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 お笑いコンビ「ますだおかだ」の岡田圭右(55)が12日放送のテレビ大阪「日経スペシャル もしものマネー道 もしマネ」(日曜後2・00)に出演。漫才師を目指した当時について語った。

 番組MCの石井亮次アナウンサーから「家業を継げと言われたことは?」と聞かれた岡田は、「真逆ですよ。うちの家はいろんなお店ばっかりをやってきた」と明かした。

 「文房具店、喫茶店、パン店、駄菓子店…うちの親父が全部一軒一軒"閉店ガラガラ"をやってきた。そういう意味では一子相伝のギャグみたいになってるけど」と、自身のギャグにちなんで答えた。

 そして「だからオカンが『うちのお父ちゃんみたいになったらアカン。サラリーマンになれ。安定の仕事をせえ』とずっと言われていた」と告白。就職後、相方・増田英彦からの「漫才の誘いを何年も断っていたのはその理由から」と話した。

 そのため石井から「『やっぱりお笑いの世界に行くわ』と言った時、ご両親は何と?」と聞かれると、岡田は「猛反対ですよ」と振り返った。

 「当時まだ携帯電話がなかったから、(増田が)ネタ合わせとか打ち合わせしようと家に電話してくるんですけど、親父とオカンが『おらへんで』と居留守使うのよ」と、両親の対応について語った。

 転機となったのは1994年の「ABCお笑い新人グランプリ」(2012年より「ABCお笑いグランプリ」にリニューアル)。「ダウンタウン」や「ナイティナイン」を輩出した同大会で「ますだおかだ」は最優秀新人賞を獲得した。

 すると「(両親の)反応がガラリと変わって、勝手に我々の写真のブロマイドを売ろうとしてた。金儲け!恐ろしいですよホンマに」と笑いを誘った。