なぜいま「脱植民地化」がより一層重要になってきているのか「その背景」

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「冷戦時代のチェコスロヴァキアやポーランドのことを研究するのに、ロシア語を勉強しなくてもよいのですか?」

これはソ連の福祉政策を専門とするアメリカ人研究者に、とある学会の場で尋ねられた質問だ。コーヒータイムの何気ない会話だったが、どのように答えてよいかすこし迷った。結論から言えば、わたしが対象とする東欧社会主義圏に属していた個々の国々の調査をするにあたっては、現地の言葉で書かれた大量の資料があり、ソ連側の見解を知るにあたっても、ロシア語で「しか」読めないようなものが多いわけではない。

それでも回答に窮したのは、社会主義という体制の研究という意味では、ソ連、そしてその後継のロシアを取り上げた研究が積み上げてきた理論や枠組みの豊かさを決して無視できないからである。一般に「スラブ・東欧学」と呼ばれる分野の、特に20世紀後半以降の歴史・文化・社会を考える上で、やはり、「ロシア」と「ロシア語」の影響力は軽視できない。

上記の出来事は2015年のことである。それよりすこし前の2012年、毎年英国ケンブリッジ大学で開催される、英国スラブ・東欧学会の年次大会に参加したときにも、同分野内での「ロシア」の地位について考えさせられた。その場には、ヨーロッパだけでなくアメリカやその他の地域からさまざまな専門家が集っており、著作でしか名前を知らなかったような研究者同士が、洗練された会話を交わしていて、その雰囲気に圧倒されたのを覚えている。まだ修士課程の学生で、半分は博士進学のための情報収集、半分は物見遊山のような気持ちで春のケンブリッジを訪れた自分には驚きの連続だった。それでも一番驚いたのは、プログラムにおけるソ連・ロシア研究関連の発表の比率が圧倒的に高かったという事実である。

その大会を主催する学会は、名前こそ英国スラブ・東欧学会 British Association for Slavonic and East European Studies(通称BASEES)なのだが、「東欧」として自分が普段から想像していた地域--たとえば、チェコやポーランドといった土地や、ハンガリー、ルーマニア、旧ユーゴスラブィアの国々--に関する研究発表は全体の3割程度といった印象を受けた。「ロシア文学」のパネルを聴講したときなどは、途中から発表も質問もロシア語に切り替わって、それを周囲の参加者も当たり前のようにとして受け止めていた光景を目の当たりにした。そこではロシア語こそ、リンガフランカだったのだ。

(その他の「東欧」諸国を扱うパネルでは、大体、複数の国を研究するひとがひとつの場に集まっていたため、そのような切り替えは起こり得なかった。)

このように、特に英語圏で「スラブ・東欧学」を研究するにあたっては、「(ソ連・)ロシア」「ロシア語」の存在感は圧倒的だ。ロシアの人口規模や文化的な影響力、国際的な地位などを考えれば、当然のことかもしれない。これはアメリカの同様の学会である、米国スラブ・東欧・ユーラシア研究協会 Association for Slavic, East European, and Eurasian Studies(通称ASEEES)においても似たようなもので、やはり参加者の専門が国際政治であれ人類学であれ映画であれ、ソ連やロシアを対象に研究をしている人が占める割合は大きいと言える。

冒頭の質問を振り返れば、「東欧」の研究に関するその政治学者の知識の欠如ではなく、わたしの側が不勉強を恥じるような気持ちを感じなければならなかったのはなぜか。「スラブ・東欧学」における「ロシア」および「ロシア語」優位の構造がそこにあったのではないかと今なら考えることができる。

「脱植民地化」とはなにか

先のような学会参加の経験から、それぞれ10年近い、あるいはそれ以上の時が経ち、そのあいだに「スラブ・東欧学」を取り巻く環境も大きく変わっていった。

前提として、2000年代前後からは、さまざまな他地域・他分野の動向にも後押しされるかたちで、ソ連・ロシアとその周辺国における「帝国」的実践の実態を扱う研究も進展し、かつてソ連邦を構成した、コーカサスや中央アジアの国々を取り上げる研究者も格段に増えていった。その流れは2010年代も変わらず、たとえば社会主義圏の文化や政治運動を総合的に比較検討するプロジェクトなども盛んになり、多様なスラブ・東欧地域の姿が提示されるようになっていったのである。地域的な拡がりや繋がりを意識しながら、「スラブ・東欧学」の見直しが進んでいった時期であったと言える。

(そのようななか、日本での同分野の研究拠点として知られる北海道大学のスラブ研究センターも、2014年に「スラブ・ユーラシア研究センター」に名称を改めるなどしている。)

しかしながら、2022年2月24日以降、今までよりもさらに「多様な」地域観を描き出すことは、「スラブ・東欧学」の喫緊の課題となっている。

ロシアのウクライナ全面侵攻開始、そしてロシア・ウクライナ戦争が長期化する過程で、上述の学問のありかたをより根本的なかたちで、今一度「脱植民地化(De-colonization, ディコロニゼーション)」することが求められようになった。2014年のロシアによるクリミア併合を経てもなかなか変わることのできなかった、「スラブ・東欧学」における質的・量的な偏在を見つめ直し、代弁(リプレゼント)されなかった声を掬い上げようという企図がその背景にはある。

そもそも、今日の人文・社会科学の分野では、「脱植民地化」はひとつの主題としてこれまで以上に重要なものになっている、

ここ数年は特に歴史や美術といった研究領域において、実践的な課題とともに論じられてきた。たとえば美術館・博物館の収蔵品や展示品には簒奪されたものが多く含まれるが、展示のなかにそれらを取り入れるとすればどのように負の歴史を含めて解説するか。あるいはこうした遺産の権利を有すると考えられる国や人々から要請があった場合に、返還に応じるかどうか。各コミュニティは、加害の責任やトラウマの記憶とどう向き合うべきか--こうした問いが、キュレーターや美術史家、そして市民社会や、時には出資者の関心事として定着しつつある。

マジョリティを中心に構築されてきた秩序ならびに説明的言語のシステムをどのように解体していくかという問いには、法的・政治的・社会的・学術的な、何らかのアクションがセットで求められる。2021年には、第一次大戦以前のドイツ領西アフリカ(現在のナミビア)でのドイツ人入植者らによる現地住民の殺害を、ドイツ政府がジェノサイドであったと認めたことが大きく報じられた。

最近では、イスラエルによるガザおよびパレスチナ西岸地区への侵攻と、そこで日々繰り広げられる入植者としてのイスラエルの殺戮と暴力を前に、多くの人が「脱植民地化」--つまり、一方的に押し付けられた力関係を解消し、少数者の立場にあるひとびとの権利を擁護するような制度を実現すること--の必要性を認識し、世界各地で抗議活動が日夜続けられている。これはもはや人文・社会科学のトレンドを超えて、見過ごされてきた社会の不正を糾弾する大きなうねりを生み出していると言えるだろう。

このトピックの非常にわかりやすい入門・解説書である『脱植民地化:帝国・暴力・国民国家の世界史』著者でジョージワシントン大学歴史学部名誉教授のデイン・ケネディも、コーカサスでのロシアの軍事行動やジョージアの一部で起こった南オセチア紛争、そして2014年のウクライナ領クリミア併合を例に挙げながら、暴力の連鎖は「ロシアがいまだに帝国の喪失と折り合いをつけられていないことを示唆している」(140頁)と述べているが、スラブ・東欧学における「脱植民地化」はまずもってソ連・ロシア(研究)の隣接地域への影響を再考することにある。

先に挙げた米国スラブ・東欧・ユーラシア研究協会(ASEEES)では、2023年の年次大会のテーマに、まさにこの「脱植民地化」が掲げられ、主催者は、同分野における「時間をかけて確立され、しばしば内面化されているヒエラルヒーを再評価し、権力を放棄し奪い返すという深く政治的な行為」としてのDe-colonizationを再興することを宣言した。

秋に開かれた大会に先駆けての9月には、『アメリカ合衆国におけるロシア研究の現状』と題する浩瀚なレポートが公開された。そこに紹介されている「脱植民地化」に関するアンケート調査の結果からも、「脱植民地化」には、まずは自分たちの分野がもっている傾向性を見つめ直そうとする態度が不可欠なことが示されている。

「キルギスのような国について知るためにはロシアのことを知る必要があるが、逆もまた然りである」という政治学者の回答や、「今日でさえ、わたしたちがウクライナについて話すとき、それはまたもやロシアのことを語っているにすぎない」とする亡命ロシア学者の意見が、同レポートには紹介されている。

これに限らず、2022年2月24日を境に、「脱植民地化」の実践を模索するさまざまな論考やインタビューが続々と公刊されている。もちろん戦争という文脈ゆえ、主にはウクライナを研究する人やウクライナの学者による発信も多いが、コーカサス・中央アジア、バルト諸国やポーランドのような既にEUに加盟した国々の視点も注目に値するものである。

見方によっては、これをロシアやソ連の研究を排除する動きであるかのように思う人もいるかもしれない。上で参照したレポートも、回答者は米国の研究機関関係者がほとんどなので、それ自体が偏った意見を集めたものにすぎないと考える人もいるだろう。

しかし、「脱植民地化」の議論の肝は、まさに内面化された規範を打ち崩すことにある。平たく言えば、自分にとって異和を感じる意見のなかに、どれだけの価値や意味を見出せるのかという省察の過程がそこにあるか否かが大事な指標となる。

単なる「反ロシア」でも「親ロシア」でもない言論空間の創設と研究実践こそ、「スラブ・東欧学」の専門家たちに求められていることなのではないだろうか。当事者の一人として、「脱植民地化」の主眼がどこにあるのかを、まずは議論の土台として理解しなければならないという強い思いがある。

「脱植民地化」は反ロシアなのか

もちろん、「脱植民地化」論に懐疑的な立場をとる研究者もいないわけではない。彼らの批判は、主に以下の二点にまとめることができる。

まずひとつは、ロシア帝国やソヴィエト連邦は、いわゆる西欧型の遠隔植民地をもっていたわけではないので、旧社会主義国のように実際に独立国として機能していた国や、法的な地位の異なる旧ソ連の構成国のような場所を、ひとくちに「植民地」と捉えて安易に比較を行うことは学問的に適切ではないとする批判である。これは、「帝国」や「植民地」をどのように定義するかという、理論的なアプローチの問題としては、一考に値するものかもしれない。

(社会主義国が「反帝国主義」を掲げる陣営であり、むしろ「植民地主義」を批判していたこともこれに関係する。)

だが、今問われている「脱植民地化」は、上に述べたように、単にある事象に対して特定の専門用語の使用が妥当であるか否かといった、定義の問題にとどまるものではない。たとえば、自分がこれまで見落としてきたものがあるとすれば何か、どのような言語の、どのような論者の書いたものを参照することが多かったのか、そこに何らかの傾向が見出せるのか、だとしたら自分はどのような反対意見を見過ごしてきた可能性があるのか--そうした反省の実践に力点が置かれているのである。

もうひとつの批判がまとうのは、そもそも「脱植民地化」なる用語こそ、西欧・欧米中心的な学術界のなかで生まれたものであり、それを無批判に振りかざすことのほうが、多勢に追従する危険を伴うという論調である。確かに、西欧中心主義への批判がまさに西欧的学問の伝統のなかで育まれてきたという矛盾はいつでも忘れないようにしたいところだ。とはいえ、決して無視してはならないのは、こうした「脱植民地化」に期待する声がまさにコミュニティの内側から上がっているという点である。

スラブ・東欧学の有名な学術誌には、英国でも米国でも、ロシア・ソ連の事例研究が掲載されることの方が圧倒的に多く、大学でテニュアを得る教職員に関してもロシア・プロパーの枠がほとんどだ。大陸欧州でいえば、ドイツのような国でも「スラブ学」といえばまずロシア語専攻、という状況に大きく変わりはない。日本でも、ロシア語の講座を開講している大学はすぐに見つかるだろうが(大学で学べる外国語の幅が狭まっているという動向などはとりあえず横に置きつつ)、ウクライナ語を学びたいとなったらどうか。そうした状況を当然視せず、「ずっとこの分野はこうだったから」と流さず、不均衡を生んできた「制度」そのものの問題として向き合っていくことでしか、スラブ・東欧学の将来の展望も開かれないのではないだろうか。

いずれにせよ、このような「脱植民地化」をめぐる議論は、なにもスラブ・東欧学の問題にとどまるものではない。ウクライナに限らず、パレスチナの地でも、人間の尊厳を棄損するような、恐ろしいほど不均衡な暴力がつづくなか、わたしたちはこれまでの思考の枠組みに一度疑問を付す必要があることは間違いない。

理論としての妥当性・有用性を問いながら、態度(アティテュード)としてのde-colonizationを身につけることが、21世紀の世界を生き、その現象をつぶさに分析し、理解しようとする者の責務である。

補足:

・本項では Slavic (Slavonic) and East European Studiesを前提とし、「スラブ・東欧学」で表記を統一したが、「スラブ・ユーラシア学」「中東欧・ロシア・ユーラシア研究」と呼ばれることもある点に留意されたい。

・筆者も2023年10月に開催されたASEEESのオンライン大会に参加し、「日本におけるスラブ・東欧・ユーラシア研究の再考:『脱植民地化』への分野別の挑戦と応答」と題するパネルでコメンテーターを務めた。2023のDe-Colonizationを引き継ぎ、同学会の2024年のテーマはLiberation(解放)。

本文で言及した本・レポート:

・デイン・ケネディ、長田紀之訳『脱植民地化:帝国・暴力・国民国家の世界史』白水社、2024年。

・State of Russian Studies in the United States: 2022, An Assessment by the Association for Slavic, East European, and Eurasian Studies ASEEES (Published in August 2023): web19b.aseees.pitt.edu/sites/default/files/downloads/State%20of%20Russian%20Studies%20Report%20Sept%2018%202023.pdf

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