「ウソ!?」港区マンションの売却査定。7,000万で買った家についた信じられない価格
◆これまでのあらすじ
38歳の真弓は、友人の紹介で出会った40歳の雄介との結婚を機に、自宅マンションの売却を考え始める。不動産業者に査定を依頼するものの、思ったような金額は出ず…。
▶前回:港区にマンションを買った女。順調に見える暮らしの裏には、“人に言えない悩み”があり…
Vol.5 仲介業者の選び方
「実は、マンションの売り方を俺なりに色々調べたんだ。必要になった時に、真弓のサポートができたらいいと思って」
夫の雄介がそう言って、スマホであるWebサイトを見せてくる。
しかし、自分が何を大切にしたいかを考えた結果、私はマンションを売却することに決めたのだ。
「売却査定は、1社だけじゃなくて複数社から取得した方が良いらしいよ。仲介業者ごとに得意とするエリアが違うから、いくつか査定してもらって比較した方が良さそう」
それは、マンション売却の体験談が綴られたブログだった。
「ふーん、会社によって、特典にも違いがあるんだ」
内覧に先立ち、様々な特典が紹介されている。
部屋を片付けてくれるサービスや、トランクルームの無料貸し出し。フローリングや壁紙の傷みの補修、家具をすべて消して空室のように見せる3D撮影サービスなど…。
「なら、ネットで探して、他にも何社か連絡してみようかな。もっと良い提案をもらえるかもしれないし」
「そうしよう!内覧の前には、俺も一緒に部屋を掃除するよ」
― 私の所有マンションだから、自分だけで進めた方が良いと思ってたけど…。雄介、頼もしいなあ。
初めてのことばかりで不安になっていたので、サポートしてくれるのはありがたい。
それから2週間。
私たちは、追加で4社から査定を取った。
老舗の財閥系に、このマンションを開発した中堅デベロッパーの売買部門。それから、アジア系の海外ネットワークに強い業者と、港区の物件を専門的に扱う地場の仲介屋というラインナップだ。
今日は1日かけて、4社の内覧を設定している。
まず内覧に来たのは、中堅デベロッパーの営業担当者だ。
「弊社の前には、どこか不動産会社に売却のご相談はされましたか?」
「リノベに強い業者さんの、仲介部門にご相談したのですが…」
「ああ、リノベ屋さんね。ああいうところはダメですよ。結局、最終的には自分たちで安く買い取って、バリューアップ工事して転売することしか頭にありませんから」
― そういうものなの!?
くたびれたスーツに合皮バッグを携えた中年男性は、“この道数十年”というオーラが滲み出ていて、説得力がある。
続いて、海外ネットワークに強いことで有名な仲介業者がやってきた。
「弊社でしたら、アジアの富裕層への強いネットワークがあるので、購買力の高いお客様に確実にリーチできますよ」
営業マンは、腕にロレックスのデイトナをきらめかせ、ヴァレクストラのケースからサッと名刺を取り出し、恭しく頭を下げる。名前と独特のイントネーションから、中華系の人だろうか。
「ぜひ、弊社に決めてください!」
― 熱意はありがたいけど、査定金額が出る前に言われても…。
こんな調子で、4社目の内覧を終えた時には、私たちはすっかり疲れ果てていた。
「4社の中では、お昼に来てくれた財閥系の会社の人が一番いい感じだったよね」
「うん。話も論理的でスマートだったし、私たちの話もよく聞いてくれたし。まだ提案金額は出てきてないけど、財閥系の安心感もあるし、あの人なら任せられそう」
「真弓。財閥系の会社から、メールで提案書が来てるよ。ほら、PDFが添付されてる」
「本当だ!どれどれ…って、あれ?」
まず、提案書の表紙を見て違和感を覚えた。「藤田真美様ご自宅 売却提案書」――私の下の名前が真弓ではなく「真美」と書かれている。
― メールでやり取りしてるのに、普通名前を間違える?
「部屋番号も違う…ここ、8階じゃないし」
「過去の資料のコピペなのかもね。しかも、査定の最安金額が6,000万円って…買った金額より1,000万円も安い提案って、どういうこと?」
新堂さんからの提案同様、その会社も査定プランを3つに分けていた。
最高値のチャレンジ価格こそ、新堂さんの提案に近い水準の7,600万円だったが、仮にも大切にしている自宅を、相場より大幅に安い6,000万円という価格をつけられて、私はモヤモヤした気持ちを抑えきれない。
「この会社の最安プランは、買取り業者に安く買い取らせる前提なのかもね」
だんだんと不動産に詳しくなっている雄介がつぶやく。
世の中には、「どうしても今すぐ物件を売却したい」という事情のある人が一定数いる。そんな人たちから即日でマンションを買い取るのが買取り業者だ。すぐに処分ができる分、金額はものすごく安くなる。
「さすがにそんなに急いでないよね。真弓も、少なくとも買った金額以上では売りたいでしょ?」
「うん。何より、こんなに誤字の多い提案書を出してくる業者は信用できないよね…」
― なんか、一筋縄ではいかないなぁ。
財閥系というブランドと、担当者のスマートな立ち居振る舞いや営業トークに、半ば心を決めかけていた私たち。
しかし、そんなに簡単に決めてはいけないと気づかされる。
― 結局、新堂さんが一番真摯で誠実だったような気がするな…。
各社の提案資料をダイニングテーブルに広げて頭を抱えていると、不意にスマホが鳴った。電話に出ると…。
「新堂さん!?ご無沙汰してます」
「お世話になります。その後、売却に関して、ご決断の状況はいかがでしょうか」
私が今の状況を説明すると、新堂さんは「なるほど」と呟いた。
「差し支えなければ、弊社にもう一度提案をさせていただけないでしょうか。藤田様のご希望額を改めて伺った上でお話しできたらと思います」
― 自分の希望金額か。今までは『できるだけ高い金額を出してくれる業者にお願いしたい』って考えてたけど…。
4社の中には、期待値よりもずっと高い、8,500万円という金額を出してきた会社もあった。
だけど、その会社にお願いしたいとは思えなかった。本当にその金額で売れるのか疑わしいと思ったし…。
― 私自身、『売却益をたくさん稼ぎたい』って考えじゃないし。
もちろん、高く売れるに越したことはない。けれど、相場より高く売ろうとすれば、その分時間もかかる。売却益のために、あまりにも時間をかけるのは、本来の目的から離れている気がする。
「わかりました。もう一度ご提案をお願いできますでしょうか」
そう告げると、電話の向こうの新堂さんは「ありがとうございます!」と弾んだ声で応えてくれた。
◆
さっそく翌日、我が家に3度目の訪問をしてきた新堂さんは、書類ケースから色々と資料を取り出す。
「まず、以前にお話しした、同じマンションで売りに出されている同じマンションで売りに出されているファミリータイプの部屋についてですが…」
彼は3LDK・70平米の、7,900万円という割安で売られている部屋の資料を広げた。
「2週間前に内覧した4人家族のお客様が、かなり気に入っておられるようで、この物件を購入することを前提に、ローンの事前審査を進めているようです。早ければ今日明日にも、申し込みが入ると思います」
「本当ですか!」
それは朗報だ。我が家より広く、間取りも一般ウケするこの部屋は、言葉を選ばずに言うと“目の上のたんこぶ”だと思っていた。
「はい。70平米のお部屋が捌けることで、より柔軟な価格設定が可能です」
新堂さんの表情も明るい。実は、この部屋が捌けるという情報をキャッチしたので昨日連絡をくれたようなのだ。
「それを踏まえてですが…どのくらいの価格での売り出しをご希望でしょうか?」
私は思わず、雄介と顔を見合わせる。
― 高く売れるに越したことはない。でも、スピード感も重視したい。高すぎず安すぎず、ちょうどよい金額で…。
「もしも高すぎず安すぎず、をご希望でしたら」
彼は鞄の中から電卓を取り出すと、サッと数字を弾き、私たちに見せる。
「8,050万円…ですか」
「はい。以前にもお伝えしたとおり、この辺りのマーケットはここ数年で20%程度上昇しています。
もしマーケット相応の値上がり幅で、高い売却益を狙うなら、購入時の7,000万円の2割増ということで、8,400万円が目安になります。ただ、それは多くの人が考えることなので…あえてそこより下げて、15%増の金額を設定するんです」
「なるほど。そうすれば、お客さんにも、『相場よりも割安な物件だ』と思ってもらえますね」
雄介も納得したように頷く。
「はい。それと、多くの売買物件のポータルサイトでは、予算を500万円ごとに検索できるようになっています。ですから、まずは8,000万円をギリギリ上回る金額で売りに出して、市場の反応が悪いようなら、7,980万円まで下げるという戦略が取れます」
新堂さん曰く、都内で1億円を下回る金額のマンションマーケットでは、6,000万円台、7,000万円台、8,000万円台とで、それぞれに微妙に異なる購買層がいるらしい。
まずはボーダーラインのギリギリ上の金額で売りに出す。
8,000万円台の購買層にハマらなければ、価格変更してその下の7,000万円台の購買層を狙う。
こうすれば、数十万円価格を下げるだけで新しい客層にリーチできるので、一定のレンジの中でできるだけ高い売却価格を狙うことができるのだそうだ。
新堂さんの説明は丁寧で嘘っぽさがなく、納得できるものだった。
私と雄介は顔を見合わせ、同じ気持ちを確認し合う。
「決めました。新堂さん、あなたに売却をお願いしたいと思います」
「ありがとうございます!」
― よかった。やっと信頼する業者さんにお願いできた…。
私はほっと胸を撫で下ろす。
しかし、後に私は思い知るのだ。
いかに誠実で信頼できる人柄の新堂さんといえども、万能ではないことを。
▶前回:港区にマンションを買った女。順調に見える暮らしの裏には、“人に言えない悩み”があり…
▶1話目はこちら:「一生独身だし」36歳女が7,000万の家を買ったら…
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新堂さんなら信頼できると思ったのに…。真弓は、不動産売却の奥深さを思い知る