彼の「複雑な家庭」を興味津々で探る27歳女。ある事実を知り、踏み込みすぎたと後悔し…
◆これまでのあらすじ
大手化粧品メーカーに勤める環奈(27歳)。バーで出会った料理好きの彼氏・圭祐が肉じゃがを作ってくれた。レシピを尋ねると「隠し味を当てたら教える」と条件を出される。そんなとき、Instagramに酷似する肉じゃがの写真を投稿している人物を発見。圭祐に伝えると「離婚した母親の子どもかもしれない」と言われ…。
▶前回:28歳の彼が得意料理「肉じゃが」を振る舞ってくれたが…。女が抱いた“違和感”の正体
隠し味【後編】
「親父のせいで、母親は出て行ったんだ…」
圭祐はあのとき、「親父を恨んでいる」と怒りを滲ませていた。
― まさか、こんな話になるなんて…。
環奈としては、圭祐の作った肉じゃがの隠し味を調べていただけだった。
それがキッカケで、厄介な事態に巻き込まれてしまったと戸惑う。
― でも、もうすぐすべてが明らかになるんだ…。
今、環奈が待っているのは、Instagramに肉じゃがの写真を投稿していた人物だ。
DMで連絡を取り、何度かやり取りをしたところ『果耶』という女性であることがわかった。
メッセージ機能を使って、環奈はかいつまんで状況を伝えた。
『投稿されていた写真が、彼氏の作った肉じゃがとそっくりで…。彼は、作り方を母親に教わったと言っていました』
すると果耶も『私も母親に教わりました』と返信してきたのだ。
圭祐の言っていた「母親の再婚相手の子どもかもしれない」との推測が、信憑性を帯びる。
すぐにこのことを圭祐に報告しようと思った。
だが、ひとつだけ腑に落ちないところがある。
果耶は20歳になったばかりで、圭祐と9歳差ということになる。
圭祐の話では、母親が出て行ったのは小学3年生のときのはず。
それから母親が再婚して、子どもを産んだとすると、微妙な誤差ではあるが年齢的に不自然な点が出てくる。
そこで環奈は、圭祐への報告をいったん保留にし、まずは果耶と2人で会ってみることにしたのだ。
「あの…。環奈さん、ですか?」
声をかけられ、環奈は顔を上げる。
目の前に、やや彫りの深い顔立ちの若い女性が立っていた。
果耶は黒髪で背が高く、20歳にしては落ち着いた印象を受けた。
どことなく、雰囲気が圭祐に似ているようにも感じる。
環奈は再度、彼氏である圭祐の作った肉じゃがと、果耶の投稿していた肉じゃがの写真が、材料・盛り付け共に酷似していたことを伝える。
そのレシピは、圭祐が母親から教わったものであり、母親とはもう何年も会っていないこと。
母親と果耶とに関係性があるのではないかと推測し、連絡を取るよう圭祐に頼まれたこと。
話を終えたところで、果耶が口を開く。
「私も、以前に母親からそんな話を聞いたことがありました。父と再婚する前、結婚していた男性とのあいだに男の子がいたって」
「じゃあやっぱり、2人は兄妹…」
果耶が頷くのを見て、環奈はふっと肩の力が抜けた。
「ただ、母親はもう亡くなっていて…」
「え…そうなの?」
「はい。3年ほど前に」
― そっか…。じゃあ、圭祐は会うことはできないんだ。
母親との再会は叶わないのだ。圭祐の心中を察すると環奈も胸が痛む。
「母は生前『離婚して家を出てから、子どもには一度も会っていない』と言っていました。『会いたい気持ちはあるけど、合わす顔がない』って苦しそうに…。
きっと、急に出て行って申し訳ないと思っていたんじゃないでしょうか。『いつか会えたら…』とは言っていたんですが、病気になってしまって、そのまま…」
果耶が悲壮感を漂わせながら、当時の母親の心境を語る。
その様子から母親の無念さが伝わり、環奈も胸が締め付けられる思いがした。
「でも、まさかこうして兄とつながることができるなんて…。知り合う機会なんて絶対にないと思っていたので」
「お母さんの料理がつないだ縁…ってとこだね」
環奈の言葉に、初めて果耶が笑顔を浮かべた。
そこで環奈は、気になっていた点を口にする。
「そういえば、彼とあなたとでは9歳しか年齢が違わないんだけど…」
果耶はややためらうようにしながら「それは…」と答えた。
「実は…。母は浮気をしていたんです。結婚して子どもがいながら、私の父親と」
― ああ、やっぱり…。
環奈も想像はしていたことだった。
圭祐は、母親を神聖視していると感じるところがあるから、憶測でものを言うのは憚られた。
それもあり、今日はまず圭祐を抜きにして、果耶と2人で会うことを選択したのだ。
「父と母は、以前に勤めていた会社の元同僚という関係だったらしくて。すみません」
「いや、果耶さんが謝らなくても…」
「はい…。それで、関係を続けるうちに私を身ごもってしまったらしくて。どうしようもなくなって、元旦那さんに正直に伝えたらしいんです。そうしたら、出て行くように言われたと」
環奈の頭に、当時の光景がなんとなく浮かんだ。
「最後に『息子にももう近づくな』って言われたみたいです」
圭祐は、母親と過ごした最後の場面は、「夕食の支度をしていた」と言っていた。
母親に電話がかかってきてしばらく会話をしたあと、出て行ったと。
きっと、果耶が言うようなやり取りをしていたに違いない。
ついに、当時の全容が浮かび上がってきた。
目的を果たしたようではあるが、環奈に達成感はない。
自分が知るべきことではなかったのではないかと、むしろ罪悪感が芽生えていた。
「もしかしたら、兄は、母ではなく自分の父親のことを悪く思っているかもしれませんね」
果耶が申し訳なさそうに言う。
「確かに。彼は詳しい事情は聞いていないから『父親が悪い』みたいに言ってるけど」
「そうですか…。でも、お父さんが何も言わなかったのは、母のイメージを壊さないようにしたんだと思うんです。子どもを傷つけないように配慮したんじゃ…」
「自分が悪者になればいい…と?」
果耶が頷く。
環奈も同感だった。
圭祐の父親にも、相当な葛藤と覚悟があったはず。
父親にとってみれば、明かされたくなかった事実かもしれない。
もしかしたら、墓場まで持っていくつもりだった秘密を、赤の他人が勝手に暴いてしまった可能性もある。
― 私はただ、隠し味が知りたかっただけなのに…。
短絡的な発想から起こした行動により、ひとつの親子の関係を揺るがしかねない事態を引き起こしてしまったのではないかと、後悔の念がよぎる。
― 圭祐になんて伝えよう…。
これから自分がとるべき行動を思うと、環奈は気が重くなった。
◆
環奈は、久しぶりに渋谷にある行きつけのバーを訪れていた。
カウンター席に座り、友人の真衣に、ここ1〜2ヶ月のあいだに起きた出来事を話して聞かせている。
果耶から聞いた過去の経緯や、それを圭祐に伝えたときの反応などを丁寧に説明した。
「ふんふん。で、どうなったの?」
人間模様の絡み合う複雑な事情なだけに、真衣も強い関心を示す。
あの日、環奈は、果耶から聞いた話を圭祐にどう伝えるか悩んだ末、結局はありのままを話したほうがいいと判断した。
圭祐は静かに耳を傾け、ひと通り話を終えたところで「そうか」と納得したように言った。
勝手な行動をとった環奈を責めるようなことはせず、逡巡しながらも、福岡にいる父親と連絡をとっていた。
その後、父親を愚弄するようなこれまでの発言を撤回。
長きに渡って続いていた親子間での冷戦が、終焉を迎えたようだった。
ここからさらに、恋人である環奈との関係性も深まっていくと思われたのだが…。
父親の経営する会社の人手が足りないとのことで、毎週末、圭祐が手伝いに行くことになってしまった。
さらに勤めていた大手自動車メーカーを退社することを見据え、実家のある福岡に戻ってしまったのだ。
「ええっ!それで別れちゃったの?あんなに夢中だったのに?」
真衣が面食らったように声を上げた。
圭祐に惚気る環奈の姿を何度も見ていただけに、驚くのも無理はない。
「まあ…。最初は遠距離でも続けるつもりだったんだけどね…」
今回の一件により環奈は、圭祐の過去を知り過ぎてしまった気がしていた。
圭祐の大きな魅力だとしていた“影の部分”が、薄れてしまったような感覚をおぼえた。
今まで通りの関係とはいかなくなり、ギクシャクする機会が増えた。
このままダラダラと関係を続けるよりは、いったんリセットしたほうがいいというお互いの同意のもと、別れを決断したのだった。
「ってことで、いろいろあってね。肉じゃがのレシピも教えてもらえたんだけど、結局まだ作ってないんだ」
環奈の話を聞き終え、「なるほど…」と真衣が深く頷く。
「恋も料理も、隠し味が大事ってことだね」
それが恋愛の本質だとでもいうように、しみじみと言った。
そこで、マスターの井口がカウンター越しに口を挟んでくる。
「なになに!環奈ちゃん、彼と別れちゃったの?」
いつも通りの空気を読まない陽気な笑顔で、話に加わる。
「よーし。じゃあ、元気づけるために、すごいマジックを見せちゃおっかな〜」
頼みもしないのに、トランプを取り出し、得意のマジックを披露し始めた。
環奈のためというよりは、自己顕示欲を満たすための要素が強いが、周囲の客を巻き込んで場はひとまず盛り上がった。
普段であれば、好奇心旺盛な環奈は強い興味を示す。
「タネを教えて!」とせがむこともあるが、そんな気分になれなかった。
井口は物足りなく感じたのか、自分から切り出してきた。
「今日は特別に、環奈ちゃんにだけタネを教えてあげよっかなぁ〜」
もったいぶった言い方で誘いをかけるが、環奈はすぐに応えない。
「う〜ん…。いいや。知らなくていい」
少し悩んで、井口の提案を退けた。
「知らなくていいほうがいいこともあるって、わかったから」
自分の言葉ながら、今回の件から得た教訓だと改めて実感する。
環奈は、隣から強い視線を感じた。
成長を遂げた友人の姿に胸打たれているかのように、真衣が感慨深げに頷いていた。
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