「官僚答弁を一言一句正確に読むだけだったので…」元外務省官僚・三好りょうが語る外相時代の岸田文雄

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何かと嘲笑・批判の的にされている岸田文雄首相の米国国賓訪問

岸田文雄首相が米国国賓訪問を控えて行った米国CNN放送のインタビューで、 「歴史的な転換点」「戦争可能な正常国家」と発言したと『中央日報』などで報じられ、批判を浴びた。さらに、訪米中には日米共同記者会見で「同盟国中国」と言ったり、大統領専用車内でバイデン大統領との笑顔のツーショットをしたり顔で投稿したりと、何かと嘲笑・批判の的にされている。

こうしたとき、ネット上でもリアルでも「首相になる前はもっとマトモな人だと思っていたのに」といった声が聞こえてくるが、実際はどうなのか。

「茂木(敏充)さんはすごく悪く言われていましたが、外相時代に岸田さんのことを悪く言う人は聞いたことがないです。 

茂木さんは、冷たいおしぼりと熱いおしぼりが要るとか、茂木マニュアルがあったと外務省時代の同僚から聞きますし、茂木さんがいるときは大臣室もピリピリしていて、周りはみんな直立不動でした。 

出張時も、大臣室の職員は通常同行しないですが、茂木さんだけは同行させ、何千万円もかかるチャーター機を使うなどということで不満が出ていました」

そう話すのは、れいわ新選組神奈川第2区総支部長の三好りょうさん。4ヵ国語を習得し、韓国語も現在勉強中という語学堪能な、現在38歳の元外務官僚だ。

「アメリカ人は自分の考えを持っていなくてペコペコする人を見下すんですよ」

三好さんは高校卒業後、19歳から6年間アメリカに留学。しかし、アメリカと対等な関係を築きたい、政治を変えたいと思い、まずは外交を学ぼうという思いから’13年に外務省に入省したという “変わり種”でもある。

「アメリカに留学したとき、日本人がいかに馬鹿にされ、見下されているかがよくわかりました。アメリカ人は自分の考えを持っていなくてペコペコする人を見下すんですよ。 

アジアの中でも特に日本の政治、外交は馬鹿にされている印象があった。アメリカ人だけじゃなく、他の国の人にもよく『日本はアメリカの植民地』と言われましたから。 

それが恥ずかしくて、対米関係を変えたいという思いが強くなりました。 

でも、外務省に入省して、派遣されたのは希望のアメリカではなく、ロシアでした。そこで、プーチン大統領の訪日準備や、日ロ外相会談、日ロ首脳会談などの準備や通訳をしていましたが、一方で日本がどんどん利権によって衰退しているのを感じて、7年を経て帰国し、さらに外から見ていたときよりずっと酷い状態だと知りました。 

それで、自民党政治がこのまま続けば大変なことになると思い、外務省を辞めてれいわ新選組の門を叩いたんです」 

外務省を辞める際、「自民党に入れ」「自民党議員を紹介する」「まずはバッジをつけないと」とたくさんの人から言われたというが、断った理由についてはこう語る。

「アメリカに留学していたとき、自民党はなんでこんなに日本が悪くなる反日的な政策をやっているんだろうと疑問でした。あえて壊しているのか、バックに誰かいるんだろうと思い、調べてみると、統一教会(当時)とのつながりが深いことがわかったんです。 

それで、外務省に入省したとき、将来は政治家になって自民党と統一教会について国会で取り上げると言ったんですが、外務省の人たちからは『陰謀論』と言われ、『そんなことやってどうすんの?』と笑われました。家族にも相手にされませんでした。 

自民党議員が統一教会のいろんな会議に出席していることや、祝電を送っていることは事実としてあったのに、不思議でしたね。でも、’22年の安倍元首相の襲撃事件があり、外務省の人に『三好さんが言った通りだったね』と初めて言われたのは皮肉でした」 

「岸田さんは官僚答弁をそのまま読んでくれるので、悪い評判はなかったです」

ところで、官僚時代、外相だった岸田氏の印象はどうだったのか。

「官僚は共同記者会見などに際してあらかじめ記者の質問をかりとり、答弁を作って、それを大臣や総理などが読むんですが、岸田さんは官僚答弁をそのまま読んでくれるので、悪い評判はなかったです。態度の横柄さなどもありませんでしたね。 

ただ、官僚答弁を一言一句正確に読むだけだったので、指導者としてのLeaderではなく、読むほうのReaderだと言ったら、先輩が『私たちの仕事は総理や大臣を操ること。書いてもいないことを言われて、問題が起きたときに対応するのは官僚だから。自分の感情も言いたいことも殺して、一言一句読んでいくのはなかなかできることじゃない。それはすごい能力だよ』と言っていたのを思い出します。 

外務省の友人に岸田さんの大臣時代の印象を改めて聞くと『何も覚えてない』『印象がない』と言う人は多いですね

とはいえ、総理になったことで、自分の言葉で発言している印象があるとも付け加える。

「総理になってからは、能登半島地震とか裏金問題とか、いろんな分野について質問されますよね。最近、れいわの山本代表が国会質問したときも、能登半島地震について意図を汲み取り、自分の言葉で話していました。 

少なくとも官僚答弁を読むだけのときよりも、岸田総理自身の発言の方がいいと思います。 

ただ、ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相との共同記者会見のときには、北方領土問題で、国連憲章の話題になり、岸田さんは答えられていませんでした。事前に準備できる答弁と違い、ラブロフからの話は想定外だったんでしょうね」 

「聞く力はあると思います。ただし…」

では、岸田首相の掲げる「聞く力」をどう見るか。

「聞く力はあると思います。ただし、庶民に対してではない。 

外相時代は外務官僚の言うことを聞く、総理になってからはバックにいて組織票や組織献金をくれる経団連や宗教などの団体・大企業の言うことを聞くということではないかと僕は思います」

さらに、ネットで度々批判されている“海外へのバラマキ”については、誤解もあるとして、こう説明する。

「海外支援などは外務省が決めることですが、無償であげているわけではなく、基本は貸し付けなんですよ。 

僕の事務所の会計担当がもともと外務省の会計をやっていた人なんですが、基本は財務会計でもどんな事業をやったかが公開されていて、インフラ関係が多いんです。 

海外にお金をバラまいて、そのお金で、海外でインフラを構築・整備する、その仕事を日本の大企業が受注する。大企業は自民党に献金していますよね。 

ただ、一回調べたんですが、例えば田んぼをやります、いろんな機械を提供します、買いますとなったとき、この機械がどこかは公開されていません」 

「菅(義偉)さんと同じ神奈川2区からの出馬も、僕からお願いしてのことです」

実は自民党に入れという声のほか、他の大きな政党からの誘いもあったというが、なぜ全て断り、れいわ新選組を選んだのか。

「外務省に入った’13年当時、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)が議論になっていて、僕はTPPにずっと反対だったんですよ。でも、TPPに入ることが日本の国益になると外務省の人たちはみんな思っていました。 

外務省の中にはTPPの問題点など、ネガティブな面を指摘する本もいっぱいあるのに、官僚がなぜ推進するのが不思議でした。 

そんなとき、山本代表が1人、新宿でTPPの反対演説をやっているのを聞いて『めちゃくちゃ勉強している、この人本物だ』と思ったんですよ。僕はバックに宗教も大金もないれいわ新選組を選んだ。 

しかも、菅(義偉)さんと同じ神奈川2区からの出馬も、僕からお願いしてのことです。菅さんは75歳で、僕は38歳。いろんな利権がある人と地盤看板カバン全くない新人という対立軸も明確だと思うんです」

神奈川2区からの出馬は、険しい道のりだろう。そう伝えると、こんな感触と意気込みを語った。

「頑張れ、若いから応援すると言ってもらえることは多いんですよ。 

僕は空手が好きなんですが、空手の道場生で菅さんの後援会に入っていた人も『もう(菅さんは)応援しない。お前を応援するから』と言ってくれます。 

もちろん会社の関係上、自民党を応援せざるを得ない人もいるでしょうが、1軒ずつ訪ねてまわると、自民党を応援しているという人は100軒中1軒くらい、ほとんどいないです。 

ただ、多くの人は選挙に行かないんですよね。みんなが選挙に興味を持って、前回選挙に行かなかった4人に1人が行けば結果は変わるはず。とにかく投票率を上げたいです」

取材・文:田幸和歌子