オトナの男女なら、一度や二度はあるだろう。

友達や恋人には言えない“あの夜”が…。

寂しかったから、お酒に酔っていたから、魔が差して…。

そうやって自分に言い訳をしながら、人は一夜の過ちを犯す。

これは、オトナの男女の「誰にも言えないあの夜」のストーリー。

▶前回:親友の結婚式でハワイに来た32歳女。そこで新郎新婦のある秘密を知ってしまい…




Vol.9『アクシデント』優里亜(28)


「優里亜ちゃん、今日は本当に楽しかったよ。ありがとう」

深夜1時、渋谷にあるラグジュアリーホテルで、彼が私の頭を優しくなでる。

「こちらこそ」

私はその人と目を合わせることなく、ドライに答えた。

「家って、二子玉川だったよね」

彼は長財布を広げて、1万円札を2枚取り出した。

私は断ることも遠慮することもせず、ベッドに座ったままでその様子を静観する。

「僕は帰るけど、いい部屋だからゆっくりしていってね」
「…うん」

今日が初対面だったその彼は、私に車代として2万円を渡した。

『颯斗:優里亜、どこ?まだ帰ってきてないの?』

同棲中の彼氏からは、メッセージと不在着信が大量だ。けれど、私はそれに応えることができなかった。

私は、男が身支度をしているそばで、赤ワインをグラスにドボドボと下品に注いだ。


1週間前。

「優里亜、今度の土曜って何か予定ある?」

一段と冷える1月の朝。会社に行く準備をしていると、彼氏の颯斗(はやと)がコーヒーを飲みながら私に聞いた。

「土曜日?11時から美容院で、午後3時からネイルだけど」

「あ〜そうか。了解!」

一緒に暮らしていても、私たちは毎週末デートをするわけではなく、それぞれ自由な時間を過ごすことが多い。

でも、それが嫌ではないし、むしろ楽で心地いい。




― 来年あたり、結婚したいなぁ…。

私たちは、国内最大級のEC事業会社で働いている同僚だ。

同じ広告部門で、1年後輩の颯斗は営業、私はマーケティングを担当している。

交際して2年。

周りの目もあるし、そろそろ籍を入れてもいいのでは、と勝手に思っている。

颯斗は優しいし、笑いのツボも合う。家事もちゃんと分担してくれるし、いいパパになるに決まっている。

それに、同じ会社にいる安心感はとても大きい。

新規の男性と刺激的な恋愛をするよりも、すでに家族のような彼氏と結婚するのが、私にとっての幸せなのだ。

「土曜日、何かあるの?」
「いや、優里亜に用があるならまたの機会にするよ」

そんな会話から始まった平日。私たちは慌ただしい日々を乗り越え、週末を迎えた。



土曜日。

私は、綺麗なピンク色の爪を見つめながら、青山のネイルサロンを出た。




『優里亜:ネイル終わったんだけど、どこにいる?』

颯斗に連絡するが、なかなか既読にならない。

― 通話もできないってことは、充電切れてるのかな〜?

髪も爪もとびきり可愛いのに、このまま家に帰ってしまうのはなんだか惜しい。

ぐるぐると思考を巡らせた後、颯斗が好きなチェーン店のドーナツを買うため、同棲している家がある二子玉川にまっすぐ戻らず、三軒茶屋に寄り道することにした。

私は三軒茶屋駅から地上に出て、スマホのマップでドーナツ店の場所を確認した。

その時、茶沢通りから駅の方へ向かって歩いてくる美男美女に目が行く。

― かわいい人……って、え!うそ。颯斗!?

脳内の整理がつかぬまま、ふたりは楽しそうに、三角地帯の方へ歩いて行ってしまった。


彼氏の浮気現場に遭遇したのに、声をかける勇気はなかった。

一緒にいた女性が、まるでアイドルのように美しく、透明感があったから。

「……そういうことか」

私はふと、今日の予定を颯斗に聞かれていたことを思い出した。

ネイルサロンと美容院が青山にあるいうことは、颯斗も知っている。“三軒茶屋ならば私と遭遇しない”とでも思ったのだろうか。




― こういう時って、どうしたらいいの…。

私は、震える手でスマホをバッグから取り出し、何人かの友達に『今から会えない?』と連絡した。

でも、土曜の夕方に駆けつけてくれる神様のような人はいなかった。

大きなため息をつくと、そのタイミングで颯斗からメッセージが届く。

『颯斗:ごめん。今見た!』

「……」

私は呼吸を整えてから、冷静に文字を打ち込んだ。

『優里亜:ネイル、終わったよ。ゴハンどうしようかなと思って』
『颯斗:そっか、ごめん。今日仙台から来た妹と飲む約束してて…夕飯ひとりで大丈夫?』
『優里亜:うん、適当にするから平気!』

颯斗が浮気相手を“妹”と言い訳したことに苛立った。

妹がいるなんて聞いたことないし、もし本当ならば、彼らの夕食に私が同席してもいいはずだから。

― とりあえず、お酒…飲も。

私は友達を誘うのを諦め、ひとりで飲むことにした。




適当な居酒屋に入り、カウンター席に腰掛け、まずはビール。その次に日本酒を冷酒で注文する。

「それって、田酒ですか?」
「えっ?」

カウンター席で飲み始めると、隣の席の男性に話しかけられた。

「あ〜そうだったかな。知ってる銘柄少なくて」

私は一瞬構えたが、そう答えた。

「間違いないです。僕の飲んでるのめっちゃ辛口で、失敗したな〜って」

私より少し年上だろうか。

ふわふわパーマに黒縁のメガネ。カーディガンはマルジェラで、“僕はオシャレです”と主張しているような男性だ。

「じゃあ…、一緒に田酒飲みますか」

私がお猪口を少し持ち上げると、オシャレは「いいんですか!」と大袈裟に喜んだ。

それから、ふたりで何合の日本酒を飲んだだろうか。

予想外に楽しくて、信じられないほど会話が弾んでいた。

「なるほど。それでヤケ酒だ」

「そんなところです。私も浮気しちゃおっかな〜なんて」

私が冗談を言うと、彼は急に真面目な顔になった。

「……僕でよかったら、当てつけに使います?独身だし彼女もいないし、清潔感もある」

「それにオシャレだし?」

私は思わず笑ってしまう。そして、酔った勢いで、その申し出を受け入れたのだ。






『優里亜:三軒茶屋で見たよ。可愛い子と歩いてるところ』

私は颯斗にそう返信すると、ベッドに寝転びシーツを被った。

オシャレな男は太郎という名前らしい。

それを知ったのは、当てつけの行為が終わった後だったが、名前なんてどうでもよかった。

それが伝わったのだろうか。太郎は、素早くコートを着て靴を履いた。

「あ、それと…男の勘だけど、たぶん本当に妹さんなんだと思うよ」

そう言い残し、太郎は部屋を出て行った。

― えっ…?

「ちょっ、待って」

小声で呼び止めたが、太郎には届かない。

ピロン。

その時、颯斗からまたメッセージが届く。

『颯斗:なんだ〜見られてたか。笑 昔から結構なお兄ちゃん子でさ。僕に彼女いることは知ってるんだけど、会わせると厄介なことになりそうだから、言えなくて』

― 嘘でしょ…。

浮気だと勝手に思い込んで、私は愛も情もない初対面の男の人と関係を持ってしまった。

その事実が胸をえぐる。

どうして、大好きな颯斗のことを信用してあげられなかったのだろうか。

「私…颯斗のこと、ちゃんと好きなんだよね?」

颯斗ではなく、自分に向き合うべきなのかもしれない。私は、バスルームでシャワーを浴びながら、颯斗と太郎の顔を交互に思い浮かべた。

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▶1話目はこちら:男に誘われて、モテると勘違いする29歳女。本命彼女になれないワケ

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結婚して生活が変わった親友が妬ましくて…