今の能登を知り、これからの能登を考えよう!「ESqUISSEコラボレーションチャリティイベント NOTO NO KOÉ」をレポート

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1月1日、元日を楽しむ能登の人々を突如襲ったマグニチュード7.6の地震。仮設住宅が建てられ入居が始まる一方で、未だ避難所での暮らしを余儀なくされています。ライフラインが復旧して落ち着いたかのように見えますが、現実はどうなのでしょうか。以前から何度も能登を訪れ、食材、文化、風景、そして人々の素晴らしさに感銘を受けた「エスキス」のリオネル・ベカシェフが厳しい被災状況を知り応援したいと、親交のある能登のみなさんとチャリティーイベントを開催しました。

トークセッション第1部:輪島塗師 赤木明登さん

「エスキス」のリオネル・ベカシェフ(左から3番目)とコラボレーターの皆さん

2024年元日に起きた能登の地震から5カ月が過ぎ、ライフラインが復旧し始めるとニュースに取り上げられる頻度が少なくなり、今、能登がどのような状況なのかが見えなくなってきます。何度も能登へ赴き、料理人である自分にとって能登ほど豊かで理想的な地はないと語る「エスキス」のエグゼクティブシェフ、リオネル・ベカ氏が3月に能登を訪れ現状を目の当たりにし、今の能登の声を届けなければと5月17〜20日の4日間、コラボレーションイベントを開催しました。

能登からたくさんの刺激をいただいたと話すリオネルシェフ

今回はコラボレーターに「茶寮 杣径(さりょう そまみち)」オーナーであり輪島塗師の赤木明登氏と北崎 裕シェフ、「ラトリエ ドゥ ノト」の池端隼也シェフ、「ヴィラ デラ パーチェ」の平田明珠シェフを招き、トークセッションと4人のシェフによるコラボレーションコースが振る舞われました。筆者が参加したのは17日のトークセッション。ファシリテーターはリオネルシェフと親交のあるクリス智子さんがボランティアで務めました。はじめに編集者の職を辞して輪島塗の弟子として輪島に移住してから35年の輪島塗師、赤木明登さんが「輪島塗が導く能登の未来」と称し震災直後から今の輪島の様子、新たに始めたプロジェクトについて語ってくれました。

(左)赤木明登さん、(右)クリス智子さん

1月1日、赤木さんは輪島を離れていました。地震を知りすぐに工房「ぬりもの」で働く6人の職人たち、「茶寮 杣径」や出版編集室のスタッフたちに連絡をするも、帰省した以外の人とはつながらなかったそうです。運転して輪島へ戻るも、2日は高速道路が閉鎖し金沢で止められ、輪島に入れたのは1月3日の夜でした。道路は凸凹で、地割れした間には多数の車が落ちているという凄まじい状況を目の当たりにし、不安でいっぱいの中辿り着くと、赤木さんの自宅と工房は倒壊を免れたものの中は散乱し、備蓄していた50貫の漆は流出していました。スタッフ全員の無事は確認できましたが、彼らの仕事場や住まいは損壊してしまったそうです。

震災後の池下さんの自宅兼工房

1月6日に漆器のベースとなる木地を作る木地師、池下満雄さん(86歳)の無事を確認しに行くと、住居兼仕事場は隣の崩れた瓦礫のおかげでかろうじて現存している状態でした。15歳からここで仕事をしてきた池下さんは、どうしてもここから離れられず震災2日後に心不全で入院されたと聞き、赤木さんは木地師たちの住まいや仕事場の再建に取り組みます。それが「小さな木地屋さん再生プロジェクト」です。

なだれ落ちた木地。中には明治時代に作られた貴重な物も

まずは木地を安全な所に運び出しました。杣径のスタッフの縁で岡山県の建築チームが再建を担いますが、輪島の街の風情を残すため、外観をそのままに修復するのは大変な作業だったと話します。

傾きをまっすぐに修復

4月中旬に工房が復活すると同時に、「ぬりもの」で働く2人が池下さんの技術を受け継ぐために弟子入りしました。建物だけでなく、輪島の伝統や技術を未来へ持続させなければと集まった寄付金を資本として株式会社木地屋を設立する計画だそうです。

耐震補強も万全に
体調も戻り修復した工房で働く池下さん

――赤木さん「補助金は申請して受け取れるまでに1年以上かかるので職人さんは待っていられず他の仕事に就いてしまいます。地震前から輪島塗は売り上げが落ち込んできていましたが、地震でトドメを刺された感じ。でもこの地震によって余計なものはふるいにかけられ、本来の輪島塗を甦らせる、起死回生のチャンスだと思っています。だから僕の役割は輪島塗や職人を守ること。そのために会社を作ることを考えています。会社として資金を集めることで職人に給料を支払える。輪島以外からや、若い人たちにも来てもらえる環境を作ります」

輪島塗の未来を熱く語る赤木さん

――クリスさん「赤木さんはもう一つ、輪島塗を持続させるために『茶寮 杣径』を開業されていますよね?」
――赤木さん「今、注目されているローカルガストロノミーの店で2023年7月にオープンしました。その日に取れた能登の食材を料理人が集めて何を作るか決め、それを輪島塗の食器で提供しています。古い家でしたが改装時に耐震構造をしっかりしたので建物は無事でした。しかし、地盤が斜めになってしまったので『なりわい再建支援補助金』を使って傾斜修復をして再開したいと思っています」
――クリスさん「電気は1カ月、水道は2カ月すると復旧したそうですが、光通信は4カ月過ぎるまでつながらなかったためインターネットは使えず、携帯は圏外で外部との連絡が途絶えているという状況下で赤木さんはどう過ごされていたのでしょうか」
――赤木さん「潰れた家の前で泣いていた人たちが2日後にはなぜか笑顔になるんです。人間ってあまりにも酷い状況に置かれると、心と体を守るために脳がアドレナリンやドーパミンを大量に放出していわゆる躁状態になるんですね。救援物資が届き、炊き出しも始まり、僕も隣人と酒を飲んだりしていたんですが記憶にありません。3カ月間くらいはあれもこれもやらなきゃと走り回っていたのですが、その後プツッと何かが弾けてしまって鬱になりました。感情がジェットコースターのように上がったり下がったりするんです。朝起きるのも苦痛、何もしたくないんです。今、そういう人たちが本当に多いです」

自身も被災しながら輪島塗の再興のために尽力する赤木さんの話は胸に刺さりました。今年は独立30周年という記念すべき年で、8月には「銀座和光 セイコーハウスホール」で展覧会を開催されます。

トークセッション第2部:池端隼也シェフ、平田明珠シェフ

左から平田シェフ、池端シェフ、クリス智子さん

続いて「炊き出し体験で知った料理人のミッション、あたらしい能登の食文化」について平田シェフと池端シェフが話されました。

――クリスさん「まずはお二人についてですが、池端シェフは輪島で育ち、専門学校と修業のため15年ほど出られて2014年に自身のお店をオープンさせるために戻られました。平田シェフは東京出身でいらっしゃいますが2016年に七尾にレストランをオープンされ、2020年に同じ七尾にオーベルジュとして移転リニューアルオープンされました。そしてお二人は震災後、早くから炊き出しに参加されていましたね」

被災した「ラトリエ ドゥ ノト」

――池端シェフ「地震が起きた時はスタッフと初詣に行って輪島へ帰るために車を運転していました。道が映画で観たようにバキバキ割れ始めて輪島へ帰れなくなりました。近くに穴水消防署があって非常食でカップ麺と水があったんです。電気は止まっていましたが同じように帰れなくなった人たちに僕の電気自動車でカップ麺を作りました。これが最初の炊き出しです。翌日、店に戻って事態を把握し最初は泣きそうになったのですが、すぐに自分に何ができるかを考えました。

炊き出しで提供したシチュー

まずスタッフや周りの店の人たちの安否を確認しました。そもそも1月2日から営業だったこともあり冷蔵庫には蓄えていた食材がたくさんあったので近所の飲食店に手伝ってもらい炊き出しを始めたんです。電気は止まっていましたが真冬なので食材に問題はなく、ガスボンベ式のカセットコンロで作りました。3日には1,000人ほどいる避難所へ料理を運びました。地震から何も食べていない人がたくさんいらっしゃって、本当に喜んでもらえて。能登は国道が1本しか通っていないので自衛隊も入って来られず、とにかく今、目の前にいる食べていない人たちのために炊き出しをやっていこうと決めました。契約農家や魚屋、飲食店に協力してもらってまずは3,000人分くらい用意しました」

炊き出しチームのみなさん

――クリスさん「どこで炊き出しを?」
――池端シェフ「輪島市所有の建物で申請したのですが当初は許可されなかったんです。どうやら数が行き渡るはずがなく、問題が起こる可能性があるからという理由だったようですが、緊急だったので始めてしまいました」
――クリスさん「炊き出しの様子が『The Japan TimesS』に掲載されましたね」
――池端シェフ「はい。細かく取材してくれて内容の濃い記事で、特に料理人の絆について書いてくれたのはうれしかったです」
――平田シェフ「僕の店や自宅付近の建物はほとんど無事でしたが、歩いて5分も行くと地割れしていて家は倒壊していました。店の食器棚やワインセラーが倒れて、ワインは200本くらい、食器もかなり割れてしまいました。うちも2日から冷蔵庫にあった食材でカレーを作り近隣の人に配りました」

炊き出しでカレーを盛り付ける池端さん

――クリスさん「記事に平田さんも出ていらっしゃいましたが、料理人同士の連絡は取れていたのですか?」
――平田シェフ「携帯はほぼ圏外でしたが電波が入る場所を見つけたらすぐにあちこちに連絡していました。うちのソムリエが熊本地震の時に金沢の料理人たちとチャリティ団体を作っていたので今回そのチームが中心となって支援のことや被害状況など情報交換してくれました。あとはそれぞれがSNSで発信して状況を知らせていたので、それを見た料理人仲間が手伝いに来てくれたり、物資を送ってくれました」

スライドを見ながら当時の状況を話す

――クリスさん「地震直後と数カ月経ってからでは必要なものが変わってくると思いますが」
――池端シェフ「最初は命をつなぐための食事なのでレトルトやカップ麺でも良いとしても、輪島は高齢者も多いので1週間も経つと高血圧など健康に問題が出ました。ですからすぐに薄味に変えました。報道では料理人が一致団結して企画したかのようでしたが、お話ししたように連絡は取れていなかったので個々が持ち寄って小グループごとに炊き出ししていました。平田さんと会えたのも2月に入ってからでした」

涙を堪えながら語る場面も

――平田シェフ「僕は七尾市の指定避難所で炊事運営に携わっていました。料理ができる人はたくさんいたので、僕は手元にある食材をうまく回すことや炊き出しの環境を整えたり、衛生管理などに注力していました。池端さんと同じで昼に牛丼と豚汁、夜に牛カルビカレーといったように体調を考えない献立だったので、その辺りのコントロールをしました。もう一つの問題は支援物資でした。賞味期限切れや、誰がどう作ったかわからない料理がジップロックに入っていたり、水道が止まっているのに泥付きの野菜が送られてきたり。気持ちはありがたいのですが、食材には困っていなかったので……」

中島小学校で炊き出しの食事に並ぶ皆さん

――クリスさん「今、何が必要なのか、支援する側が考えなければいけないことです。またタイムリーな情報も重要不可欠ですね」
――池端シェフ「実はこれからが辛いんです。街は復旧が進みましたがメンタルがやられるんです。僕も1週間前から誰とも会いたくなくなって。このイベントがあったので何とか出てこられたのですが、お金もないし、報道も減って忘れ去られるのではないかという気持ちにもなり、これからどうやって生きていくのかを目の前に突きつけられると鬱になるんです」
――平田シェフ「2月中は県外のイベントに呼んでいただき料理していたのですが、最初はコース料理を作る気持ちに戻れませんでした。でも何度か作っていくうちに炊き出しもコース料理も食べる人を幸せにしたいという気持ちは一緒だと思い、自分の使命は料理を作ることだと前向きになれました。2月に断水も解除され3月から営業再開しています」
――クリスさん「赤木さんが仰っていましたが、補助金が支給されるまでに1年ほどかかると。1年も何もしないで生きていけるほど貯金がある人はそういないですよね。震災直後はもちろんですが、本当はしばらくしてからのサポートが肝心なのですね」

厨房で切磋琢磨する二人のシェフ

――クリスさん「少し料理のお話を伺います。今回は能登の食材をたくさん使っていただけるようですがメニューはいつ決められたのですか?」
――池端シェフ「先週かな?(笑)。僕は、被災したけどがんばるぞ!と言ってくれている77歳の大村さんが育てた七面鳥を使います。それに合わせるのが自分たちで育てて干した椎茸です。それから平田シェフが能登の山で採ってきてくれた茗荷やクレソン、ハーブ、炊き出しに野菜を提供してくれた上田農園さんの野菜もたくさん使います。昨日東京に到着した時は料理以外のことを考えて落ちていましたが、久しぶりに厨房に入って今は気持ちが高揚しています」

笑顔が戻った!

――クリスさん「お二方のこれからのことをお聞かせいただけますか?」
――平田シェフ「僕は店も再開でき、生活も元に近づいていますが、仕事はなくなり、仮設住宅暮らし、ライフラインもまだ復旧していないといった不自由な生活をされている方が大勢います。ここにきて格差が広がってきているように感じます。良いところだけを捉えるのではなく地域全体が向上するように考えていかなければと思います。それと今回、池端シェフが来てくれたことが何よりうれしくて。東京に着いた時には精神的にダメージを受けているのが明らかで、料理どころじゃない状態で……。輪島でこういう料理を作るシェフは池端さんしかいない、能登の財産だと思うので何とか立ち直ってもらいたかった。でも仕込みをしているうちに楽しそうに料理を作ってくれるようになって。それを見られただけでも良かったなと、こういうイベントってすごいな、と思っています」

シェフと「エスキス」のスタッフたち

――池端シェフ「イベントはこれからなんだけど(笑)。2月中旬から炊き出しに輪島市から助成金が1日3食分で1,230円、給付されることになったんです。それを人件費に充てることができました。今は提供する数が減ってきたので、支援金で輪島市内の倒壊しなかった平屋を購入し、20人の炊き出しメンバーで地元の人たちが集まれる居酒屋を始めたいと思っています。飲食店の灯が街にともるだけで気持ちが明るくなると思うんです」

リオネルシェフが思いをこめて書いたロゴ

最後に両シェフから出た言葉は「食べる人がいてくれることがモチベーションにつながる」「料理をしている時が生きていると実感する」でした。地震直後は有り余るほどあった気力が数カ月経つと見えない先行きに消沈し、奮い立たせようにも自分ではどうにもできないこと、必要なものは時間と共に変化していくことなど、被災を経験していない筆者には想像できないことばかりでした。
起きることすら苦痛な赤木さんが輪島塗の存続に奮起していること、人と会うこともできなくなった池端シェフがこのイベントで「料理します!」と笑顔で答えたこと、池端シェフの料理する姿がうれしいと涙ぐんだ平田シェフに胸が締め付けられました。能登のために私たちができることは何か、今こそ考え、行動すべきなのです。

★イベントの収益はコラボレーターの皆様と、公益財団法人「北陸未来基金」へ寄付されました。
★池端さんがコミュニティ食堂の資金を募集しています。
 「輪島に復興の狼煙をあげる飲食店『mebuki-芽吹-』を開業したい」
 https://readyfor.jp/projects/mebuki-wajima
★赤木さんの工房で再建資金を募集しています。
「小さな木地屋さん再生プロジェクト」
北陸銀行 輪島支店 普通6044046
有限会社ぬりもの

コラボレーションメニューより抜粋

La marche de l’eau | Ohitashi de Sansai(Somamichi) 水の歩み | 山菜のおひたし(杣径) 器:赤木明登氏作「輪島紙衣汁椀」

(北崎シェフより)
おひたしは杣径で一年中作っています。それは日本料理そのものだから。日本料理の特徴は、水もしくは出汁に食材の味を逃がして、加えられた塩分とにじみ出た風味を汁ごと食べる料理法です。それは、日ごとに変わる味と香りに、たえず変化する時の流れを重ねて感じとってきた日本人の感受性を表しています。能登に流れる水の音のスピードは流れる時間のスピード。そんなことを感じながら作り続けている料理です。

L’horizon de Yosuke | calamar, concombre et algues (ESqUISSE) YOSUKEの水平線 | 赤烏賊、加賀太胡瓜、海藻(ESqUISSE) 

(リオネル・べカシェフより)
夜明けと共に洋助さんの船が港に戻ってくるイメージ。料理人にたくさんの恵みを与えてくれる、能登の海にオマージュを捧げたいと思いこのお料理を作りました。洋助さんの海への愛、海の生き物の命への感謝の気持ちを込めて、できる限りシンプルに調理しました。赤烏賊は昆布締めにして能登島高農園の加賀太胡瓜を添えています。そして能登の海藻アカモクなどもあしらっています。
能登の春は海から始まると言われるほど海藻が豊かなのが特徴です。
能登の漁師の洋助さんとは大変親しくさせていただいており、普段からエスキスで使っている魚も多く取り寄せています。洋助さんは能登町鵜川の漁師集団「日の出大敷」の5代目網元です。陸から数キロ離れた場所に網を張って、袋網に誘導した魚を捕獲する伝統的な大敷網漁。大型の漁船で魚を追って大量に獲るのではなく、魚の動きそのものを読んで「待つ」漁のため、最近では自然への回帰や資源保護につながる省エネ漁として世界中の漁場でも見直されています。

Le murmure du vivant | soupe de Warabi et haricots 17dinner(Somamichi) 小さな命のささやき | 豆とわらびのスープ(杣径) 17日dinner

(北崎シェフより)
赤木さんが毎朝歩いている山道を行くと、ある高度を超えると土の色が真っ赤に変わります。これは能登の山のあちこちで見られる特徴的な光景です。豆は、平田さんの持っていた「かわち豆」と呼ばれる在来の黒豆と、杣径に少し残っていた珠洲の金時豆を合わせて使っています。その道のかたわらに育つわらびと土を作る作物と言われる豆の煮汁を合わせたスープです。山歩きの気分と土を感じる味を目指しています。

Le murmure du vivant 小さな命のささやき Assiette de legumes 18〜20(ESqUISSE)野菜とハーブのプレート(ESqUISSE)18〜20日 器:赤木明登氏作「古銀丸折敷大」

(リオネル・ベカシェフより)
この料理は能登の人々へのオマージュです。先ほどの烏賊と同様に、シンプルに素材を提示しています。一つひとつの野菜のアイデンティティを失わないように、別々に調理しました。眺めているだけで希望の言葉が聞こえてきそうな一皿です。野菜はすべてが能登からではないのですが、使っているハーブはすべて能登から届いたものです。大きな黒いお皿は赤木明登さんによる輪島塗のお皿です。

Resilience | Dinde, shitake, myoga, herbes de Noto(L’Atelier de NOTO) レジリエンス | 七面鳥、しいたけ、みょうが、能登のハーブ(L’Atelier de NOTO)

(池端シェフより)
1988年から輪島の門前町で七面鳥を育てている大村さんは72歳、飼育施設も大きな被害を受けたのにもかかわらず「必ず復活する」と熱いパッションを語ってくれました。七面鳥に合わせる干ししいたけは冬の間にみんなで摘んで干した原木しいたけ「NOTO115」。地震の揺れとエネルギーでスイッチが入ったようで、この春ものすごい勢いで大量のしいたけが出現し、それを4月位まで干して、今回持ってきました。この料理には大村さんのパッションや、能登の土地の強力なエネルギーが静かに宿っています。
レジリエンス:負の力をポジティブに変換する力強さを表しています。

Renaissance | pates de kuzuko, sansho, palourde(Villa della pace) 再興 | 葛粉のパスタ、山椒、蛤 (Villa della pace) 

(平田シェフより)
イメージは「自然の脅威と美しさ」。町や道路、人が何世代にもわたって創り上げてきたものがたった1分間の地震で破壊されました。山も崩れ、海岸も隆起し、今までの景色がそこにはありませんでした。自然の脅威を感じた1月が過ぎてから、空いた時間に山に入りました。倒れた木の隙間を縫って森に入ると、そこには今までと変わらない森の景色がありました。春になると今までと同じように山菜が顔を出し、山椒は花を咲かせ始めました。そんな自然の強さと美しさを共存させた料理にしたいと思い、山椒や藁で燻した蛤を使った力強いソースと、野草の美しい緑の色素を使った麺でパスタを作りました。直接摘みにいった野草(ヨモギ・セリ・明日葉・ニラ・あさつき・セロリなど)が含まれています。葛粉がつるっとした食感になっています。能登の「宝達葛」を使用。山椒をベースに、蛤を藁でスモークしました。仕上げに山椒を散らしています。

La beauté des liens | Buri confit, takenoko, bouillon de lait 17dinner(Somamichi) 紡がれたもの | ブリのコンフィ、筍、ミルクのブイヨン(杣径) 17日dinner 

(北崎シェフより)
日本料理ではよく一皿の中に海のものと山のものを組み合わせて使いますが、同じ出汁で作ると味が混ざってしまい個性が半減するので、別々に調理してお皿や口の中で出会うように仕立てます。今回は和食の煮物に使うことはないミルクを少しだけ入れています。ミルクに含まれる油脂分は食材の中に含まれる水分が浸み出すのをブロックするので、煮汁の中で味は混ざりにくく、砂糖や味醂を使わなくても柔らかな味にまとまります。ふっくら火を入れたサワラと一緒に盛り合わせます。個性を消すことなく、おだやかにつながる。「和」の料理(和食)のつもりです。

La beauté des liens | Poisson frit, duo, bouillon de fruits de mer 18.19.20 ( l’Atelier et pace )
紡がれたもの | 魚のフリット、能登の小魚のブイヨン(L’Atelier & Pace)18~20

(池端シェフより)
炊き出しでいろんな料理人と交流してきました。そこで地元の居酒屋の方が作っていたハチメを頭や骨ごと揚げてバリ バリと食べる唐揚げがとても印象的でした。 地震を経て地域の中での交流は今までよりも深まりました。炊き出しや地元の方との交流の中では教えてもらうことも 多く、人と人との絆や信頼関係の美しさを料理にしたいと思いおさかな料理を作りました。

本日はイギスをフリット。 小さなハーブは明日葉やせりをつかっています。中にはゆうなんば(能登の柚子胡椒、いしりのマヨネーズ)、かりっ と揚げたイギスの中骨が入っています。お皿の底には 大麦とたけのこが隠れています。 トマトビネガーでマリネし たウドを添えました。そしてブイヨンはたけのこのゆで汁と子魚のコンソメ、少しミルクを使用しています。

このイギスもアカイカと同じ能登町 鵜川、日之出大敷 5代目網本の洋助さんが届けてくださったものです。 3月の上旬にリオネル・ベカが能登を訪問し洋助さんを訪ねました。石川県の漁協は1600人漁師が登録されており、800 人は輪島港で働いていらした。今回は残念ながら海岸が隆起して輪島より以北は漁に出られなくなってしまいました。 鵜川は海岸の隆起が見られなかったため、1月8日から漁を再開したそうです。氷見まで氷を取りに行き、漁をしたとの ことです。

Les champs généreux | Porc , navet et haricots secs(ESqUISSE) 高潔な大地 | 放牧豚、蕪、白いんげん豆(ESqUISSE)

(リオネル・ベカシェフより)
フランスの田舎の料理、庶民の料理によくみられる豚肉と豆の組み合わせ。フランスの歴史を振り返るとこの2つの食材によって人々が生き抜いてきたことがわかります。質素でありながら力強い一皿となっています。時に私たちは食べるものによって生かされていることを忘れがちです。今回池端さんと平田さんが震災直後から行ってきた炊き出しのことを伺って考えました。肉は能登と富山の境にあるぶーぶーファームさんの放牧豚を使っています。ロース肉は風にあてて水分を飛ばし、味噌、ハチミツ、マスタード、お酢でマリネし、仕上げにしっとりと焼きあげました。コンディモンはプルーンとヘーゼルナッツを使ったペーストを添えております。蕪は蕪のジュースで火を入れ、仕上げに表面を焼きあげました。ソースは焼き汁に煮詰めた能登のやまぶどうジュースを加えて味を調えております。仕上げに能登の実山椒で軽く香りを加えた、能登島、高農園のフレッシュなハーブをあしらっています。

Territoire intime Itadori et sel de mer.(l’Atelier et pace) 郷愁 イタドリと能登の塩(L’Atelier & Pace)

(平田シェフ、池端シェフより)
イメージは懐かしさ、郷愁。昔はよく食べられていたイタドリ。食べたことがない人にもどこか懐かしさを感じるような香りと酸味が特徴的だと思います。日本の田舎の原風景が想起できるようなものに仕立てました。

L’exil heureux | Azuki, cassis, riz au lait(ESqUISSE) 第三のテロワール | 小豆、カシス、リ・オ・レ(ESqUISSE) 器:赤木明登氏作「能登鉢6寸と平匙」

(リオネル・ベカシェフより)
能登からインスピレーションを得たデザートです。能登半島のジオグラフィー、そこに生きる人々の自然、その気高い美しさ、奥深さの中に見え隠れする希望の光。本質的なものははかないものの中に宿るという日本の美意識を表現しました。小豆と米という日本の食文化に欠かせない2つの食材を使っています。リオレはお米をミルクで炊いたライスプディングです。フランスではとてもポピュラーな家庭のおやつです。本日は酒粕とともにアイスクリーム仕立てにしております。隣に添えているのはナツメグの香りのシャンティクリーム。上にのっているのがカシスのチュイール。カシスの酸味をアクセントとして召し上がっていただくデザートです。赤い器は赤木明登さんの能登鉢です。これは元来、托鉢に使う鉢のようです。そして非常に柔らかな口触りの黒いお匙がありますがこちらも赤木明登さんの平匙です。お寺で修行されている皆様が朝食を召し上がる際、1つだけ使用することを許されたカトラリーということです。

文:高橋綾子、食べログマガジン編集部 写真:お店から

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