせている沼田と“遊んで”しまった芽だが、その関係の行方はなんとも雲行きが怪しい。

 そして、今後鍵になってくるのが、心優しくおっとりとした役者を目指す三女の衿(長濱ねる)の存在だろう。「将来衿のためにドラマを書きたい」と熱く語る涼と、「いつか涼の書いたドラマで主演をやりたい」と夢見る衿。二人の絆は強く、互いの夢を支え合っていた。しかし現在、姉妹が暮らす家に衿の姿はない。その理由は明かされていないが、家族の誰もが気にかけている様子だ。

 恋をする人、しない人。夢を追う人、家庭が欲しい人。以前、コラムニストのジェーン・スーが女性の人生の在り方について「結婚する、しない。仕事をする、しない。子どもを産む、産まない。2×2×2で、最低でも8パターンもある」と言及していたことを思い出す。本作がそれぞれタイプの違う姉妹たちを通じて、四者四様の女性の生き方をどう立体的に描いていくのかは、楽しみなところである。

 特に堀田真由演じる涼は、恋愛や結婚に対して“丸っと抜け落ちていても”幸せになれるヒロインとして描かれる可能性があり、これは本作の重要なポイントでもある。涼の怒りと正義感を見事に表現した、黒崎に啖呵を切るシーンの演技は大変爽快だった。涼は自身の描く脚本を通して、この恋愛至上主義の世の中に“物申す”存在として成長していくのかもしれない。既存の価値観に疑問を投げかけ、自分の信念を貫く姿は、この令和の『若草物語』がやりたかったことのひとつのようにも思えた。

 一方で、涼が再会した幼なじみ・行城律(一ノ瀬颯)の視線や態度からは、涼への単なる幼なじみ以上の感情も垣間見えるからこそ、今後の涼が恋愛に対してどう反応していくのかは気になるところだ。

 そして何より、四姉妹が考える「ハッピーエンド」の定義も、それぞれで異なるはず。本作が最終回を迎えるとき、四姉妹の奮闘を通じて、視聴者もまた、自分自身のハッピーエンドについて考えるきっかけを手にしているに違いない。

(文=すなくじら)