多くの日本兵が米軍上陸前の砲爆撃で死んだ…空襲警報が鳴ったとき、兵士たちが話していたこと

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なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。

民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が9刷決定と話題だ。

ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。

西さんは噛みしめるように話した。

「(遺骨収集は)やめちゃいけない。当然じゃないですか。慰霊祭もいつまでも続けてもらいたい。衛生兵が蜂谷の指を切るときは、しょっちゅうやっているような手慣れたもんでしたね。それぐらい多くの兵士が米軍上陸前の砲爆撃で死んでいた。空襲警報が鳴っている間、兵士たちは壕の中で、自分の国(故郷)の話なんかしていましたね。だからやめちゃだめですね」

「米軍が飛行場を作りましたでしょう。だから、その下に(多くの遺骨が)埋もれているはずですよ。一時、(現在は自衛隊が運用している)飛行場を壊して掘り起こすべきだという意見があったでしょう。確かに埋もれているんじゃないかと思いますね。蜂谷のご遺体を埋めた集団墓地も飛行場の下になっているのではないかと思います。集団墓地はそのほかにも複数あったと思います」

「(壕を掘る兵士たちは)私がおる頃からだいぶ衰えていましたね。かわいそうなぐらいでしたね。(だから、遺骨については)全員帰したいですよね。遺族もかわいそうだ。私の姉も出征するときに、行くなって言ったんですよ。送る者は、悲しんでいた。それが常でした」

西さんの訃報を受けて悲しみに暮れる中、僕は思った。

戦争で父や夫、友人を失った人が誰一人いなくなる時代はもう目前に迫っている。

かけがえのない人の遺骨の帰りを生涯、願い続けた人たちにとって、叶わぬまま世を去る悲しみは計りしれない。

従来のペースで延々と続けていくのか、従来以上にボランティアを募ってペースを上げるのか、それとも、遺骨収集の予算を縮小して慰霊行事の予算を拡充するのか。

戦争当事者世代なき時代の戦没者遺骨への対応は、せめて戦争当事者世代が望む形であってほしいと僕は思う。そのためには、遺族らがまだ健在のうちに政府は議論を始めなくてはならないのではないか。

最後の最後にそんな重要な教訓まで教えてくれた西進次郎元陸軍伍長。

僕は心の中で最敬礼しながら、この章を記すパソコンの手を、止めようと思う。

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