そのような環境の中では、既存の商品を一定の品質でたくさん生産したり、それより少し品質の高い商品を作ったりするようなことでは太刀打ちできない。

 これまで世の中に存在しなかったまったく新しい製品を生み出せるかどうかが勝負なのだ。0から1を生み出すようなイノベーションを起こすのに必要なのは、普通だと考えつかないような規格外の発想ができる個性的な頭脳である。

 新型コロナウイルスの検査法ですっかり有名になったPCR(Polymerase ChainReaction /ポリメラーゼ連鎖反応)法を開発し、1993年にノーベル化学賞を受賞した生化学者のキャリー・マリスも、かなりユニークな人物だったようで、PCR法のアイデアも、当時勤務していたシータス社の職務とは直接関係はなく、当時つき合っていたガールフレンドとドライブをしていたときに突然ひらめいたのだという。

◆PCR法開発者も「エキセントリックな思想」の持ち主だった

 この人はノーベル賞を受賞する前に「日本国際賞」も受賞しているが、その授賞式で皇后(現在の上皇后)に「スウィーティ(かわい子ちゃん)」と挨拶したらしい。

 またLSDやマリファナを使用していたことも公言していて、自伝では、光るアライグマ(彼はそれをエイリアンだったと言っている)と会話を交わしたこともあると主張している。

 たいがいのことには寛容なアメリカ人からも「エキセントリックで傲慢で奇怪な思想の持ち主」だと見られていたようだ。

 そういえばマリスが発見した当初は、PCR法の応用可能性やその深遠な価値に気づいていた人はほとんどおらず、その発見に対してマリスがシータス社から受け取ったのは1万ドル(当時の日本円で約100万円)のボーナスだけだったそうだ。

 けれどもシータス社はその後「PCR法」の特許で莫大な利益を得たうえ、その特許をスイスの製薬会社に売却して3億ドル(同約3000億円)を手にしている。

 その件についてマリスは自身の著書で、「このアイデアが実現して会社に利益をもたらせば、会社は私にそれ相応の待遇をしてくれるはずだと思っていた。しかしそれは無邪気な考えだった」と後悔の弁を述べているが、これはかなり気の毒な話だと思う。

◆周りと同じではなかったからこそ革新的な製品を生み出せた

 Appleの創業者であるスティーブ・ジョブズも、子どもの頃からその天才ぶりは際立っていたようだ。彼にとって学校の授業は退屈で、先生の言うことを素直に聞くことができなかったので、問題児として扱われた時期もあった。

 しかし、彼の両親は、「興味をもつように仕向けず、しょうもないことを覚えさせようとする学校が悪い」といって学校のほうが変わることを求めたらしい。そして小学4年生にして高校2年生レベルの知能の持ち主であることを認めた学校は、彼に2年の飛び級を勧めたという。

 両親の判断で実際の飛び級は1年だけだったが、そのクラスでいじめにあったりしたため、別の学校に行きたいという彼の願いを両親はなけなしのお金をはたいて叶えてやった。

 また彼は周りに合わせることも苦手だったが、両親は彼を型にはめようとしたり、尖った性格を丸めるような教育はしなかったらしい。わがまま放題で育ったとも言えるだろうが、周りと同じではなかったからこそ、MacintoshやiPod、iPhoneなどの革新的な製品を次々と生み出すことができたのだろう。

◆扱いにくい「変わり者」を排除する日本

 世の中をガラリと変えるような発見をしたり、イノベーションを起こしたりする人物というのは、世間から「変わり者」だと見られることが多い。しかし、扱いにくい「変わり者」をできるだけ排除しようとするのが日本の基本的なやり方だ。