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フォード・マスタング・ボス351(1971年)

(この記事は「後編」です。前編と合わせてお楽しみください)

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1971年は、究極のマッスルカーの1つ、フォード・マスタング・ボス351にとって条件が完璧に整った年だった。燃費と排ガス規制がエンジンパワーを圧迫し始める直前に、ボスは最高出力330psの351立方インチ(5.8L)クリーブランドV8を採用。51kg-mというトルクも特徴だった。


フォード・マスタング・ボス351(1971年)

4速MTとハーストのシフターが採用され、リミテッド・スリップ・ディファレンシャルがパワーを浪費しないよう最善を尽くす。コンペティション・パッケージのサスペンションキットが標準装備となり、フロントブレーキも大型化されている。マッスルカーの歴史における最高峰となり、マスタング・ボス351はファンから熱烈な支持を受け、1806台が生産された。

フォード・マスタングHO(1972年)

「ボス351」ではないマスタング・ボス351が存在する。フォード・マスタングHOだ。1972年、フォードはラインナップからボスを外したが、抜け目ない一部のファンは、「Rコード」というエンジンオプションを注文すれば名前以外をボス351に近い仕様にできることに気づいた。

HOという名前は「ハイ・アウトプット(High Output)」エンジンの略で、最高出力275psを発生する。HOオプションの価格は812ドルで、60台ほどしか生産されなかったと考えられている。


フォード・マスタングHO(1972年)

エンジン以外には、ハースト製シフターとアクスルレシオの変更が付属する。ハードトップ、スポーツルーフ、コンバーチブルなどのボディスタイルで注文することもできた。

シボレー・ベガ・コスワース(1975年)

コスワース製エンジンといえば、興行的な金字塔を打ち立てた欧州フォードのRSモデルシリーズが有名だが、米国のシボレー・ヴェガ・コスワースはもっと地味なものだった。サブコンパクトのベガをベースに、コスワースが開発したツインカム122立方インチ(2.0L)4気筒エンジンを搭載。最高出力は110psと控えめだが、最大回転数は6500rpmで、開発時のテストでは9400rpmまで回せたそうだ。

コスワース製エンジンはカリフォルニア州の排ガス規制にも適合するように改良され、ベガとして唯一、全米50州で販売認定を受けた。専用デザインのホイール、ブラックのボディにゴールドのピンストライプ、8000rpmのレブカウンターが標準装備されている。1975年にベガのラインナップの一部として発売され、3508台が売れた。


シボレー・ベガ・コスワース(1975年)

ポルシェ912E(1976年)

ポルシェの米国部門は、1976年モデルで「912」の名称を一時的に復活させた。912Eは1977年モデルの新型924が出るまでの “繋ぎ” として投入され、基本的には911の低出力モデルである。フューエルインジェクションの2.0L 4気筒エンジンを搭載し、最高出力86ps、最大トルク12.8kg-mを発生する。

新車当時の価格は1万845ドル(現在のレートで約5万ドル)で、売れ行きの鈍い914(当時7250ドル)とエントリーモデルの911(1万3845ドル)の間に位置する。生産台数については意見が分かれるところで、2099台とする資料もあれば、1200台に近いとする資料もある。現在では、2万3000ドルで販売されている個体もある。


ポルシェ912E(1976年)

シボレー・モンツァ・ワゴン(1978年)

シボレー・モンツァ・ワゴンは雑種のようなものだが、かわいそうなことにあまり人気がなかった。余ったシボレー・ベガのボディを使い、モンツァのフロントを移植して作られたモデルだ。フォルムに華やかさを加えるウッド調のトリムも注文できた。

モンツァ・ワゴンのパワートレインは、ベース車と同じ2.5L「アイアンデューク」4気筒と3.2L V6の2種類があった。ハッチバックおよびクーペモデルとともに1978年末に生産を終了し、生産台数は3000台に満たない。


シボレー・モンツァ・ワゴン(1978年)

ダッジ・リルレッド・エクスプレス(1978年)

リルレッド・エクスプレス(Li’l Red Express)は、トラックには性能を阻害する触媒コンバーターが不要という規制の抜け穴を利用して作られた。自由に呼吸できるようになった360立方インチ(5.9L)V8を最大限に活用し、最高出力225ps、最大トルク47kg-mを発生、0-97km/h加速をわずか6.7秒で達成した。

トラックの実用性と高性能ビッグエンジンの組み合わせは、パフォーマンス・ピックアップトラックの雛形となった。大型のクロームスタックマフラーなど、デザインの一部はそう簡単には受け継がれなかったが、1年間で2188台が販売された。


ダッジ・リルレッド・エクスプレス(1978年)

フォード・マスタング・マクラーレンM81(1980年)

マスタングの「良き相棒」といえばシェルビーだが、1980年にフォードが手を組んだのはマクラーレンだった。マクラーレンの米国支社を通じて専門知識を吸収し、フォード製2.3Lエンジンのターボチャージャー版を開発、最高出力190psを発生した。しかし、市販車では排ガス規制をクリアするため132psに抑えられ、0-97km/h加速は9.8秒、最高速度は150km/hにとどまる。

M81はマクラーレンのトレードマークであるオレンジカラーで仕上げられ、大型化したフェンダーに合わせてボンネットも大きく膨らんだ。サスペンションも改良され、室内にはレカロのスポーツシート、スチュワート・ワーナー製メーター、専用デザインのステアリングホイールが装備されている。


フォード・マスタング・マクラーレンM81(1980年)

しかし、フォードが並行開発していたマスタングSVOモデルに資金を振り向けたため、249台生産の計画がわずか10台で終わってしまった。現在でも時折オークションに出品され、10万ドル近い価格で取引されている。

フォードRS200(1984年)

フォードRS200は、世界ラリー選手権(WRC)のステージ以外では稀有な存在であり、米国では1984年のわずか1年間しか販売されなかった。グループBラリーのレギュレーションを満たすために作られた特注車として、四輪駆動、ミドエンジンのハンドリングバランス、ベーシックグレードで250psのパワーを備えている。公道で使うにはあまりにも驚異的なクルマだ。

車重わずか2596ポンド(1180kg)で、0-97km/h加速は5.0秒。モータースポーツ仕様は350psから500psを発生し、猛烈な加速を見せたが、ベーシックグレードでさえ公道を走るどのクルマよりも速かった。200台生産されたうち、24台は後にルーフに冷却用インテークを備えたエボ(Evo)仕様にアップグレードされている。


フォードRS200(1984年)

日産アクセス(1990年)

日産はフォードと組み、1990年代を見据えたモダンで広いミニバンを開発していたが、プロジェクトが完了する前にいち早く日本から2代目プレーリーを持ち込み、アクセス(Axxess)という名で発売した。ライバルのクライスラーから市場シェアを奪おうとしたが、この計画は失敗に終わった。

アクセスは米国人にとって小さすぎ、ファミリーカーを求める消費者の嗜好には合わなかったのだ。米国では1990年のモデルイヤーのみ販売され、1992年にはフォードと共同開発した新型クエストが登場し、席を譲っている。現在、アクセスは米国の路上から姿を消してしまっているようだ。


日産アクセス(1990年)

ロータス・カールトン(1991年)

ロータス・カールトンは、英国ではヴォグゾール、その他の地域ではオペルから販売された。販売期間は欧州で1990年から1992年、米国では1991年の1年間だけで、正式に販売されたわけではない。そのため、米国ではアウトロー的な存在となり、発売当時は世界最速の4ドア・セダンと謳われたことでさらに評判を高めた

カールトンの開発を主導したのはロータスで、最高出力377psを発生する特注のツインターボ3.6L直6エンジンを搭載。6速MTと組み合わされ、0-97km/h加速5.2秒、最高速度285km/hを誇る。最終的に950台が生産された。


ロータス・カールトン(1991年)

フォード・マスタング・コブラR(1993年)

フォードは3世代にわたってマスタング・コブラRを生産したが、いずれも生産期間は1年だった。その中でも最も希少なのは1993年モデルで、生産台数はわずか107台と、1995年モデル(250台)や2000年モデル(300台)と比べても少ない。

コブラRの販売ターゲットは、レーシング・ライセンスを持つ顧客かモータースポーツチームのみであったため、希少性が高まるのも無理はない。車名の「R」はレースを意味する。


フォード・マスタング・コブラR(1993年)

3世代のコブラRはマスタングSVTをベースとしており、V8エンジンのパワーを向上し、2000年モデルでは最高出力385ps、最高速度285km/hを達成する。全車クーペボディで、エンジンのパワーアップに合わせてサスペンション、ブレーキ、ドライブトレインが改良されている。

ジープ・チェロキー・リミテッド5.9(1997年)

ZJ世代のグランドチェロキーが寿命を迎えるにあたり、ジープはその最後を飾るモデルを仕立てた。標準のエンジンに代わって最高出力245psの5.9LマグナムV8が搭載され、0-97km/h加速6.8秒、1/4マイルを15.2秒で走る。

チェロキー・リミテッド5.9は、それまで米国で販売されたSUVの中で最速となった。外観上の特徴として、ボンネットのダクト、5本スポークの専用ホイールデザイン、大型マフラー、「Limited 5.9」のバッジがついている。1998年半ばに新しいWJ型が登場し、リミテッド5.9はわずか1年で生産終了した。


ジープ・チェロキー・リミテッド5.9(1997年)

リンカーン・ブラックウッド(2002年)

SUVのナビゲーターの大ヒットに味をしめたリンカーンは、ピックアップトラックの高級化にも手を出した。クルーキャブのフォードF-150をベースに、ナビゲーターからフロントエンドを移植し、より高級感を出すためにウッド調のインサートを荷台側面に追加した。

リンカーンは設計過程でいくつかの重要なディテールを見落としていた。ブラックウッドには後輪駆動しか設定されず、カーペットが敷かれた荷台の上には、簡単に取り外せないプラスチック製トノカバーが被せられている。言い換えれば、雪道でのトラクション確保に苦労し、食料品やゴルフクラブ程度の荷物しか運べないトラックを作ってしまったのだ。


リンカーン・ブラックウッド(2002年)

ブラックウッドは米国市場で2002年のモデルイヤーのみ販売された。今日、走行距離の多い中古車が7000ドルから出回っており、状態のいいものは1万3000ドルで手に入る。

メルセデス・ベンツR 63 AMG(2007年)

2007年のメルセデス・ベンツのラインナップには、Rクラスのようなファミリーカーと、E 63のようなAMGエンジン搭載の高性能モデルがあった。この2つの異なる世界が思いがけず衝突し、2006年のデトロイトモーターショーでR 63 AMGが発表された。6人が比較的快適に座れるワゴンでありながら、最高出力507ps、0-97km/h加速4.7秒の性能を誇る。

R 63 AMGは、2007年モデルイヤーに特別注文限定モデルとして販売された。生産台数は未公表だが、米国市場向けの約30台を含め、全世界で200台以下という意見もある。AUTOCAR記者の1人は、ユタ州ソルトレイクシティのメルセデス・ディーラーで働いていたときに運転したことがある。R 63は信号待ちから次の信号まで砲弾に乗っているような感覚だったらしい。


メルセデス・ベンツR 63 AMG(2007年)

現在ではほとんど見かけなくなったが、中古のR 63は4万ドルから手に入る。

キア・ボレゴ(2009年)

キアは2008年のデトロイトモーターショーで、最大かつ最重量のSUVであるボレゴを発表し、2009年モデルとして発売した。タイミングは最悪だった。当時、世界的な金融危機で米国経済は逼迫し、消費者は大型で燃費の悪いクルマから低燃費モデルへの買い換えを進めていたのだ。

キアは年間2万台の販売を目指していたが、米国では1万台を販売するのがやっとだった。結局、2010年モデルイヤーで廃止となる。キアはボレゴの復活を示唆していたが、実現はしなかった。現在、同社最大のSUVは3列シートのテルライドである。


キア・ボレゴ(2009年)

手頃なコンディションの中古車は、現在1万ドルから購入できる。

ポンティアックG3(2009年)

G3はポンティアック史上最も短命なクルマであり、最も忘れ去られたモデルの1つだ。シボレー・アベオ(デーウ・カロスのリバッジ車)のリバッジ車に過ぎず、選べるグレードも1種類のみだった。唯一のセールスポイントは、お買い得な価格だった。2009年に生産が開始され、年内に終了した。

現在、低走行の中古車が4000ドルから入手できる。


ポンティアックG3(2009年)

BMW 1M(2011年)

BMW 1シリーズMクーペ、略して1Mは、かゆいところに手が届くスペシャルモデルであった。M3がますます大型化・高級化するにつれて、BMW社内から手頃で軽快なマシンを求める声が高まっていた。そこで生まれたのが1Mであり、最高出力340psの3.0L直6と6速MTを搭載、0-97km/h加速は4.8秒、最高速度は250km/hだった。

M3 CSLのホイールを履き、フェンダーを広げてずんぐりとした1Mは、ある種の攻撃性をにじませている。その走りは顧客から絶大な支持を受け、生産台数は当初予定された2700台から6309台に膨れ上がった。


BMW 1M(2011年)

コーダEV(2012年)

カリフォルニア州を拠点とする新興企業コーダ(Coda)は電気自動車(EV)の普及を目指し、盲目的な投資家から数億ドルを集めた。テスラに続いて魅力的なEVを作ってくれると期待していた投資家たちは、ひどく失望することになる。

コーダ初の市販車は、ハフェイ・サイバオ(哈飛汽車・賽豹)という中国車をベースにしていた。サイバオは1990年代後半の三菱ランサーから流用したアーキテクチャーで作られたモデルである。


コーダEV(2012年)

コーダは2012年3月にカリフォルニア州で自動車販売を開始し、2013年5月に破産を申請した。短い存続期間中に117台を販売したが、後にエアバッグの問題を解決するために全車リコールを余儀なくされた。

BMW M3 CS(2018年)

米国では、F80世代M3をベースにした1年限りのBMW M3 CSを全国民で共有しなければならない。全世界でわずか1200台しか生産されなかったため、米国含めあらゆる場所で非常に珍しい存在である。従来のM3セダンと比べて特別なのは、最高出力460psと最大トルク61kg-mにパワーアップされたエンジンだ。

カーボンファイバー製パーツとドアガラスの薄型化により車重が100ポンド軽減されたCSは、0-97km/h加速3.7秒、最高速度280km/hを実現。トランクスペースも広く、実用的な4ドア・セダンだった。しかし、サスペンションが硬く、ミシュラン・カップ・タイヤを装着していたため、ほとんどの購入者は日常的に使うことがなかった。


BMW M3 CS(2018年)

フォルクスワーゲン・パサートGT(2018年)

フォルクスワーゲンは2018年のデトロイトモーターショーでパサートGTと呼ばれるモデルを発表した。平凡なパサートのラインナップにスパイスを加えようとしたのだ。「GT」という呼称は、VR6エンジンの存在、ボディキット、グリルの赤いアクセントなどGTIに似たスタイリングを示すものだった。販売は2018年モデルイヤーに開始された。

2019年モデルイヤーでは、パサートの世代交代を目前に控え、ラインナップを簡素化することになった。3つのバリエーションが廃止され、その1つがGTだった。GTの廃止はまた、パサートの6気筒エンジンの終焉を意味する。パサートGTの中古車は現在、2万3000ドルから入手できる。


フォルクスワーゲン・パサートGT(018年)

マクラーレン・エルバ(2021年)

エルバは英国のスポーツカーメーカー、マクラーレンが限定生産したスーパーカーだ。F1、P1、セナ、スピードテールに続く、同社の「アルティメット・シリーズ」の第5弾である。もともとはフロントガラスさえ付いていないが、購入時に追加することができた。米国の多くの州ではフロントガラスのないクルマは販売できないので、その点は都合が良かった。

4.0L V8で最高出力815psを発生するが、これはセナやスピードテールと基本的に同じユニットである。米国では2021年の1年間だけ、170万ドルという価格で販売された。


マクラーレン・エルバ(2021年)