◆これまでのあらすじ

長年交際した顔だけのダメ男と別れたばかりの杏奈。美人でモテるが恋愛偏差値の低い彼女は、同窓会で出会った外資系金融マンの足立から誘われる。練習のつもりでデートに臨んだが、なぜか「つまらない女」とフラれてしまい…。

▶前回:食べ終わったら即解散…。カウンター鮨デートで、アラサー美女がやらかしてしまったこととは?




Vol.4 港区でお食事会を


「ねえ、私ってつまらないかな?」

足立との悪夢のようなデートから、数日後の昼下がり。

中目黒のカフェで、ランチに呼び寄せた麻沙美が席に着くなり、杏奈はすぐさま尋ねた。

「え?どういうこと?」

「いいから。答えて」

鮨店から出た後、足立に吐き捨てられた言葉が、脳裏から離れないのだ。

『美人って、話すとつまらないんだなって───』

お姫様扱いのぬるま湯に浸かり、攻撃されることに慣れていなかった今までの自分。変わらなければならないのはわかっているけれど…それにしても、あんなひどいことを言われたのは生まれて初めてだった。

「いや……色々な意味で、面白い女だと思うけど」

「だよね!」

麻沙美の意味深な回答を素直に捉えた杏奈は、その流れで足立とのデートの件を報告する。

さすがの麻沙美も、その内容にドン引きしていた。

「それはひどいね。でも…負け惜しみが50%、ただ性格が悪いが25%、本当につまらなかったが25%…ってところなんじゃないかな」

負け惜しみ。つまり足立のひどい態度は、デート中ずっとつまらなそうにしていた杏奈への、捨て台詞のような意味もあったのではないか…と、麻沙美は冷静に分析した。

「そう…?」

「足立くんくらいのエリートなら、多少難ありでも平場じゃモテモテのはず。『イケるかも』と思ってたはずの女がつまらなさそうにしていたら、プライドを傷つけられたはずよ。面と向かって言うのはどうかと思うけど」

とはいえ、杏奈と話していて面白くなかったというのも、本音ではあるだろう。

なにせ杏奈は、足立の自慢話には何の反応もせず、話題をすり替えてばかりだったのだ。高校の同級生だからという甘えがあった結果だけれど、足立からしてみればあの日の杏奈の態度を、『つまらない』と感じてしまったのも無理はない。

「杏奈はさ、男性を喜ばせる『さしすせそ』って知ってるよね」

「え?砂糖と、お塩と…」

「そうじゃなくて…!」

麻沙美は呆れた表情を浮かべると、何冊もの本が入った紙袋を杏奈の前に差し出した。


中に入っていたのは、何冊もの恋愛マニュアル本だった。

「さしすせそなんて、基礎中の基礎。『さすが』『知らなかった』『すごい』『センスある』『そうなんだ!』かな。世の中、価値観の変化はあれど、男性の中にはいまだに古風な考えの人は多いからね。

とにかく!すぐ彼氏を作りたいなら、この返答を繰り返して男性を立てる。それだけだよ」

「立てる…ねぇ」

「女性だって、褒められて嫌な気になる人はいないでしょう」

杏奈は本を1冊手に取ると、ペラペラと中身をめくる。

メールの返信をすぐに返さない、相手を頼る、ボディタッチの極意、などの技術が、章立ててもっともらしく解説されていた。

中には、「下着で迫る」などと前時代的なワザも多いが、この類の本が売れ続けているということは、やはり相応の効果があるのだろう。




「杏奈は恋愛偏差値低いんだから、まずは基礎練習しなきゃ逃した魚は捕まえられないよ。たとえ失敗しても、学びにはなるから」

「逃した魚って…」

悔しいが、言い得て妙だと感心したその時…杏奈のスマホがブルッと短く揺れた。

SNSのフォロー通知。相手は、あのパーティーにも参加していた高校の同級生だ。

「須賀克己くんって、テレビ局に勤めているって言っていた人だよね。今さらフォロー申請なんて」

「ああ。私はチャラすぎて、高校の頃から苦手だった人だな。杏奈は?」

杏奈もゆっくり頷いた。

須賀は明治大学を出て、現在はテレビ局でバラエティ番組のディレクターをしている。パーティーが終わった後にLINEも受け取っているが、高校の時の印象の悪さゆえに、杏奈はいまだ返信をためらっていた。

「きっと返信をしなかったから、こうやって近づいてきてるんじゃないの?わざわざ名前検索して、申請してくれているんだよ」

麻沙美は恋愛マニュアルの1ページ目を開くと、そこに書かれている“じらし連絡の極意”の一部を引用して囁く。テクニック上は、連絡はすぐにしない方が効くのだという。

杏奈としては、本命にはすぐに返した方が印象はいいと思うのだが、この本の持ち主である麻沙美は、実際に恋愛、そして結婚が成就しているのだ。

この須賀とのケースにおいてもきっと、恋愛理論的にはそちらの方が適っているのだろう。

「…わかった。ちょっとがんばってみる」

杏奈は口をキッと結んで、麻沙美に誓った。




「杏奈ちゃん、こっちこっち」

「今日はお誘いありがとう!」

麻沙美とのランチから1週間後。杏奈は誓った通り須賀とやりとりを続け、食事会の誘いを受けていた。

場所は六本木の会員制のダイニングバー。店の前に到着し、須賀を呼び出すと、彼は入り口まで迎えに来てくれた。

「来てくれてありがとね」

「いいの。須賀くんともっとおしゃべりしたかったもの」

精いっぱいの笑顔で、杏奈は須賀を“立てた”。

デートではなく、食事会の誘いということに疑問はあったが、きっと最初から1対1だと照れくさいのだろう…と自身を納得させる。恋愛テクニックにまったく自信がない杏奈としても、大人数の方が安心だ。

それになにより、場所に指定されたのは“会員制のバー”。会員制、という響きが、杏奈の好奇心をくすぐった。このような秘密めいた雰囲気の場所は、芸能人やセレブだけが行くものと思い込んでいた。もちろん、訪れるのは初めてだった。

― 内装も暗くておしゃれ。さすが、業界人…。

暗証番号を押して店に入り、薄暗い照明の中を須賀の背中を頼りに歩く。

たどり着いたのは店内でも奥まった位置にある、『VIP』と掲げられた部屋だった。

「すがちーん、遅いよー。さっそく1本開けちゃったよ」

扉を開けた途端、真っ先に目に入ったのは、杏奈もテレビで見たことがある人気俳優だ。


― 霧島蓮人だ!

テレビや映画で多大な人気を誇る霧島蓮人は、ソファにふんぞり返り、シャンパングラスを傾けていた。

横柄な態度に小さく失望するものの、それでも、顔が小さく足もすらりと長いその姿に、杏奈の目は輝いた。

俳優である霧島蓮人だけでなく、芸人やベンチャー企業の社長など、VIPルームの中にはありとあらゆるジャンルの有名人の顔が並んでいる。

ふと、そのうちのひとりが声を上げた。

「あれ?彼女、どこかで見たことあるなあ」

「はい!メーカーで広報をしているので、メディアには多少出ています。倉持杏奈といいます」

「そうだった。“美しすぎる広報”って見たことあるよ。かわうぃー」

これがいわゆる“業界ノリ”というものなのだろうか。皆、妙に馴れ馴れしかった。

― …ん?これって、食事会なの?

しばらくするとそんな疑問が出てきたが、これも経験のうちだと杏奈は必死で笑顔を作る。

暗記したばかりの『さしすせそ』を駆使し、隣に座った自称・放送作家の男をひたすらほめ続けることにした。

「さすがです。あの番組に携わっているなんてすごい!」

「そんなでもないよ。統括Pと笑いのツボが一緒でよく呼ばれているだけ。あ、Pってプロデューサーのことで…」

「知らなかった。でもすごい、センスいいんですね」

杏奈は懸命に料理の皿を取り分け、ドリンクを注ぎ、ほほえみマシーンと化す。

そのせいか、場の空気は華やぎ、どんどん盛り上がっていった。

謎の美女が脇をガッツリ固めていたため、霧島蓮人とは話すことはできなかったが、その会の中心は明らかに杏奈だった。




宴が終わったのは、午前2時を回ったあたりだった。

翌日は休日とはいえ、食事会でこんな時間まで拘束されたのは久しぶりだ。

支払いはいい、というので、杏奈はそのままタクシーに乗って帰ろうとする。すると、須賀が慌ててやってきて、5枚の一万円札を目の前に差し出した。

「今日はありがとう、これ…」

「え、何これ」

「タクシー代。霧島さんから」

「うち、池尻だから、そんなにかからないと思──」

手に取り、そう言いかけたところで、杏奈は金額の意味に気づく。そして須賀はニヤニヤと笑みを浮かべて告げた。

「お疲れさま。また、会いたいな」

いつのまにか杏奈の手には、なかば無理やり5万円が握らされている。

杏奈は口角を上げて頷いていたものの、頭の中は真っ白になっていた。

― そういうことだったんだ…。これは、タクシー代じゃない。コンパニオン代なんだ。

須賀との食事会で、恋愛の経験値を積むつもりだったのに。

須賀にとっては杏奈は、恋愛の対象ではなかった。

“美人すぎる広報”という、ちょっと変わったタイトルを持っているコンパニオン。

業界人たちのお酒の場を盛り上げるための、余興のひとつ。恋愛どころか、対等な扱いさえされていない。

― これって、フラれるとか以前の問題だよね。

多分もう、須賀に会うことはない。恋愛対象男性のリストの中から須賀の名を消そうとしたけれど、ふと思う。

そもそも杏奈の名前は、須賀の恋愛リストには載りすらしていないのだろう。

5万円の形をした屈辱を握りしめながら、杏奈は暗いタクシーの中で、顔を引きつらせることしかできなかった。



タクシーを降り、家までの夜道を歩きながら、爆発しそうな気持ちを必死で抑える。

確かに、あのような世界があることは知っていた。

店に入った途端、色めき立って、浮かれてしまった自分が憎い。




しかし、勉強にはなった。

本に書かれていたマニュアル通りの対応が、あれだけ重宝されるということ。やはり、古風な考えの男性はいまだ多いのだろう。

モノ扱いされているような感覚には、もちろん納得はいっていない。

けれど、これまで美人広報としてお姫様のようにちやほやされ、女の利点を今まで享受してきた身なのだ。文句を言うのもお門違いな気がした。

― 私の人生、これでいいのかな…。

タクシー代のおつりは、もちろんほとんど残っている。

麻沙美に高級なランチでも奢ってしまおうか。

このモヤモヤを解消するためにも、とにかく何かどうしようもないことに一気に使って、なかったことにしてしまいたかった。

▶前回:食べ終わったら即解散…。カウンター鮨デートで、29歳美女がやらかしてしまったこととは?

▶1話目はこちら:高校の同窓会。さえなかった男たちのハイスペ化を見た29歳女は…

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災難続きの杏奈の恋愛。自信を失う彼女に衝撃の再会があり…