明治時代の官僚システムの弊害が、現在にも及んでいるという(写真:EKAKI/PIXTA)

今の日本で「頭がいい人」と思われているのはどんな人々でしょうか。高偏差値の大学を優秀な成績で卒業した政治家や官僚、あるいは経営者などが頭に浮かぶかもしれません。ですが、生物学者の池田清彦氏は、そうした人々が政治や経済を主導してきた結果が、現在の日本の凋落につながっていると指摘します。

「頭がいい」という人に見られがちな問題点と誤解について、池田氏の著書『「頭がいい」に騙されるな』から、一部抜粋・編集して解説します。

「平均的な労働者」という呪縛

第二次世界大戦後のしばらくは高度成長でうまくやることのできた日本が、凋落を始めたのは1990年代以降のことである。

1960年代から80年代くらいまでの世界の産業は工業生産が中心で、なるべく安く大量に生産するというのが儲けるための最適なやり方とされていた。そして日本人はこのような種類の仕事にすごく適していた。

日本人が画一的な工業労働に向いているのは、教育によるところが大きい。みんな横並びで、上の言うことを聞いて、同じくらいの技量の人間を揃えて一斉に仕事をする。

そのときに全体から突出した人間は不要だから、そういう人間は頭を叩いて押さえつけ、勝手なことはやらせない。

仕事のできない人についてはレベルを引っ張り上げようとはするのだけれど、それでもダメだったら切り捨てていく。

そうすることで、大企業の工場で働いているような人たちのスキルは同レベルになり、安定した工業生産ができるようになった。

こういったやり方がもっともコストパフォーマンスがいいということで、1960年代あたりから全国的に行われるようになり、1980年代の終わりぐらいまでは、この思考とやり方でうまくいっていた。

この時期の日本は、家電や自動車などの製造販売によって世界を席巻し、戦後焼け野原だった日本の国民総生産(GNP)は、1968年に世界2位まで躍進した。

ところが1980年代の終わりから1990年に入った頃になると、だんだんこういうやり方では立ち行かなくなってきた。

平均的な労働者を育てることばかりを優先してきたせいで、アメリカのようにイノベーションを起こすことのできる天才的人材を育てようとしなかったことが、その大きな原因だ。

明治維新が生んだ官僚的エリート

平均的な労働者を育てるというのは戦後からの話ではなく、明治の頃からずっと続いてきたものである。

江戸時代の終わりに革命のようなもの(明治維新)が起きて、その時には優秀な人間がたくさんいた。しかし、すごく特殊な才能があったがゆえに敵対勢力から目を付けられて、失脚させられたり、殺されたりしていった。

そうして割と官僚的な人間たちが明治維新を生き伸びることになった。そういう人たちが明治以降の日本をつくってきたわけである。

官僚的な人間たちは自分たちと同じような人材を育成するために、帝国大学や陸軍士官学校、海軍兵学校などのエリート養成学校をつくった。

だが日清戦争や日露戦争で活躍した将官というのは、帝国大学や陸軍士官学校などの出身でもなんでもない。

日露戦争でバルチック艦隊を破った東郷平八郎は薩摩藩士として育ち、自ら望んでイギリス留学をするなかで、自分で考えた戦術で戦果を挙げていた。同じく日露戦争の旅順攻略を果たした乃木希典も萩の藩校に学んだだけで、実戦のなかで頭角を現していった。

明治時代には、まだそういう人材がトップに立つ素地があったため、自分で考えた天才的なやり方で戦うことができた。

そもそも日本にとって当時、戦争での戦い方の「前例」がなかったわけだから、自分の考えでやるしかなかった。それで日清戦争や日露戦争を戦ったわけだ。

それが明治の終わり頃になって教育がシステム化されてくると、これは今と同じで、学校での成績に優れた「頭のいい」秀才が政治でも軍隊でも中心を担うようになってきた。

当然、帝国大学のトップになる人間というのは、受験や学内の試験を勝ち抜いてきたエリートであり、陸軍士官学校や海軍兵学校もこれは同じだろう。

典型的な「秀才のトップ」東條英機

このような秀才たちは自分が試行錯誤をして何かを成し遂げて、その地位を手に入れたわけではないため、学校で学んだことに忠実になる。

そういう人間がトップに立つということが明治時代の終わり頃からずっと続いたことで、第二次世界大戦が始まる頃には、以前のように実戦のなかで鍛え、自分で考えて道を切り拓いてきたような人物はほとんどいなくなっていた。

そうすると上に立つ人の言うことをよく聞いて、試験勉強の成績がいい秀才がトップに立つことになる。その典型が陸軍士官学校出身の東條英機だ。

改めて指導者としての東條の実績を見てみると、たいていの場合は調停役を務めるばかりで、何か独自に発案し決行するということがほとんどない。

秀才タイプの人間は前例のあることならば前例にならってうまく対応できるが、前例がないことが起きたときにはどうしようもなくなってしまうのだ。

これは今の日本とまったく同じで、前例のない未曾有の事態を迎えたときにどのように対処するべきか、創造的な手段を考えつくことができない。試験での正解ばかりを追求してきたから、どうしても前例主義に陥ってしまう。

そうして敗戦となった日本は、戦争という行為への反省こそ口にすることはあっても、教育については教育勅語こそ廃止したが、試験を優先する人材育成のシステム自体への反省は一切なく、明治から続いているやり方を令和の今も続けている。

優秀な子供たちが海外の大学へ

日本が凋落した最大の原因は、横並び主義で、ちょっと変わった、才能のある人間の頭を叩いて潰してきたことだと、私は考えている。

ある意味で特殊な人間を引き立てる思考や組織のシステムがあれば、"失われた30年"はなかったかもしれない。

みんなが同じことをやっているなかで、一部の特殊な人間がGAFAM的なものを生み出していた可能性はあっただろう。

しかし今ではそういう才能ある人たちは、もう日本にいても仕方がないと考え、外国へ逃げてしまう傾向が顕著だ。

だから日本はますますダメになってしまう可能性が高い。ここから再建するとなると、なかなか難しいと言わざるを得ない。

私立の偏差値の高い中学や高校では、東京大学や京都大学、早稲田、慶應という国内の"一流大学"を狙わないで、2024年度世界大学ランキングのトップ3(オックスフォード大学=英、スタンフォード大学、マサチューセッツ工科大学=ともに米)や、アメリカの東部のエリート大学とされるアイビーリーグ(ブラウン大学、コロンビア大学、コーネル大学、ダートマス大学、ハーバード大学、ペンシルベニア大学、プリンストン大学、イェール大学)など、海外の大学への進学を狙う生徒も増えてきているようだ。

東大や京大でも「仕方がない」

渋谷教育学園幕張(千葉県)のような国内トップクラスの進学校では、海外の大学への進学を目指す成績上位の生徒を対象にした特別なサポートシステムを組んだりもしている。


子供の将来のために海外の一流大学へ行かせたいという親も増えている。

しかし、今の円安状況では海外への進学は学費も生活費も大変だから、「世界ランク29位の東大や、同55位の京大でも仕方がないか」というようなことにもなっているようだ。

もちろん今はまだ、そういう親が極端に増えているということでもない。

しかし現在の日本の凋落傾向が続くようだと、近い将来に優秀な学生たちはみな日本から逃げて行ってしまうかもしれない。

海外の大学へ進学したからといって、成功するかどうかはわからないけれど、優秀な人材がこぞって海外へ行くことになれば、日本の未来が危うくなることは間違いないだろう。

(池田 清彦 : 生物学者)