オトナの男女なら、一度や二度はあるだろう。

友達や恋人には言えない“あの夜”が…。

寂しかったから、お酒に酔っていたから、魔が差して…。

そうやって自分に言い訳をしながら、人は一夜の過ちを犯す。

これは、オトナの男女の「誰にも言えないあの夜」のストーリー。

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Vol.5『幸せな婚約生活』玲奈(32)


― えっ…?どういうこと?

先月引っ越してきたばかりの、白金高輪のタワーマンションの一室。

私は、一枚の紙切れを見て硬直した。

2泊3日の“大阪”出張から帰ってきた婚約者の智。

しかし、私が貸したルイ・ヴィトンのボストンバッグから出てきたのは、“軽井沢”にある商業施設のレシートだった。

そこには、2名分の昼食が記載されている。

「大阪に行っていたんじゃないの…?」

智は、2日間とも大阪でクライアントと打ち合わせをし、夜は会食だったはずだ。

ほんの2ヶ月前に、智が恵比寿のフレンチレストランでプロポーズをしてくれて、私たちは婚約した。

ダイヤは大きくはないが、グラフの指輪もくれたし、年が明けたら籍を入れる約束もしている。

― こんなもの発見しなければよかった。そしたら最高に幸せだったのに。

俳優顔負けの美形な智と婚約して、港区の綺麗なタワマンに住んでいるのだから。

― それなのに、なぜ…?

私は、不安で押しつぶされそうになりながら、彼がバスルームから出てくるのを待った。


「ねぇ、智。このレシートなに」

「……」

「なんで黙ってるの?大阪出張だって言ってたよね?どうして軽井沢のアウトレットでランチしてるの?」

バスルームから出てきた智に対して、激しい感情を止められなかった。

智は、まだ黙っている。

しかも、焦る様子もなく、ただ私を静観しているのだ。

その様子が不気味で怖い。

「しかも、2人分!」

私は、智に詰め寄った。

「はぁ…。あのさ、人の物を勝手に見るなよ。鞄、借りなきゃ良かったわ」

謝るどころか、私を責める智。その様子は、私の知っている彼ではなかった。

「認めないの?こんなに堂々と、泊まりで浮気しておいて」

声を震わせ、レシートを丸めて智にぶつける。

「じゃあ、玲奈はどうなの。僕が勤めてる会社が新橋にあること、忘れてない?」

― 新橋…!?

「あの店、うちの会社の人間がよく使うんだよな。タンが絶品だろ」

そう言われてハッとした。

智は、あの夜のことを言っているのだ。私が、他の男性と一夜を過ごした日のことを。




3週間前。

新居での夕食後、私は智と一緒にNetflixでドラマを見ながら、スマホに届いたDMをチェックしていた。

私は、インフルエンサーとして活動をしている。

ジワジワと増えているInstagramのフォロワーは、現在8万人。

昼間は法律事務所の事務もしており、現在の収入は、平均して月に120万ほど。

美容系アカウントはライバルが多い。そんななか、よくやっているほうだと自分でも思う。

『玲奈さんが推してるなら買います!』
『本当に32歳ですか?見えない…!やばい』

― ふふ、ありがとう〜。

同い年の智は、大手の広告代理店に勤める普通のサラリーマンだ。年収は約1,000万で、福利厚生などを鑑みると私と同じくらいだ。

男をお金で選ぶ友達が多いなか、私は自立できているので、相手の収入は気にならない。

経済的にも精神的にも自立しているところがいいと、智は付き合ってすぐにプロポーズしてくれた。

「ねぇ、智。もし私が浮気したらどうする?」

私は、一緒にドラマを見ていた智に尋ねた。ドラマのテーマが“浮気と復讐”だから、なんとなく聞いてみただけだ。

しかし、智からは予想外の答えが返ってきた。

「そうだな……玲奈はそんなことしない、と信じているけれど、もしやられたら、やり返すかな」

「やだ。怖いよ〜」

「だって、やり返した方が罪の重さを知るでしょ」

変な空気になったので、「私は浮気なんてしないけど」と、笑い飛ばしてから彼の肩に頭をくっつけた。




「玲奈ごめん、電話。外で話してくるわ」
「うん。ドラマ止めるね」

智が席を外したので、私は無意識のうちに、またInstagramを開いた。

― …ん?

すると、未読のDMの中から、あるメッセージが目に入った。

それはYouTubeのチャンネル登録者数140万人のシュンからのもの。彼は、元アイドルで35歳。

かなりの童顔で、未だに多くのファンがいて、Vlogや弾き語りの動画が人気だ。

共通の友人が何人かいるので、フォローし合っているが、直接DMが来たのは初めて。

『シュン:玲奈ちゃん、よかったら今度コラボしません?』

― なんで、私と?

確かに、私もYouTubeもやっているが、数千人しかフォロワーがいない。

『玲奈:私、YouTubeは全然なので…』

そう返信すると、すぐに反応があった。

『シュン:じゃあ、とりあえず飲みに行きませんか?』

婚約者は会社員で、シュンは自由業だ。どちらかと言えば、仕事の在り方も稼ぎ方もシュンの方が自分に近い。

純粋に話してみたくて、私はその誘いを了承した。


シュンとの夜


「玲奈ちゃん実物も可愛いね。ほぼ加工してないでしょ!」
「え〜嬉しい」

少しでも自宅から離れたエリアで会いたくて、私はシュンに銀座を指定した。

「てか、急にごめんね。実は俺、最近彼女と別れてさ…」
「そうなんだ。でも、すぐに見つかるでしょ?」
「全然!別れた後、玲奈ちゃんしか誘ってないし」

高級焼肉店の個室で、シュンは真正面から私を口説いてきた。

「うち、汐留なんだけど…来る?」

会計を済ませたシュンが言う。

こんな人が住む部屋はどんなものなのか、見てみたい。私が家に行った理由はそれだけだった。




― すごい……。

東京タワーが見える部屋に、見ただけで高級だとわかる家具や最新家電。

サラリーマンの智とでは、こんな部屋には一生住めない。そう思ったら、急にシュンが欲しくなった。

私は、欲しいものは自力で手に入れられる。だから男性を選ぶ基準はそこを重視してこなかった。

けれど、シュンみたいな人に夢を語られてしまうと、その自由さと野望に、心がまるごと持っていかれてしまう。




そんなことを思っていたら、彼の手が、私の服に触れた。

「玲奈ちゃん、かわいいね」
「…知ってる」

“結婚前の最後の火遊び“そう自分に言い訳をして、シュンに身を委ねた。




「また遊びに来てね」
「…うん。おやすみなさい」

私は、シュンのマンションを出てタクシーに乗り、『今から帰る』と、智に連絡をした。

― 智には、申し訳ないけど、今日のことが、バレなきゃいいよね。

この時は、そんなふうに思っていた。

― そもそも、智は、インフルエンサーの大変さを知らない。

華やかなことばかりじゃなく、面倒くさいことをコツコツとやったから、今があるのだ。

なのに、それを解ろうとしない。

『インスタはいつか廃れるだろうな。PRと見栄の張り合いばかりで、見るのも疲れるし』

そう言われたこともある。

帰りのタクシーのなかで、私は智を心の中でムリやり悪者にした。そうじゃないと、罪悪感で押しつぶされそうだったから。




「あの日、玲奈が男と居たことを後輩に聞いてから思ったんだ。僕らは、“そういうラフな関係”なのだと。だから、僕のことも詮索しないでくれ」

「何よ、それ」

私は、どうしたらいいのか、わからなくなっていた。

もちろん、自分のしたことは最低だが、智も女性と会っていたことを否定しない。

それが、気持ち悪い。

「結婚しても、俺たちお互い自由にするってのはどうかな。お互い詮索ナシで」

「そんなの…間違ってるよ」

「じゃあ、どうするの。結婚やめる?玲奈は、知り合いと焼肉を食べただけ。僕は、軽井沢で買い物をしただけ。ちがう?」

「そうかもね…」

ここで、私があの夜のことを正直に話しても、智も自分がしたことを全て話すとは思えない。

相手が浮気をしたら、仕返すのが智なのだ。

誰に聞いても、この結婚は即刻やめるべきだろう。

私は、0.5ctの指輪を見つめながら、心の中で、智に次に言う言葉を探した。

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