何かトラブルが発生し、必死に時間をかけてそれを解決に導いた場合、多くの評価と称賛を得ることができます。しかし、そもそもトラブルを事前に予測して未然に防いでいた場合、トラブルの脅威が顕在化しないため高い評価を得られないことがあります。トラブルが起こらないように努力する方が良いと誰もが理解しているにもかかわらず、トラブルが起きたら対処する方向に進みがちで結果大きく不利益を生んでしまうというビジネス上の矛盾について、マサチューセッツ工科大学の研究者が解説しています。

Nobody Ever Gets Credit for Fixing Problems That Never Happened: Creating and Sustaining Process Improvement

https://www.researchgate.net/publication/3228201_Nobody_Ever_Gets_Credit_for_Fixing_Problems_That_Never_Happened_Creating_and_Sustaining_Process_Improvement

(PDFファイル)Nobody Ever Gets Credit for Fixing Problems that Never Happened: CREATING AND SUSTAINING PROCESS IMPROVEMENT

https://web.mit.edu/nelsonr/www/Repenning=Sterman_CMR_su01_.pdf



マサチューセッツ工科大学のネルソン・レペニング氏とジョン・スターマン氏がアメリカの非営利技術者組織であるIEEE Engineering Management Reviewで2002年に発表した論文は、企業組織における根本的な問題点について、実例の聞き取りを含めて調査したものです。

論文では、問題解決のパフォーマンスと評価などの組織的課題について、「因果的ループ」の図で示しています。以下の「因果的ループ図1」は、問題解決のプロセスを改善する「作業に費やす時間の量」と「その作業に使用されるプロセスの能力」に注目した、基本的な理論について説明したもの。左下の「Time Spent on Improvement(改善に時間をかける)」からスタートすると、「Capability(能力)」を経由して、時間をかけて「Actual Performance(実際のパフォーマンス)」に作用します。一方で、画像中央の「Time Spent Working(作業に費やす時間)」は、結果がほぼ直接「Actual Performance」に反映されます。



ここで注目すべきは、作業時間と作業能力のどちらでも、改善することでパフォーマンスは向上しますが、その向上率は等しくないという点。作業時間を20%増やすと、ほとんどの場合は生産量が20%増加すると見込めますが、作業能力はどれだけ上げれば生産量がどれだけ向上するか予測ができません。一方で、「生産量を20%増加するために作業時間を20%増加させる」というのは、追加で作業時間を増やす一時的な時間外労働が前提になりますが、作業能力を向上させるとその後永続的な生産量の向上が見込めます。

以下の図2は、作業時間を増やして「よりハードに働く」ことでパフォーマンスを向上しようとした場合に形成される「バランシング・フィードバック・ループ」を示しています。「Time Spent Working(作業に費やす時間)」を増やすことで業績を上げようとする場合、それによって実際のパフォーマンスは理想とする結果に近づきますが、その次に生まれる作業目標にはまた作業時間を増やすことで対処するしかない、という小さなループに陥ります。



理想的なパフォーマンスに近づくための第2の選択肢は、作業能力を向上させて「よりスマートに働く」こと。以下の図3では2つ目のバランシング・フィードバック・ループが提示されており、ここではマネージャーがプロセスの改善プログラムを立ち上げたり、新しいアイデアを奨励したり、トレーニングに投資したりして、「Time Spent on Improvement(改善に時間をかける)」ことで「Capability(能力)」に投資します。それにより達成した結果は次により高い能力を求め、能力への投資が続くという大きなループを形成します。ループが「よりハードに働く」場合よりも大きくなっているのは、「改善に取り組んでから成果が得られるまで時間がかかる」ことを示しています。



作業能力へのアプローチは、単純な作業時間を増やすことと比べて、結果が出るまで時間がかかることに加えて、確実性に劣るためリスクも含まれています。このような差から、「永続的に機能する『よりスマートに働く』が望ましいことはある程度認識しつつも、マネージャーが『よりハードに働く』ことを頻繁に採用するのは、驚くべきではありません」と論文では指摘しています。

また論文では、組織上の矛盾について、作業時間の向上と作業能力の向上がどのように結び付いているか考えるべきだと示唆しています。パフォーマンスを向上しなければならないというプレッシャーが高まると、多くの場合は即時的で確実性の高い作業時間の向上で対処します。しかし、作業時間の向上は残業や休日労働などにも限界があり、家族や地域社会活動から時間を奪うことになります。さらに、業務中の作業時間を増やす場合には、作業能力の改善に費やすことができる時間を削って作業に充てる必要もあるため、長い目で見るとパフォーマンスに良い影響を与えません。

論文では、「能力の改善に投資することでパフォーマンスを向上し、作業効率が上がったことで空いた時間をさらに能力の向上に投資する」という「再投資のループ」を理想としています。しかし、実際の組織を対象にした調査では、再投資のループへ取り組めている組織は例外的で、ほとんどの組織では「作業時間を増やすことでパフォーマンスを向上させ、時間がなくなることで能力の改善に投資できないため作業時間を増やし続けるしかない」という「再投資の悪循環」が機能していたとのこと。以下の図は再投資のループを示しており、赤い線が「Capability(能力)」に作用している良いループ、青い線が作業時間だけで対処している悪いループです。



論文によると、作業時間を増やすアプローチは、ミーティングの時間を削って作業に充てたり、定期的なメンテナンスで機械を一時停止することを怠ったり、文書化要件を無視して作業だけを進めたりと、時間をかけて全体の作業能力を低下させていくとのこと。標準的なルーチンやプロセスから逸脱し、手抜きをし、学習や改善に費やす時間を削減する代償として、処理能力の向上がもたらされるやり方を、研究者らは「ショートカット・ループ」と呼んでいます。

以下は、よりハードに働く場合(左)とよりスマートに働く場合(右)の違いをグラフで視覚化したもの。「実際のパフォーマンス」については、ハードに働くことで一時的に増加しますが、時間の経過と共に著しく低下していきます。スマートに働く場合は、一時的に改善に充てる時間だけパフォーマンスが低下しますが、時間の経過と共に平均的に高いパフォーマンスが発揮できます。



次に「労力」については、能力の改善にアプローチした方が、全体の労力は低下することが示されています。



最後は「作業能力」を示したグラフで、ハードに働く場合は能力は著しく低下していきますが、スマートに働く場合は能力改善が前提です。



それでは、実際に組織システムをどのように改善することが望ましいのか、論文では過去の成功例を2件取り上げています。

世界最大級の化学会社であるDu Pontは、1991年の社内調査により、「他の主力企業よりメンテナンスに10〜30%ほど多くの経費を費やしているが、その対価は少なく、残業時間も長い」ということが判明しました。この状況の改善を任されたマネージャーとチームは、議論やテストを繰り返して改善が必要な分野を特定し、必要なシステムダイナミクスモデルを確立。この際に、「化学プラントでは設備の故障に注意を払う必要があるが、コスト削減を要求されるマネージャーはメンテナンスや設備アップグレードへの投資を削減しようとし、その結果故障が増えて作業が非効率的になりコストが増加する」という悪循環に気づきます。

結果としてDu Pontは、設備の計画メンテナンスを増やしました。計画メンテナンスが増えると、一時的に設備は停止するため、短期的には生産性が大きく下がります。しかし、入念なメンテナンスにより計画外の故障が減ったり、グレードの高い設備に投資することで耐久性や信頼性が向上したりと、再投資のループが好循環に働き始めます。短期的な生産性を落とすことで良い再投資のループを目指すことは頭では理解していても実施は難しいため、Du Pontはゲームや実験学習などを通してワークショップを実施し、1992年までに約1200人の社員が参加したそうです。

もう1つのケースとして、イギリスのエネルギー会社であるThe British Petroleum(BP)のケースを論文ではまとめています。BPはジョン・ロックフェラーによって1886年に設立されましたが、1980年にコスト削減に取り組んだ際に、計画メンテナンスの減少に伴い故障の増加やメンテナンスコストの上昇という悪循環を引き起こし、組織のワナに陥りました。BPはDu Pontと同じように改善プログラムに取り組み、最終的には全従業員の80%がプログラムに参加しましたが、1996年には製油所の売却を発表したものの買い手が見つからず閉鎖する結果となりました。

BPの改善プログラムは初めの頃、メンテナンスコストが大きく増加し、製油所の閉鎖も伴って、多くの従業員が退職しました。しかし、メンテナンスへの投資はやがて明確な成果を生み始め、1998年には「製油所が救出された」という発表が報道されています。

論文では、組織の改善に最も必要なものは「メンタルモデル」だと指摘しています。改善プログラムやワークショップ、メンテナンスへの投資などは、例えばBPのケースでは投資回収率が年間3万%であると算出されていたように、長期的なリターンが大きいことはわかりきっていました。また、必要なノウハウや設備、資源なども現場にあります。それでも改善に動き出すのを妨げていたのは、「起こっていない問題を未然に解決しても、評価や信用を得ることはできない」というメンタルモデルにあるそうです。

「最も重要なことは、人々が、『自分は変化をもたらすことができる』ということを学ぶことです」と論文では語っています。