◆これまでのあらすじ

ダメ男と10年もの付き合いを経て別れた杏奈。高校時代モテモテだった彼女は、逃した魚を捕まえるべく奮闘するも、失敗続きだ。食事会で紹介された男性ともうまく行かず、やさぐれた杏奈の前に現れたのは…!?

▶前回:一回り年上の商社マンとデートしたアラサー美女。別れ際、彼女が告げられた屈辱の一言とは




Vol.8 今こそ、リベンジの時


週末の夜。

カップルたちでにぎわうダイニングバーで、ひとり呑む杏奈に声をかけた男性は…高濱だった。

― そういえばこのお店、高濱くんがオーナーだと言っていたお店だ…。

今まで何度か来店した際も、高濱の姿を見かけたことはなかった。高濱の店だということは杏奈の頭からはすっぽり抜け落ちており、だから、今夜のこの再会は狙ったわけでなく、本当に偶然だった。

「杏奈さん、ひとり?今ちょうど手が空いたところなんだ。よければ隣、いいかな?」

「いいけど…」

「こんな美人がひとりで飲んでいたら、すぐナンパされちゃうからね」

自然な距離の詰め方。やはり、高濱はスマートで素敵だ。

「てか、杏奈さんがひとりきりなんて信じられないね」

「…」

高濱のその言葉に、杏奈は急に冷静さを取り戻した。

見渡せば、店内にいる客は全てカップルだ。

楽しげに過ごす他の客たち。自分だけ取り残されているような切なさが突き刺さる。

― そうだ。私、なんでひとりなんだろう…。

高濱はきっと、暗い顔で店に入った杏奈を憐れんで、隣に来てくれたのだ。

自分はかつて、お姫様だった、はずだった。強がって、何も気にしないふりをして前向きに生きていたけれど、直人と別れてから、杏奈の心はズタズタだった。

顔を伏せ、こみあげてくるものをぐっとこらえる。

「どうしたの?」

高濱が顔を覗きこんできた。だが、醜い般若のような顔を彼に見せることはできなかった。

そんな時、はっと思い出した。高濱から、LINEを既読無視されていることを…。

申し訳なさを微塵も感じさせない態度に、悲しみがより深まる。

「そんなこと言って、高濱くんだって私のこと無視してたじゃない」

「そうだっけ…?」

「そうよ。LINEの返信、待ってたのに」


「え?」

高濱は首をかしげた。スマホを開いて少し頭を抱えたのち、はっと合点したように目を見開く。

「そうだった。ごめん、てっきり社交辞令だと」

「社交辞令?」

杏奈も慌ててスマホを見返した。自分が送ったメッセージはこうだった。

『今晩はごちそうさまでした。近々、ぜひご飯一緒に行きましょう』

なんとも微妙な文面…。社交辞令だと捉えられても仕方がないと、はじめて気づいた。

「杏奈さんにはたくさんお誘いLINEが来ていたから、もし返信しても見てくれないと思ったんだ。でも、礼儀としてスタンプくらい返せばよかったよね」

そして高濱は、深々と頭を下げる。

「本当にごめん…いや、申し訳ない!」

高濱の誠実な姿に、杏奈は胸の奥が締め付けられるような想いがした。




― 私の勘違いなのに、こんなふうに誠実に謝ってくれるなんて。

高濱の謝罪からは、その場しのぎではない誠意が伝わってくる。

「やだ、頭なんて下げないで」

「いや。悪いのは僕だから」

ここのところ、男性にぞんざいに扱われることが続いていた杏奈にとって、謙虚で優しい高濱の姿勢は心に響いた。

自分と向き合ってくれている。ただそれだけで、大切な存在として認められたような気持ちになる。

「私のほうこそ謝らせて。恨み言なんて言ってごめんなさい。見返してみたら、これじゃ社交辞令だと思われても仕方ない文面だったわ」

「でも、おわびはするよ。今日は何でも頼んでいいから」

誤解が解けて安心したのか、高濱は笑顔を見せる。その柔らかな表情は、さらに杏奈の心臓を高鳴らせた。

自分の単純さが恥ずかしい。よほど弱っているのだろう。目の前に置かれた水を一気飲みする。

「ど、どうしたの杏奈さん」

とにかく、一旦落ち着かなくては。そう自分に言い聞かせないと歯止めが効かなくなりそうなほど、気持ちが高まっていた。

「ねぇ、高濱くん、今日はお腹いっぱいなの。近々、ふたりきりでご飯一緒に行かない?」

「えっ!?」

はやる気持ち。がっついているように思われるかもしれない。そんな不安もあるけれど、後悔はしたくなかった。かすかに手を震わせ、カウンターに置かれた高濱の手に重ねる。

「…社交辞令じゃないから!」

その勢いのある一押しに、高濱は小さく微笑んで応えた。



高濱はすぐに予定を調整してくれて、デートは1週間後の日曜の夜になった。

指定されたお店は、『西麻布 野口』。

高濱曰く、都内の名店の数々で腕を磨いた店主が独立した店で、飲食業界に身を置く経営者として注目していた和食店だという。

「乾杯!」

白木のカウンターに並んで座りながら、まずはビールでグラスを合わせる。

落ち着いた雰囲気の店内に、伝統的でありながらも特別感のある和の味覚。

デートの店選びにはその人の人柄が出るというが、次々と提供される丁寧で温かな料理の数々は、まさに高濱という人を表しているように感じた。




「その調子じゃ、もう元気になったみたいだね」

コースも中盤にすすんだ頃、上機嫌で冷酒を味わう杏奈の横顔を見て、高濱は微笑んだ。

「先週うちの店に来たときは、めちゃくちゃやさぐれてたから。直人も心配するはずだ」

いいムードで過ごしていたなか、突然出てきた元カレの名前に杏奈は興ざめした。

しかし、雰囲気を壊さぬように笑顔で繕う。

「もう!終わった人の名前を今さら出さないでよ」

「ごめん。直人から色々聞いていたからさ」

そう言って高濱は、ポツリポツリと話し始める。実は、杏奈と直人が別れた後、海外へ旅立つ直前の直人に呼び出され、「杏奈をよろしく」と頼まれたのだそうだ。

「…は?」

根無草のような直人の生き方に愛想が尽き、杏奈の方から別れを告げたのだ。にもかかわらず、直人が自分をモノのように他人に託そうとしていた事実に、杏奈は小さな憤りを感じた。

高濱は続ける。

「友人の頼みは無視できないからね。あの日、パーティーに出て杏奈さんと繋がったのもそのため。今日だって、直人に言われた通り、杏奈さんを見守らなきゃと思って来たんだ」

「ちょっと待って。別れを告げたのは私からだし、直人に心配される必要なんてないんだけど…」

真意を測りかねる直人の行動に対し、怒りにも似た感情が湧いてくる。

そしてそれと同時に、杏奈は気づいてしまった。友達の元カノだとはいえ、高濱が杏奈に積極的にならないわけに…。


思い返せば高濱は、再会した時からどこか一線を引いた態度をとっていた。口では杏奈のことを「憧れの存在」だと言ってくれていたのにもかかわらず。

高濱は、直人に妙なことを頼まれているせいで、杏奈を口説くことができないのだ。本当は惹かれていたとしても、直人との友情を守るために、一歩を踏み出せないでいる。

― そんなの、どうでもいいのに。大事なのは気持ちよ…。

杏奈は勝負を決するつもりで、身体を高濱に1センチ近づけた。

「ねぇ、私を心配してくれるのは、直人に頼まれたから。本当にそれだけ?」

「え、まぁ、うーん…」

「ねぇ、正直に言ってよ。本当のこと」

「じゃあ、正直に言うけど…」

杏奈は口ごもる高濱の顔を覗きこみ、仕掛けるようにいたずらっぽく微笑んだ。

返答をしばらく待っていると、次に続いたのは予想外の言葉だった。

「うちの娘に、危なっかしさが似ているんだよね。放っておくと何するかわからない感じが」




― え、娘?

頭の中が、真っ白になった。

その隠せない動揺を察したのか、高濱は慌てて自分の身の上を説明しだした。

「妻との間に3歳の娘がいるんだ。本当に目が離せない時期で」

「それって、奥さんとお子さんがいるのにデートしてくれたってこと?」

「デート?」

高濱のキョトンとした顔で、杏奈は自身の勘違いを悟り、ゆでだこのように顔が真っ赤になった。

「ごめん、デートだと思っていたなら申し訳ない。今日は単純に連絡の件でのおわびでさ。そもそも、杏奈さんは直人の元カノだし…」

「でも、もう別れているし、遠慮しなくてもいいと思うけど」

「だとしても、僕は…既婚者だし」

キッパリとそう言う高濱を前に、いますぐこの場から立ち去りたい気分になった。

高濱がこうして杏奈に優しくしてくれていたのは、あくまでも直人との約束だから。恋愛対象として、スタートラインにも立てていなかったのだ。

「…十四代、もらっていいかな」

「杏奈さん、そういうところだよ。あまり言いたくないけれど、すぐにヤケになるでしょ。だから直人も、別れた後も心配せざるを得なかったんじゃないのかな」

「…」




気づくと涙が頬を伝っていた。泣けばもっと恥ずかしく、情けなくなるとわかっているのに、堪えることができなかった。

「ごめんなさい。最近、嫌なことばかりで、私、わけがわからなくなっているの」

「そんな…杏奈さんは色々な人に愛されてるし、仕事でも充実しているように見えるけど」

「どこが。もう傷ついてばかり」

すると高濱は、杏奈の背中にそっと手を置いた。

ほのかに感じる体温からは、「きみはひとりじゃない」というメッセージが伝わってくるようだ。

「何があったの?よければ聞くよ」

優しい声に、ダメだとわかっていても心がぐらつく。

高濱にもたれかかりたいと思う衝動に、杏奈は必死であらがうのだった。

▶前回:一回り年上の商社マンとデートしたアラサー美女。別れ際、彼女が告げられた屈辱の一言とは

▶1話目はこちら:高校の同窓会。さえなかった男たちのハイスペ化を見た29歳女は…

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不安定な杏奈の気持ち。それにさらに追い打ちをかけるような知らせが…