◆これまでのあらすじ
大手製薬会社でMRとして働く岡村茉優(28歳)は、1ヶ月前に彼氏と別れ失意の底に。同時期に彼女と別れた後輩の葉山に惹かれ、自ら告白をして交際がスタート。しかし、交際が始まると、葉山のやる気が如実に失せていき…。

▶前回:職場の後輩男子に惚れ、交際までこぎつけた28歳女。だが1ヶ月後、彼の態度が豹変して…




力の源【後編】


「えっ…。ボートレース場って、こんなにキレイなの?」

茉優は、驚きの声を上げた。

気分の沈んでいる葉山を、リフレッシュのためにデートに誘った。すると「ボートレース場に行きたい」と提案されたのだ。

最初はいいイメージが湧かず戸惑ったが、訪れてみると思い描いていた場所と随分違っていた。

「申し訳ないけど、もっとゴチャゴチャしてて、煙草の煙とかがすごいところだと思ってた」

「それは昔の話だよ。今は整備されて、女性専用ルームやカラオケルームなんかもあったりするから、カップルや家族連れでも来やすい場所だよ。まあ、俺も来るのは久しぶりなんだけど」

2人が通されたのは、エスカレーターをあがった先にある、指定席エリア内のペアシートだった。

天井が高く、広々とした空間が広がっている。

シートの前には液晶モニターがあり、レースの様子を画面からでも確認できるようになっていた。

「ボートレースは、1回のレースで6艇しか走らないから、競馬や競輪に比べて格段に当たりやすいんだよ」

「へぇ…そうなんだぁ…」

「あと、インコースの1号艇が圧倒的有利っていう条件もあるから…」

葉山にレクチャーを受けながら、舟券を購入する。

快適な空間で、恋人らしい和やかなやり取りを交わし、ゆったりとした時間を過ごす。

― 良かった。葉山君も気分転換できてるみたい。

レースが始まると、葉山は行方を見守りながら一喜一憂している。

最初のうちは、ビールを飲みつつ片手間に楽しんでいたものの、次第にその視線が熱を帯び始めた。


葉山が、モニターを食い入るように見つめる。

「うわっ…マジか…」

予想が外れたのか、天を仰ぐような姿勢をとり、唇をかんで悔しがっている。

大きく落胆しているようだが、茉優にはそれでもどこか生き生きとしているように感じられた。

「残念だったね」

「今のは当てたかったんだけどなぁ。くっそう…」

かなりの金額を消費したようだが、葉山は嘆きながらも晴れ晴れとした表情を浮かべている。

「こうなったら営業成績上げないと。仕事頑張ろう!」

葉山は冗談めかしてそう言うと、「トイレ行ってくる」と立ち上がって向かっていった。

すっかり元気を取り戻し、仕事へのやる気も見せ始めた様子に、茉優も安心感をおぼえる。

― 葉山君、一体いくら使ったんだろう…。

シートの端に、葉山のハズれた舟券が置いてあったので、手に取ってみた。

「ふ〜ん…2万円。あ、違う。ええ…こんなに!?」

驚くことに、『200,000円』と表記されていた。

― そりゃヘコむよねぇ。っていうか、よくこんな早く持ち直したね。

葉山の気持ちの切り替えの早さに、茉優は感心させられた。

「よ〜し、次は当てるぞ〜」

葉山が意気揚々とトイレから戻ってくる。

次は最終レースのようで、さらに熱心に予想を立てる。

「最後だから、外に出て見てみようか!」

葉山に連れられ、エスカレーターを降り、スタンド席に出た。

12月の冷たい空気が漂うなか、多くの観客が1周600mの水上コースに熱い視線を送っている。

ファンファーレが鳴り始め、各艇が出走してまずゆっくりと周回。

やがて、それぞれの位置から速度を上げ、スタートラインを通過していく。

豪快なエンジン音や、水面に立つ水しぶきから迫力が伝わり、液晶モニターにはない臨場感に胸が高鳴った。

ボートがゴールを通過するなか、「わあっ!」と葉山が大きく両手をあげる。

高配当の予想が的中したようで、大喜びで茉優の体に抱きついてきた。

茉優もまた、一緒になってはしゃぎ、喜びを分かちあう。




しかし、幸せな時間はここまでだった…。

再び指定席エリアに戻り、2人でシートに腰をおろすと、葉山が大きく溜め息をついた。

「はぁ…」

まるで何かしらの大事を成し遂げたような、達成感に満たされた至福の表情で横たわる。

寝そべりながら、だらしなく口を開け、天井をボーッと見上げていた。

「葉山君。大丈夫…?」

茉優がそう声をかけてしまうほど、すべての気力を使い果たしたような腑抜けの状態となっていた。

― ええ…。また元に戻っちゃったじゃない…。

せっかく取り戻した生気が、予想を的中させたことで再び失せてしまったように感じられた。

― 当たらないほうが良かったってこと…?

チャンスを掴み、状況はまさに絶好調でありながら、葉山のコンディションにまるで反映されていない。

それどころか、悪影響を及ぼしているようにさえ見える。

この矛盾した事態に、茉優はただただ困惑させられるばかりだった。



1ヶ月後。

茉優は病院のベッドの上にいた。




急性の胃腸炎を患い、1週間の入院を言い渡されたのだ。

症状の主な原因とされたのは、ストレスだった。

「ビックリしたよ。急にうずくまって動かなくなっちゃうんだもん」

見舞いに来てくれた同僚の瑞希が、心配そうに声をかけてくれる。

体に異変を感じたのは、瑞希と一緒にいるときだった。

2人で職場近くのレストランでランチをして、店を出てしばらく歩いたところで、強烈な腹痛に襲われたのだ。

「入院になるなんてね。もう大丈夫?まだ痛い?」

「ううん。点滴を打ってもらって、1日休んだらだいぶ楽になった」

あの日のランチで茉優は、瑞希にある相談事を持ちかけていた。葉山が、取引先の女性と浮気をしているようなのだった。

「でも、あり得ないよね。葉山くん。そんなの、すぐに噂が広まるに決まってるじゃんね」

瑞希が憤りを見せる。

茉優のストレスは、おそらく葉山のせいだ。

もともと、いつまでも無気力な葉山にジレンマをおぼえ、ストレスを感じていた。茉優をよそに、葉山は浮気という裏切り行為を働いたのだ。

茉優は、トドメともなる精神的ダメージを受けた。

そのとき、病室入り口からノック音が聞こえると、ドアがスライドして開き、葉山が姿を見せた。

「あ…。じゃあ私、行くね。茉優、お大事に」

瑞希が気を使ってそそくさと出て行く。


個室で、茉優と葉山の2人きりになった。

「ゴメン、茉優さん。俺のせいだよね…」

茉優が体調を崩した原因を、葉山は察しているようだった。

謝罪の言葉を口にしても、目を合わせない茉優に対し、葉山は再び詫びを入れる。




「茉優さん。本当にごめんなさい」

そこでようやく茉優も口を開く。

「浮気のこと、認めるんだね…」

「う、うん…」

「医療事務の子だって…?」

「はい…。クリニックの忘年会に参加して、その帰りに…」

葉山は、改めて自分の口から説明した。

浮気相手は、取引先のクリニックに勤める、若い医療事務の女性だという。

MRは、医師との良好な関係を築くために、忘年会などの催しに参加する機会も多い。必然的に周囲の関係者と親しくなるが、一線を越えるのはアウトである。

「本当に、その一度だけなんだ。もう、絶対2人で会わないし、連絡も取らない」

葉山の言葉を、茉優は目を伏せながら聞く。

「すごく後悔してる。俺、茉優さんを失いたくない」

しばらくの沈黙ののち、茉優は顔を上げる。

「本当に?」

「もちろん!俺、これからまた仕事に打ち込むよ。絶対に茉優さんを裏切ったりしない!」

強く訴える葉山の目は、以前の輝きを取り戻しているように感じた。

前の彼女と別れ落胆しながらも、仕事に意欲を注いでいたときと同様の、あの強い光。

― そっか、わかった。そういうことなんだね。

茉優は、葉山に関する“あること”に気がついた。

葉山は、こうして後悔をすることで、仕事への意欲を湧き立たせている。

後悔というネガティブな感情を糧に、エネルギーを得ているのだ。

逆に茉優は、葉山との交際により元気をもらい、感謝の思いをやる気に変えていた。

つまり、ポジティブな感情を原動力としていた。力の源となるものが、それぞれに違う。2人とも、タイプは真逆だ。

しかしそれは、恋人としての関係を妨げるものではない。

タイプの違いさえ理解していれば、お互いを高め合うのに必要なものを見定め、与え合うことができると茉優は思った。




今回の件においても、葉山が後悔を糧に意欲をみなぎらせるなら、茉優もそれを見て感化されるはず。

― 相乗効果で、絆がより強くなるかも。

葉山がベッドの傍らに立ち、茉優の手に自分の手を重ねる。

茉優はその手を、ギュッと握り返した。



「まさか、今度は西島さんが倒れちゃうなんてねぇ…」

日本橋の支社内で、瑞希が溜め息をつきながら言った。

茉優が入院生活を終えて職場に復帰したのと入れ違いに、今度は先輩社員の西島がストレス性胃炎で入院してしまったのだった。

「西島さんは家庭もあるし、仕事以外のストレスも抱えてたんだろうね」

茉優も同情を寄せる。

そこに、ルート営業を終えた葉山が戻ってきた。

すっかりやる気を取り戻し、仕事にも熱心に取り組んでいる。

「どうかしたんですか?」

立ち話をしている茉優と瑞希に、声をかけてくる。

「なんかね。茉優が戻ってきたと思ったら、今度は西島さんが倒れちゃったらしいんだよ」

西島は、葉山にとって入社当初から世話になっている先輩だ。

かなり慕っていたから、大きなショックを受けるのではないかと思われたが…。

「マジですか…?」

葉山は驚き、悲痛な表情を浮かべる。

だが、その瞳の奥をキラリと輝かせたのを、茉優は見逃さなかった。

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